しろいみち/真壁一騎


※EXO

「一騎!一騎ってば起きて!」

 体になにかが圧し掛かる重みと上からかかる声に、一騎は眠気と戦いながら目蓋をあける。
真っ先に目に入ったのは窯で燃える炎のような赤。それを細めて『おはよう』と言った幼馴染に唸るように返して、一騎は掌で目元を覆った。ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返して上半身を起こそうとするが、動かない。先程の衝撃は、▼が体にのったものだったようだ。体を起こすことを諦めた一騎は、珍しく自分より早く起きている▼の顔を眺めた。その視線を受け止めた▼はにっこりと笑って窓を指さす。

「雪、積もってるよ!」
「なんだ、今年は早いな……」

 すでに開かれたカーテンから差す光は弱く、まだ朝早い事がわかる。
一騎に馬乗りになっている▼は一騎に起きるのを催促するように何度か体を跳ねさせてから、上から退いて布団を剥いだ。籠っていた熱が逃げ、冷えた朝の空気が体を包むと、一騎は体を震わせながら起き上がる。欠伸をしながら立ち上がり、窓の外を見ると島全体が見事に雪化粧をしている。出勤したらまずは雪かきか……と考えてから、今日は一騎達の世代は全員メディカルチェックでアルヴィスに呼ばれていたことを思い出した。楽園は臨時休業だ。
ぼんやりとしている一騎をよそにてきぱきと着替えを終えた▼は、一騎の部屋のドアを開けて窓辺に佇む一騎に声をかけた。

「一騎、外行っていい?」
「いいけど、朝食すぐできるぞ」
「家の前にいるから大丈夫!」

 楽し気な声で返事をして、跳ねるように階段を降りていく▼の足音を聞いて一騎はふっと口元を緩めた。
布団を畳んで一騎も着替え始める。朝食は昨日の夕飯の残りになにか付け足せばいい、健診が終わったら一度楽園に行って備品の整理でもしよう。そんな事を考えながら着替えを終え、階段を降りる。木の廊下と誰も起きていなかった家の中は静かに冷えていた。ふと家の外から▼の声と犬の鳴き声、楽し気に笑ったのはきっとカノンだろう。積もった雪にショコラもはしゃいでいるのかもしれない。
エプロンをつけて台所に立った一騎は慣れた手つきで朝食を用意していく。史彦はアルヴィスに泊まりだと言っていたので一騎と▼の二人分、▼は食が細いので一騎の半分もあれば十分すぎるほどだ。捨てるのは勿体ないからと使っていた史彦の歪な器を食器棚から出して盛り付けると、冷蔵庫から昨日の残り物を取り出す。鍋に入ったままだった煮物が温まればもう朝食だ、▼を呼んだほうがいいだろうと史彦のサンダルをつっかけて玄関の引き戸を開いた。

「▼、そろそろ入れよ」

 真っ白になっている階段の端でうずくまっていた▼が返事をして立ち上がると、その足元に小さな雪だるまが作られていた。三角の物が頭に二つついているのは、犬か猫のつもりだろうか。先程あっていたショコラかもしれない。一騎は雪で濡れた▼の手袋を握って、ふたりで家に入る。
手袋とマフラーを外し、コートを脱いだ▼は台所で手を洗うとそのまま料理を卓袱台に運ぶのを手伝った。一騎がずっと史彦とふたりで囲んでいた座卓に向かい合わせに座ると手を合わせる。テレビをつければ広登の製作した番組が流れ、それはそのまま天気予報へと移り変わる。今日の竜宮島は一日中寒く、雪が散らつくようだ。

「一騎は今日はメディカルチェックだっけ」
「一騎は……って他人事みたいに言うなよ、▼もだろ」
「あれ、そうだっけ?」

 ご飯を飲み込んで▼は首を傾げた。普段からアルヴィスにいる事が多く、メディカルルームにいる頻度も高いからか。いつが定められた健診なのかわからなくなっていた。そういえば、剣司から何度も何度も今日は何時でもいいからメディカルルームに来るように、と念を押された気がする。
そんな▼に呆れたように溜息をつきながらも一騎は食事を続けた。『美味しい』と▼が笑って言うので、一騎は嬉しそうに頬を緩める。こうして二人で食卓を囲むのはもう数えきれないくらいだが、何度言われても▼の美味しいの一言は嬉しい。勿論、店で客から言われる『美味しい』も嬉しいが。
 そうして二人で食事を終え、台所を片づける。綺麗に空になった鍋や歪んだ器や二人分の茶碗を棚に戻し、テレビを見て一息ついたところで一騎もコートをとりに自室へ向かう。厚手のコートを羽織り、マフラーと手袋をつけ、使い捨てカイロを二つ掴むと再び階段を降りる。▼もすでに外に出る準備を終えており、一騎から使い捨てカイロを受け取ると、そそくさとコートのポケットに突っ込んだ。全ての窓の鍵を確認して、今度は二人で家をでる。先程より高くなった太陽が雪を照らして少し眩しい。子供達が雪合戦でもしているのだろうか、賑やかな声が聞こえる。

