陛下とチョコレートと私/ガイアス



 ▼は奮闘していた。

 何故かというと、今日は▼のいた現代ではおそらく2月14日、バレンタインデーだ。
このリーゼ・マクシアでその行事を知っている人間などいないのだが、毎年友人や家族に菓子を作って渡していた▼は、なんとなく、お世話になっている人にお菓子を渡したいと思い、厨房に立っている。いま養ってもらっているローエンはもちろん、旅の仲間にも渡したいと思ったのだが、いかんせん遠すぎる。ならばと、この城の主である人物を思い浮かべる。 一度は敵対したりもしたが、今はこうして穏やかに同じ場所で過ごしている。▼が最近良く話す人物でもあるし、意志の強い瞳も、低くて聞きやすい声も、逞しい腕も、あの大きな掌も▼は大好きで――と考えたところでぶんぶんと頭を振って思考を散らす。

「ガイアスさん、食べるかなぁ。……食べるか、あの人は」

 何故かいつも自分の分まで奪われる茶菓子たちを思い出して、▼は一人うんうんと頷いた。
しかし、いつも厨房の料理人がくれるお菓子や、城下で買った土産品を出しているからか、これというガイアスの好きなものが思い浮かばない。食欲旺盛な人だから、なんでも食べてくれそうではあるが……と▼が頬に手をあてて考えていると、ヌッと黒い手が材料のチョコレートを奪い去っていた。

「なにをしている」
「お菓子を作ろうと思ってて、でもガイアスさんなに食べるのかなぁ……って材料の段階で食べないでくださいよ!」

 べしんと手甲を叩いた後に、横にいたガイアスの顔を見て『ガイアスさん!?』と驚愕の声を上げた。
いったい誰だと思ってつまみ食いを咎めたのだろうかとガイアスは思ったが、それよりも、何故いきなり▼がお菓子を作るなどと言い出したかのほうが気になった。それを口にして問うと、▼は顔を赤くしたり青くしたり俯いたりした後、上目遣いにガイアスを見て口を開いた。

「私の国で、お世話になった人とかその……好きな人に、いろいろ渡す日なんですっ!」

 好きな人、の部分で小さくなった声も聞き取ったガイアスはふむとボールの中に入れられたチョコレートを見る。▼は突然現れたガイアスに心臓をバクバクさせながら、チョコレートを湯煎しようと火をつけた。すぐにふつふつと泡が出始めた鍋を見ていると、黙り込んでいたガイアスが▼に視線を向けた。

「俺はどちらだ」
「なにがですか」
「お前にとって、お世話になった人なのか、好きな人なのか聞いている」

 あまりにも直球すぎる質問に思わず▼は鍋につけようと思っていた容器を取り落とす。ばちゃっと水音を立てて落ちた容器、それに弾かれたお湯が手にかかったのだが、その熱さを気にする暇も無いくらいに▼は激しく動揺していた。ガイアスは答えを求めているのか▼から目を逸らさない。

「えっと、その、すっ……す、好きな人、ですけど」

 今にも破裂してしまいそうな心臓と手にかかったお湯よりも熱い顔を自覚しながら、なるべく平然を装って▼は答える。そうか、と短く答えたガイアスはまた暫く黙り込んだ。あまりにも気不味い空気に▼はこのまま部屋を飛び出してしまいたい衝動にかられたが、オタオタからも逃げ回るなけなしの勇気を振り絞って『返事は聞かせてくれないんですか』と呟く。

「お前に妃はまだ荷が重いだろう?」

 ふっと微笑んだガイアスは▼の頭を数回撫でると、前髪を掻き揚げてその額に唇を落とした。

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