小さい頃は純粋に器用だね、上手だねと褒めてくれた。
『志輝くんすごーい!じょうずー!』
『お、おれもできるしッ!』
『××くんより志輝くんのほうがじょうずだよ』
『ッ……』

 けれど、年齢が上がるにつれ

『まあ、テストで満点取ったんですって?すごいわね、次もきっと満点ね』
『全科目満点は……、っ王瀬だ。よかったな』
『まーた王瀬かよ。××のやつ、可哀想だよなぁ』
『あんなに勉強してたのにね。努力は報われるなんて信じられなくなりそ』
『今月もトイレ泣きだね。って××君もういないや』

 周囲からの線引きは目に見えて濃くなっていった

『あいつできねーものとかあんの?顔も頭も運動も完璧過ぎて引くわ』
『憧れてる人もいるけどさぁ、正直――こわいよね』

 普通に見えて普通じゃない。そんな人間が世の中にいるとしたら俺のことかもしれない。せめて器用貧乏だったら、いっそ不器用だったらよかったと何度思ったことか。周囲には一生理解できない悩みだろうと思った時、無意識に自分の中にも線引きが存在していて、決して分かり合えないのだと悟ったときは小さじ一杯くらいのショックと同時に、心のつっかえが綺麗さっぱりなくなった。
 そうか、自分のスペックをフル活用して生きればいいのか。
 この時どんな顔をしていたのかは覚えていないが、授業終わりに『キミそんな表情すんだね!惚れた!』と話しかけてきた一人の男子生徒と、まさか長い付き合いになるとは思わなかった。
『オレ、無苫 景(ないとま けい)!王瀬志輝?だっけ?親友になろうぜ!』
『……おう?』
『ヨッシャー!これからヨロシク、王サマ!』
 これが中学二年の夏の出来事。
 肯定じゃないと訂正するのも面倒だったのもあるけど、なんとなく面白そうだなとそのままにしておいたら、あれよあれよと実際その立場にお互いなったんだから何事も言ってみるものだよな。
ハイスペ