「ただいまーっす…んん…?」
近所のスーパーで安売りがやると知り、朝早くから買いに走った日曜日の昼下がり。両手一杯に荷物を抱えながらいそいそと帰宅しご機嫌に扉を開けた瞬間、鼻奥を乱暴に擽った匂いに、ニキは思わず顔をしかめた。
「あ、ニキくんお帰りなさい」
「ただいま…何やってんすか?」
「マニキュア塗ってたの。あ、もしかして臭かったかな…」
玄関に背を向けていたナマエが振り向くと、その足元に5つ小瓶が並んでいるのが見える。
臭いの理由も分かれば、不快感も少しは緩和されるというもので。鼻のいいニキを心配してか慌てて蓋を閉めようとするナマエを止めると、買ってきた荷物を急いで冷蔵庫に入れその足元を覗き込んだ。
「ごめんね、これ速乾性のだから左足は乾いたんだけど…右足は今塗ったばっかで……」
「いやいや、大丈夫っすよぉ」
桜貝のような小さな爪に、ピンク、黄色、オレンジ、水色、紫の、それぞれ5色。どれも淡い色合いで、よく見ると中にはラメが入っているものもあるのか、衣装のように光を反射してわずかに輝いていた。
「全部違う色にしてるんっすね」
「うん。その方が可愛くない?」
「うん」
色付く足先がゆらゆらと揺れる。小さな爪によくもまあこんな器用に塗れるなと感心しながら見つめていると、じわり、喉の奥が濡れる感覚がする。
「なんだか美味しそうっすね、この色」
「あはは、美味しそうって。ニキくんらし、っ!?」
じっと足先を見つめていたニキが、不意に腕を伸ばす。そして何を思ったのか。見つめていたナマエの左足を掴むと、そのまま思いっきり自身の元へと引き寄せた。
突然だったため当たり前だがナマエの身体は何の抵抗もできず、されるがままバランスを失い背中を打ち付けるように崩れ落ちる。幸い柔らかなラグの上だったため痛めることはなかったが、それでもあまりに乱暴な行為に目を白黒させるナマエをよそに、ニキはカラフルに色付く爪先をじっと見つめる。そして、
「いやいや、すっごく美味しそうっすよぉ…飴みたいで」
あろうことか、躊躇することなく、自らの口内へと導いたのだ。
「は、あっ!?ちょっ、な、なになになにっ!?」
ニキの突然の奇行にラグマットへマニキュアが溢れるのも構わず体勢を戻そうと藻掻くが、いったいどこからそんな力が出ているのか。足を掴む手はびくともせず、それどころか抵抗されたことに対してだろうか、青い瞳が楽し気に細められた。
「やっ、に、ニキく、やめ、っ」
たしかに、食事が大好きなニキとの行為はまるで食べられていると錯覚させるようなものが多かったが、それはあくまでイメージというもので。文字通り本当に食べられるなんてことは、なかったのだけれど。
じわりじわりと湧き上がる快楽に声を出さぬようにと必死で唇を噛み締める。それでも隙間から漏れる吐息に誘われるように、ニキの舌は構うことなく指の間を這い、味わうように時折柔く噛み付いていく。
「ん、んん…ぷはっ」
ひとしきり舐め満足したのか、細い糸を繋ぎながらようやく口内から解放したニキは、どこか名残惜しさを含んだ瞳でナマエを見つめている。
その瞳に、言わんとしていることすべて察してしまったナマエは、内心深く溜息をついた。
「…ニキくん、お腹減ってるでしょ」
「まあ、少し」
「はあ…ご飯作って食べよう…」
ニキが奇行に走るときはたいてい食が絡んでいる。そう理解してからは、ある程度対処の仕方が分かって来た。未だ足を掴まれたまま何とか上体を起こしそう提案するも、ニキは口を少しだけ尖らせ「ん〜…」と唸った。
食事が優先事項第一位な彼にしては珍しい様子に驚いていると、何か思いついたのだろうか、あっさりナマエの足を解放してしまう。
「そっすね〜。じゃあ先に腹ごしらえしちゃいましょ!」
「うん…うん?」
いささか気になる発言はあったが、すっかり意識は食事に向いているらしく。るんるんと効果音でも付きそうな様子で冷蔵庫の中身を次々と出している背中に、気のせいかとその考えを頭の外へ追いやる。
豚バラにキャベツ、玉ねぎ、人参にもやし。並べられていく食材を見ると、どうやら今日は肉野菜炒めを作るらしい。
「今日は簡単なものにするんだね」
「そっす。あんまり時間かかるものだと、僕が我慢できそうにないんで」
「ふーん……ん?」
「でもこの後ナマエちゃんとた〜くさんえっちするには、まずお腹いっぱいならないといけないっしょ?だからたくさん量が作れるもの、ってことで肉野菜炒めっす!」
自らの発言に何ら疑問を持つこともなく、いつも通りの慣れた手つきで次々と食材を切っていく。ああやっぱり先程のは聞き間違いなんかではなかったのだ。さも当たり前のようなニキの様子に、もはやこの状況を打破する策をいくら打ち立てても、全て無駄だということを否が応でも察してしまう。
ユニットメンバーである天城燐音に対し横暴だと言うけれど、こうすると決めこうなると思ったニキは彼と同じくらい強引で、なおかつ頑固なのだ。
とはいえそれが嫌かと聞かれればそうでないのがナマエの甘いところで。結局はその言葉と行動を満更でもなく受け入れてしまうのが、ニキの行動に拍車をかけることに他ならないのかもしれない。
「あ、ナマエちゃんお箸とお皿お願いしていいっすか?」
「ああ…うん…」
マニキュアが染み込んでしまったラグはどうせシーツと共に洗濯機行きだ。おそらく、というか確実に体力が無くなって先にダウンするのはナマエの方だから、洗濯はニキに頑張ってもらおう。
食欲を誘う香りと音とそれを上回る弾むような声色を背に、倒れた小瓶の蓋を閉めながらナマエは言葉を飲み込むのだった。
BACK |
HOME