彼女は海龍/アイザック



 主であるポセイドンへの報告を終えた▼は、かけられる声に答えながら帰路を歩く。
大神ゼウスの力により、地上・冥界・そしてポセイドンの支配する海界もかつての聖戦の犠牲者と共に美しく蘇った。……建物は崩れたままの所があったりするのだが、力を借りた以上文句は言えない。海将軍は以前のように柱を護る任に就きながら、海界の復興に力を尽くしている。
 
「お帰りなさいませ海龍様。アイザック様がお待ちですよ」

 かつて海龍の鱗衣を着用し、海闘士を纏めていたカノンは、いまは本来の星のもと双子座の黄金聖闘士をしている。
今、北大西洋の柱を守護を守護する海龍の海闘士、海将軍は▼だ。本来ならば他の海闘士のように聖戦前に使命に目覚め、海界に馳せ参じるべきだったのだが、彼女はポセイドンの真の覚醒の際に目覚め、己の高い小宇宙を抑えきれずに昏睡状態に陥った。結果、この海界でポセイドンに認められ、正式に海龍の鱗衣を賜ったのは聖戦後であった。
目覚める時期にずれが生じてしまったが、▼こそ正統な『海龍の海闘士』だった。

「アイザック!すまない、待たせたな」
「構わない。それよりお前はアスガルドから帰ってきたばかりだろう。約束していたとはいえ、疲れているんじゃないか?」
「アスガルドでは体も動かさなかったし、小宇宙も燃やさなかった。早く帰ってお前と手合せしたいくらいだった」

 ならいいんだが、と言ったアイザックと共にコロシアムに向かう。
海界は地上の喧騒とは違う、それでいて決して静かすぎはしない活気がある。天とも言える七つの海が頭上に蒼く煌めく。数日ぶりの海界に伸びをしながら▼はアイザックと他愛もない話をしながら歩む。自分の不在の間に何度か地上……アテナの聖域からの使者が来ていたらしい。▼も地上の聖域に使者として赴いたことがあり、聖闘士達に顔見知りができていた。どの聖闘士が来ているかはアイザックからは聞かなかったが、なにも問題をおこさずに地上に戻るのなら、▼は別に誰でも良かった。

「しかし数日もあちらにいて、神闘士のひとりとも手合せしなかったのか?アテナの聖域に初めて行った時のように、誰彼かまわず手合せと頼むと思っていたんだが」
「アスガルドはアテナの聖域とは訳が違うだろう。ヒルダ様がお許しくださったとはいえ、いまだにあそこは息が詰まる」

 話しながらも、雑兵では目で捉えることすらできないスピードで二人は拳を交し合う。
▼は18歳、アイザックは14歳。海将軍は年若いものが多く、皆年齢が近い。同じ女性であるテティスを除けば、▼はアイザックと仲が良かった。というのも、初めて海界にきた▼が不安そうにしていた時に声をかけたのがアイザックだったからだ。昔、同じように頼りなさ気にしていた弟弟子にも声をかけたというのだから、元々面倒見は良い性格なのだろう。年下とはいえ先に海闘士として目覚め、海将軍を務めていた彼を▼はよく頼った。今ではお互い認め合い、共に技を磨き、世話を焼きあう仲だ。
 拳を交わしながら高めた小宇宙によって凍気がその場を舞う。アイザックを蹴りあげ高く跳んだ▼の着地と共に、アイザックの凍気を纏った拳が突き出される。彼の師カミュが『最も初歩的な技』としたダイヤモンドダストだ。体勢を崩さないまま静かに降り立った▼は、迫る凍気に焦りもせずに手で空を斬る。

「ゴールデントライアングル」

 ぽっかりと口をあけた金色の三角。かつてカノンが使用した北大西洋のバミューダトライアングルを模した異次元を操る技。全ての凍気を吸い込み消え去った金色の三角形の残滓を頬に受けながら、アイザックは口角を上げた。▼は前任から継いだこの技を快く思っていないようだが、何度も手合せをしたアイザックは彼女の小宇宙がこの技ととても相性が良いのだと、その威力で実感していた。
 構えを解いたアイザックを見て、不満そうに▼も構えを解く。

「なんだ、今日はもうやめるのかアイザック」
「お前が疲れて倒れたなんてことになったら、俺がソレントから口煩く言われるんだ。それに、お前に大事な事を言っていなかったと思ってな。……地上からの使者はカノンだ」

 ▼は怪訝な表情を一変させてその顔全面に嫌悪を浮かべる。
かつてポセイドンを壺から解き放ち、海龍を騙り海界を纏めた男。主である海皇ポセイドンとジュリアンを騙し、地上と海界に無意味な争いを招いた者。▼にとっては己の鱗衣を奪った、憎んでも憎み切れない相手である。それが地上の使者として、アテナの黄金聖衣を纏ってポセイドン神殿にやってくるのだから、嫌な顔もするだろう。
予想通りの▼の反応に声を出して笑ってアイザックは背を向けた。こうなってしまえばいつもと同じように、▼はカノンの存在を忘れようと我武者羅にひとり訓練に励むだろう。それに口をはさむとロクなことにならないと、アイザックは学んでいた。

「……少し残る」
「あまり根を詰めるなよ、▼」

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