「この時間に行っても剣司くんいないんじゃない?」
「▼があっちも行きたいこっちも行きたいで寄り道したらちょうどいい時間になるだろ」
「もう、犬の散歩じゃないんだから!」

 その言葉でショコラとカノンの散歩の様子を思い出した一騎が『犬は決められたルートを歩かないか?』と笑うと、むくれた▼が一騎の横腹を叩いてくる。厚着しているので痛みはあってないようなものだが、一応痛い痛いと言いながらその白い頭を撫でた。柔らかい髪に指を通してから手を放すと、▼がその手を掴んで指を絡ませた。さくさくと誰も踏んでいない雪に足跡をつけて歩いていると、ふいに▼の体が前のめりになる。繋いでいた手を適度に引っ張って、一歩踏み出し空いている手でその体を支える。細くて小さい体だと、一騎は思った。小さい頃は同じくらいだったのに、いつのまにか自分ばかり大きくなっていた。体勢を立て直した▼は、繋がれている自分と一騎の手を見て、命綱のようだと笑った。

「足元気を付けろよ。雪道なんてそんなに歩いたことないだろ」
「うん。雪が降っても庭くらいしか出たことなかったし。あっ、でも昔、一騎が鈴村神社まで連れてってくれたのは覚えてるよ。境内に人がいなくて、真っ白で静かで、すごく綺麗だった」
「雪と▼が同化してて見失うし、そのあと▼は高熱出すし、父さんには滅茶苦茶叱られたし。俺もなかなか忘れられない日になったな……あれは……」

 小さい頃。今日のように雪が積もった日に一騎と▼が朝こっそり鈴村神社まで遊びに行った事があった。お互いの父親に黙って朝早くに家を抜け出して、誰も起きていない島を歩いて神社まで行ったのだ。真っ白い道に白いコートの▼は頭の色も相まって度々見失いそうになり、▼は何度も何度も転び、一騎は何度も何度も▼の名前を呼んで所在を確認していた。赤い目だけは雪の中にぽつんと目印のように浮かび、楽しそうにきらきら輝いていたのを覚えている。
ひとしきり神社で遊んで家に戻った時ふたりを待っていたのは二人の父親による説教だったのだが。それも▼がダウンしたために途中で止まり。一騎は自分の家に帰ってから父親から叱られた。……今でも朝雪が積もっているとその時の話を蒸し返されるので、今日史彦が不在でよかったのかもしれない。

「なぁ▼、神社寄って行かないか?」
「行く!」

 あの時と違って▼の体調は安定している、▼が倒れたりしても抱えて運べるほど一騎は大きくなった。何かあっても一番近いアルヴィスの入り口からメディカルルームに駆けこめる。島の状態だとか、二人の年齢だとか、変わったものは沢山あった。二人の仲が所謂恋人というものになった事に関しては、昔からずっと傍にいたからか、そこまで特別視するものでもないのかもしれないし。一騎も▼も昔から『何だかんだ傍にいるんだろうなぁ』と根拠のない思い込みがあったので、それが現実味を帯びてきたなという印象だ。勿論、そういう関係になったことは純粋に嬉しいのだが。……改めて意識すると妙に照れくさくなるので、普段はそんなに意識しないようにしているのだ、一騎は。

「朝からデートみたいだね」

 意識しないようにしているのに、どうして▼はこう平然と、意識してしまうような事を言うのか。一騎は道端の雪に頭から突っ込みたい衝動にかられながら『そうだな』と返して、繋いでいた手に力をこめた。
鈴村神社に行って、それから、それから、どうしようか。冬の海が見たいとこの間言っていた気がする、服も買いたいと言っていた。重いものがあるのなら自分が一緒にいるうちに買っておいた方がいい気がする。頭の中で考えているうちに、朝早くに家を出たはずなのにアルヴィスに行くのはかなり遅くなりそうで、剣司に健診を忘れているんじゃないかと疑われそうだと思った。
雪道に人の足跡が増えてきて、とうとう土が見え始めてくる。ここまでくると▼も転ぶ心配はないのだが、手袋越しでもお互いの熱が伝わってあたたかい手を離すのは惜しかったので、そのままで歩き続ける。▼は先程までと変わらず民家の屋根の雪や氷柱を指さしては楽しそうにしている。握っている一騎の手をぶんぶん振り回しながら普段あまり見えないその耳が、寒さからだろうか、赤くなっていて、少し新鮮だった。自分の耳も赤くなっているであろうことは、一騎も自覚していた。

「白いなぁ」
「白いな」

 それが寒さだけではないことにお互い気づかないまま、白い道を並んで歩いた。

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