※未来捏造、過去捏造
ひらひらと振られた手が、まるで花びらのようだったことをよく覚えている。
春という季節は気持ちを晴れさせたり曇らせたりする。
恐ろしいほど目まぐるしく移りゆく景色に少しの寂しさを抱え、駅のホームをゆっくりと歩く。
久しぶりに帰ってきた地元の駅。
少しくすんだ色をしているベンチに、消えかかっている黄色い線。
何一つがわたしの記憶のまま変わらずにある。
それにほんの少し口元をゆるませつつ、改札へと向かう。
ピ、とICカードをタップして改札を出ると、朝ということもあってか利用客はまばらだった。
ぐるりと駅の入り口から辺りを見渡す。
花壇で元気に咲いている花と一緒に、一人の姿が目に入った。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
地方へ引っ越すことが決まったとき、ぼんやりと頭の中に浮かんだのは男の子の顔だった。
その子は中学一年生から三年生まで同じクラスだった子だ。
そのときもまた別の県から引っ越してきていたわたしに友人は一人もいなかった。
周りはみんな小学校が同じという関係の子が多く、なんとなく輪ができたそこにうまく馴染めずにいた。
黒板に書かれた自分の席に静かに座り、はじめてのホームルームが始まるのを待っていた。
そのとき、声をかけてくれたのが、赤葦くんだった。
赤葦くんはわたしの前の席に座ると、しばらくしてからくるりとこちらに体を向けた。
そうしてぼんやりした視線を少し泳がせながら「ティッシュ、持ってる?」と言う。
急に話しかけられたことに少しどきどきしつつ「あ、う、うん」と鞄に手を伸ばす。
わたしがティッシュを取り出している間に「赤葦です、よろしく」と言ってくれたのでわたしも名乗り返す。
それがわたしと赤葦くんのファーストコンタクトだった。
それから赤葦くんとはちょこちょこ話すようになった。
赤葦くんはクラスの男子からも女子からも頼りにされている存在みたいだった。
その赤葦くんと話しているわたしも気付けばクラスに馴染み、すっかり輪の中の一員になることができた。
どこかぼんやりしている瞳はいつも宙を見ているよう。
けれど、どこかまっすぐを見ているようにも見える。
なんだか不思議な人だ。
それがわたしの第一印象だった。
赤葦くんは基本的に静かだ。
落ち着いていて、いつでもなんだかおとなのように冷静に周りを見ている。
それを漠然とすごいと思っていたのだけど、どうしてそうなのかはすぐに分かった。
体育館で男子たちがバレーボールをしているのをぼんやり見る。
バレーボールなんて小学校のときも授業でしかやったことがない。
ルールもなんとなくしか分からないし、早く終わらないかなあなんて思っていた。
でも、それはチームが入れ替わると同時に消え失せる。
コートの中に入った赤葦くんを見たとき、いつもと違うなにかを感じた。
ぼんやり、とか、穏やか、とか。
そういうのじゃない。
無理やり言葉をあてはめるのなら、凛とした。
たぶんそれが一番即している。
赤葦くんはまさにそういった顔をしていた。
それを不思議な気持ちで見ていると自然と分かった。
赤葦くんはコートの中をよく見ている。
チームメイトがどこにいてどんな動きをしているか。
相手がどんな動きをしようとしているのか。
急造チームが徐々に赤葦くんを中心としてまとまっていくのが分かった。
あとで聞いた話、赤葦くんは小学生のときにバレーボールチームに入っていたのだという。
セッターというチームの司令塔といわれるポジションらしい。
だからあんなにも周りを冷静に見られるのか。
そうとても納得した。
「いや、別に冷静ではないけど」
赤葦くんをいつかに冷静でおとなっぽいと褒めたときの返答はそんなのだった。
苦笑いというか、照れ笑いをしている姿は新鮮でよく印象に残っている。
「ふつうに、動揺することも、あるし」
ふわふわと視線がどこかへ移っていく。
それを見たら少し面白くなって。
ちょっとからかってみようと思った。
「もしかしてそれ、今だったりして」
笑いながら冗談でそう言った。
そうしたら、赤葦くんはふわふわしていた視線をわたしの方へゆっくり戻した。
なんだかぎこちない視線にほんの少しどきりとした心臓にはてなを飛ばしてしまう。
赤葦くんはほんのり顔を赤くして、ぼそりと呟く。
「そうだよ」
そのはにかんだ顔に、わたしは、魔法がこの世にあると本気で信じてしまった。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「おかえり」
マスクをずらしてはにかむ。
ふんわり柔らかくはねている髪は生まれたときからこうなのだと、中学生のときに教えてくれたのを思い出す。
そんなことを思い出してしまって自然とわたしもはにかんでしまう。
昔はあまり目を合わせてくれなかったっけ。
今となっては控えめではあるけど、まっすぐわたしを見てくれる。
それがなんだかくすぐったい。
駅の入り口で止めていた足を動かす。
少しだけ早歩きをする。
重たい荷物を持っていた手が痛いとか、歩き疲れて足が重いとか、ぜんぶどうでもよくなる。
「ただいま」
三年ぶりに会った赤葦くんは、驚くほど背が伸びていた。
目を合わせるのも一苦労なほどだ。
メールや電話のやりとりで身長が伸びたことは聞いていたけど、実際に見ると本当に驚いてしまう。
わたしが赤葦くんの前で足を止める。
すると、とても自然な動きで赤葦くんはわたしの荷物を持ってくれた。
「ミョウジ、なんか縮んだ?」
「赤葦くんが伸びたんだよ」
首が痛い。
赤葦くんの顔が少し遠くなったみたいで少しだけ寂しい。
二人で並んで歩き始める。
