23:59/カノン



 久々に休みが一緒になったので、せっかくだから聖域ですごさないかと誘われたのが3日程前。
アスガルドのジークフリートから『急ぎ頼みたいことがある』と呼び出されたのが早朝、そしてすべての用事が終わり、▼が聖域についたのは日付が変わる数十分前だった。
まっすぐに双児宮に向かったが、宮の侍女にまだカノンは教皇宮だと言われ。休日だったはずのカノンも仕事をしていたのだと知る。朝に連絡をとった時はまだ休みのような、起きたばかりといったふうだったのだが……。休みだった人間がこのような時間まで仕事をしているということは、彼の片割れの体調がよろしくないのだろうか。
 ぼんやりと考えながら教皇宮の執務室に入ると広い部屋には人影がひとつしかない。彼の隣の椅子に座りながら▼は申し訳なさそうに口を開く。

「カノン、今日はすまなかったな」
「いや、見ての通りオレもサガの代理でこのざまだからな……ある意味ちょうど良かったのかもしれん」

 書類から顔を上げたカノンが首を鳴らして大きく息を吐く。▼が双児宮の侍女から渡された軽食の入ったバケットを渡すと礼を言って受け取った。
茶のひとつでもいれてやろうかと椅子から腰を上げた▼は、カノンの使っている机の上に乱雑に置かれたものを見て眉を寄せた。ラッピングされた箱やら、綺麗な袋やら、可愛らしい季節の花束。執務室には似つかわしくない物の数々。まぁ顔は良い男だし、聖闘士としても(過去の出来事を除けば)優秀なのだ、贈り物など珍しくもないのかもしれないが……それにしても異常な量である。よくよくみれば床にある紙袋も彼に送られた物のようだった。
 ▼の視線に気が付いたのか、サンドウィッチを食べていたカノンが机や紙袋に目をやって溜息をついた。

「あぁ。誕生日だからと黄金聖闘士やら侍女が置いていってな。双児宮に一緒に住んでいるのだから持ち帰れ、とサガの分まで押しつけられた」

 帰りの事を考えたくないと呟いたカノンの言葉を聞いていた▼は大きく目を見開いた。
今日が――といってももう日付が変わってしまいそうなのだが。カノンとサガの誕生日であると知らなかった。▼は海闘士であるし、知らなくても何も不思議ではないのだが。それは▼が海闘士という肩書だけの場合で、実際にはそこに『カノンの恋人』というものも加わるのだ。いまこの時まで全く意識していなかった、誕生日。

「この馬鹿者!なぜ誕生日なら誕生日と先に言わない!知っていれば……ジークフリートの用事を断りはしなかったが、何か事前に用意くらいはできたものを!」

 本来一日聖域ですごすところを仕事に阻まれ、誕生日であることを知らなかったために何も用意していないのだ。恋人としてはそれは如何なものかと、流石の▼も顔を青くする。そもそも先に誕生日を聞いておけばよかったのだが。なにしろポセイドン以外にここまで関わるのは初めてのことだったので、誕生日を気にするという事が全く頭になかった。
『ジークフリートの用事を断りはしなかったが』というところに、相変わらず生真面目な奴だと苦笑いを浮かべながらカノンはぐっと唇を噛む▼の頭を撫でる。

「今日はアスガルドからそのまま海界に帰ると思っていたからな。今日お前に会えただけでも十分だ」

 ▼の髪をぐしゃぐしゃにしていたカノンの手が離れると、▼は考えるように顎に手を当てる。
もう今日中に何かを用意することなど難しい。ならばこういう時くらいは普段言わないようなことを素直に言うべきではないのだろうか。▼はテティスにもよく言われる『▼はもう少し素直になればいいのに』と。アイザックにもよく言われる『ポセイドン様への素直さのほんの一部くらいカノンにむけたらどうだ』と。むぅと腕を組んで、▼は執務室の窓から外を見た。日が変わる時間、煌々と輝く星々を背景に女神像が佇んでいる。
『カノン』と、己のできる限りの優しい声で呼びかけると、彼は▼と同じように窓に向けていた視線を▼に下げた。

「カノン。お前が生まれたこの日と、お前を許した女神と、お前を守護してきた星座に感謝を。……誕生日おめでとう、お前に会えて良かったと心から思っている」

 その言葉にカノンは碧の目を瞬かせた。一目でその真面目な性格がわかるような硬い表情や凛々しい表情の多い▼が、珍しく穏やかな笑みが浮かべている。
自分が生まれたこと、自分の罪を許したアテナ、そして自分の守護星座である双子座への感謝。▼からしたら最初の印象は最悪だっただろう、出会えたことのへの感謝。全てが自分を祝福する言葉。それを、とびきり優しい声色で紡いでいる。奇跡か、夢か、幻覚ではないだろうかと、一瞬自分を疑ったカノンだったが。胸にじわりと広がった喜びをそのまま笑みにして▼に投げかけた。

「愛している、のひとつでも言ってくれるものかと思ったが」
「生まれてこなければ愛する事もできなかっただろう、ならば先に生まれてきたことに感謝するべきだ」
「先に、ということは。生に感謝した後のいまからならば、愛していると言ってもらえるということか?」

 からかうようなカノンの言葉に、▼は耳まで赤くして金魚のように口をぱくぱくさせる。馬鹿者!と顔をそらした▼の、恥じらうようなか細い声で付け足された己の望んでいた言葉に満足して、カノンの唇は綺麗に弧を描いた。▼の頭をぐっと己へ寄せると、その耳元に囁く。

「オレも愛している」

 日付が31になった時、双子座の黄金聖闘士は美しく笑った。

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