いまではなくいつか笑うと思っていた/相馬



 モノノフ本部でほんの少し見た顔が目の前にあるので、▼は俯いた。秋の装いになったウタカタの夜は、虫の声がそこかしこから聞こえてくる。
ウタカタの隊長が百鬼隊と共に鬼を退けたという話は聞いた。本部での話し合いもだいたい終わったとすれ違った桜花が先程言っていたので、てっきり兵舎へ戻ると思っていただけに、この遭遇は▼にとって非常に心臓に悪かった。目を瞬かせていた▼にふっと口角をあげた相馬は『息災か』と言ったあと、▼の頭からつま先まで眺めた。

「まぁ、そのようだな。ウタカタの隊長からお前の事も聞いた。配属されてすぐオマガドキだなどと大変な目に遭ったようだが、無事で何よりだ」
「八年前とは、違いますから。相馬さんもお元気そうでよかったです」

 ▼は気分の沈んでいるような声しか出ないのだが、八年前と違うことも相馬が元気でよかったと思っているのも本当だ。ただ、相馬の前ではいろいろな事を考えてしまって、どうも気分が明るくならないのもまた事実。相馬はすでに慣れたのか、はたまた受け入れたのか、いたって普段と変わらない調子で話を続けていた。篝火が相馬の褐返の目を朱く照らしている。
その視線が優しい事を知っているので▼はなおさら足元を見た、相馬の袴に染め抜かれた百鬼隊の印が嫌でも目に入る。この優しい目を見ないように霊山からウタカタへ来たというのに、北の鬼は随分酷い仕打ちをしてくれる。

「薙刀はどうだ。もう随分と手に馴染んだとは思うが、何かあったらたたら殿に見て貰え。あの人の打った物だからな」
「えっ、そうなんですか!」

 相馬の言葉に思わず顔をあげた▼は、自分の使っている薙刀の事を思い浮かべた。ウタカタに配属になってから初めてたたらに武器を見せた時、たたらがなにか頷いていたのを思い出した▼はそこで合点がいった。あれは自分の作品だと解ったから頷いていたのか。たたらに武器を渡すと、いつも驚くほど使い良くなる。
 薙刀はモノノフになると決めた時、相馬が▼に渡したものだった。▼の兄と姉の遺品である薙刀を基に使い良い薙刀を、と霊山からウタカタに人を出した。そこまでしたのは、武器が良くなかったばかりに命を落とすということにはなって欲しくなかったのはもちろん、せめてそのくらいはしてやりたいという気持ちが強かったのかもしれない。霊山を離れることの多い相馬にしてやれることなど少なかったからだ。
 ふと、▼が相馬の名前を呼んでから、深々と頭を下げた。相馬にとって慣れ親しんだ空五倍子色の髪が流れていく。

「今更ですが、ありがとうございました。あの薙刀で大事なものを、守れているような、気がします」
「それは俺でなくたたら殿に言うといい。喜ぶぞ」

 下げていた頭をあげて『はい』と微笑んだ▼に相馬は内心驚いていた。
自分と話す時に笑うことなど八年前から少なかったからだ。理由はもちろん知っている。貰った笑顔があれば、奪った笑顔があっただけのこと。それについて相馬がどうこう言う事はなかった。その▼がモノノフになって何か変わったか、この里で何変わるようなことがあったのか……。どちらにしろ良い変化があり、良い成長をしたのだと思うと相馬も安心した。正直な所、東の最前線の里に行くと知らせを受けた時は不安もあったのだ、たとえそこに英雄であり共に戦った大和がいたとしても、だ。

「明日から北の鬼の捜索もはじまる。休める時に休んでおけ。武器が良くてもお前が動けんのでは話にならんからな」
「……はい。北からの道は長かったですよね、ゆっくり休んでください」
「そうさせてもらうさ。まともな寝床は久しぶりだからな」
 
 連日の馬での移動に野宿だ、布団で睡眠をとれること自体がありがたい。笑った相馬につられるように▼も少し笑ってから、お辞儀をして階段を降りていく。その後ろ姿を暫くその場で見送り、誰が笑顔を返したのだろうかと少しばかりそこで考えた。きっと自分には返せないものだった、だからその人物には感謝しなければいけない。友の願いに一歩近づいたのだから。ほんの一瞬目を伏せて、相馬も兵舎への道を辿り始めた。

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