歩幅が広くなった赤葦くんにはじめは少しついていけなかったけど、しばらくすると赤葦くんが歩幅を狭めてくれたらしい。
早歩きをしなくても大丈夫になった。
早朝のどこか爽やかな空気をゆっくり吸う。
吐いた息が白く染まるほど冷たい空気だというのに、そんなに寒くは感じない。
「ごめんね、一日お世話になります」
明日から一人暮らしがスタートする。
本当は今日までは実家にいようと思ったのだけど、そのことを赤葦くんに話したら家に呼んでくれたのだ。
引っ越し作業がはじまるとばたばたし出してなかなかゆっくり話すこともできない。
それが嫌なのだと、珍しく頑なに誘ってくれたのだ。
「一日と言わずずっといてくれていいけど」
なんて。
赤葦くんが笑う。
高校を卒業し、わたしと同じく赤葦くんは一人暮らしをはじめた。
わたしより少し早めに一人暮らしをはじめている赤葦くんの家は、わたしの家より少し離れている。
大学も別々だ。
同じ都内にいるとはいっても、頻繁には会えないだろう。
それを少し残念そうにしていたのが嬉しかったなんてことは内緒だ。
中学を卒業してすぐ、わたしは家の事情で地方に引っ越すことになっていた。
中学生活は楽しかったし、仲の良い子ももちろんいたから、素直に言えば引っ越しは嫌だった。
けれど、中学生のわたしにどうにかできる問題ではなく。
親に「分かった」と言うしかできなかったのは仕方のないことだと思う。
仲の良い子たちと離れるのはもちろん嫌だった、けど、それよりも嫌だったことがある。
それが、赤葦くんだった。
中学生活を過ごす中で、わたしは赤葦くんに恋をしていた。
地方に引っ越してしまえば赤葦くんとはもう会えなくなる。
かといって引っ越す自分が赤葦くんに告白する勇気なんかない。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、引っ越さなければいけないことを話したら赤葦くんは一枚の紙をくれたのだ。
広げてみると赤葦くんの家の住所と電話番号が書かれていた。
当時まだわたしも赤葦くんも携帯電話を持っていなかったので、赤葦くんは「気が向いたら手紙でもください」と照れくさそうに言ってくれたのだ。
引っ越しの当日もクラスの子数人と一緒に見送りに来てくれた。
車が発進したとき、ひらひらと振ってくれた赤葦くんの手。
あの手をいつか触ってみたい。
そんなことをぼんやり考えて、わたしも手を振り返した。
引っ越してすぐ、わたしは赤葦くんに手紙を書いた。
赤葦くんがちゃんと返事をくれたのが飛び上がるほど嬉しかったのを今でも覚えている。
高校生になってお互い携帯電話を持つようになると、手紙のやりとりはなくなってしまった。
でもその代わりにメールのやりとりをするようになり、前よりもやりとりが増えた。
そしてある日、突然、メールではなく電話がかかってきた。
どきどきして取ったその電話に、わたしは余計にどきどきすることとなる。
赤葦くんから突然、告白されたのだ。
「好きです」と言われたとき、言葉を失うというのがどういうものなのかを理解した。
間が空いてから赤葦くんが「ごめん、急に」と言ってようやくわたしは言葉を発することができた。
「わたしも」と。
自分の口からそんな言葉が出る日が来るとは思っていなくて、少し唇がふるえてしまったのを覚えている。
その日からわたしと赤葦くんは、遠距離恋愛といわれる関係になったのだ。
家族からのおさがりだという車に乗せてもらう。
わたしの荷物を後部座席に乗せてから赤葦くんが運転席に座る。
車が発進すると、二人だけの空間ということもあって赤葦くんにたくさん質問してしまった。
高校三年間のこと、バレーボールのこと。
わたしの知らない赤葦くんを知りたくて。
それを分かってくれているらしい赤葦くんは質問の一つ一つにしっかり答えてくれた。
わたしが一通り質問し終わると今度は赤葦くんがわたしに質問をしてくれた。
高校生活も楽しかったし、話は尽きない。
たくさん話しているうちに赤葦くんの住んでいるマンション近くの駐車場についてしまった。
五分くらい歩けばすぐ見えてくるのだという。
またわたしの荷物を持ってくれる赤葦くんにお礼を言うと「いいよ、軽いし」と言われる。
中学のときは目に見える優しさというよりは、気付いたらある優しさだった。
こんな風にはっきり分かる優しさを向けられるとなんだかくすぐったい。
赤葦くんの隣を歩きながらこっそり赤葦くんの横顔を盗み見る。
本当に、赤葦くんだなあ。
そんな当たり前のことを思いつつちょっと口元が緩む。
「大学でもバレー部入るの?」
「スポ薦だしね。
一応もう練習にはちょっと参加してるよ」
「試合、観に行きたいなあ」
「……うん、来てよ。
たぶんその方ががんばれる」
「まずレギュラーに入るとこからだけど」と苦笑いをこぼす。
高校時代に強豪校でレギュラーをしていたからといってすぐレギュラーに入れるわけではない。
きっと大学の先輩に上手な人がいるのだろう。
けれど、車の中で聞いた話だと高校の先輩が同じ大学にいると言っていたので、恐らくすぐにチームに馴染んでレギュラーを取るんじゃないだろうか。
あまりバレーボールのことは知らないけど。
なんとなくそんな気がした。
「いや、なんか」
「うん?」
「なんか、うん」
「なに?
どうしたの?」
「にやけが止まらない」
口元を手で覆う。
赤葦くんは「ごめん」となぜだか謝ると、恥ずかしそうに「あんまり見ないで」と付け足した。
その顔にわたしはまた、魔法の存在を信じてしまうのだ。
仕掛けはきみの魔法から
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