赤だけを見ている/フェニックス


 ▼。
 彼女はこの街で審判を下すヴィータだ。彼女という天秤にかけられ、その皿が最も地に近かったものをフェニックスは処刑してきた。それが処刑人であるフェニックスの役割だったからだ。
 敬われ、恐れられ、疎まれるふたりの家は、比較的密接であった。幼馴染という関係がふたりの間にあった。それはフェニックスが自身をメギドと自覚し、それを▼に伝えてもなおそこに存在していた。
 今日はなにもない日だった。▼が人の罪に思考を回すこともなく。フェニックスが長年伝わってきた執行人の剣を振るうこともなかった。だから昔のように、街の外に出てなにをするでもなく隣にいる。真っ赤な夕日が二人を照らしている。

「フェニックス」

 昔のよう、ではないのは。彼女の口からでてくるものがヴィータの名前でなくメギドの名前であったり、昔よりもお互い肉体が成長していることだろうか。

「はい、どうかしましたか?」
「今日はソロモンさんの所へは行かないの?」
「毎日私の力が必要という訳ではありません。あの街と同じように」
「そう」

 フェニックスと同じ真っ赤な瞳が少し緩む。いつからかあまり表情が変わらなくなった▼の頬に触れようとして、いつもの装備だったことを思い出す。処刑人としての仕事がない日だというのに備えてしまうのは、職業病のようなものだろうか。ソロモンに突然呼び出されることを考えれば無駄ではないのだが。――なんにせよ、普段罪人や幻獣の血で汚れるもので彼女に触れることは、あまりしたくないと思ったのだ。
 そっと戻された手に気付いたか、気付かなかったのか。正面の景色からふっと視線をはずし、横にいるフェニックスの赤い瞳を見た▼は首を傾げた。

「ハルマゲドンというものは、防ぐことができるものなの?」
「どうでしょうか。しかし、防がなければ皆死にます」
「死ぬ……」

 それきり難しい顔をして俯いた▼はじっと爪先をみていた。フェニックスはその横顔を眺めながら、随分と長くなった髪の先をいじった。
 罪を裁くヴィータである彼女は、おおよそ罪のないヴィータだった。幼少から共にいたこともあり、フェニックスにとっては家族と同じようなもので。見渡せば悪人の多いヴァイガルドの中で、善人に分類されるヴィータだった。いまのフェニックスの「彼等が生きている間は平和を守る」、”彼等”のなかにあるもの。掌に納まる程度の範囲の大事なもの。

「苦しんで死ぬのは、嫌。フェニックスがするみたいに、苦しくないようになら、ちょっと良い」
「死ぬこと自体は受け入れるのは、貴女らしいですね」
「いつか死ぬことに変わりはないから。でも、本当にハルマゲドンが起きてみんな死んでしまうのなら。それが起きる前に、フェニックスに殺してほしい」

 殺してほしい、と言われたのは初めてだった。執行人は貴方がいいと言われたことは、何度かある。
 いまは人を裁く立場にあっても、いつかきっと裁かれるだろうと口癖のように言っている。それは▼の父がそうであったから。そしてその父親を裁いたのも彼女だった。だから▼はいつか自分に審判が下されると思っている。そしてその執行者は、フェニックスが良いと。
 そういう約束は、した。▼が罪を犯した時、罰を受ける時、執行をするのは、命を刈り取るのはフェニックスだと。そういう約束はしたのだ。だが、今回のこれは別物だ。
 一息置いて、フェニックスは口を開く。

「私の剣は断罪をするものであって、殺人を犯すものではありません」
「じゃあそれまでに、わたしは罪を犯すから。きっと貴方がわたしを殺してね」

 善人ではなくなるのだと言われた。
 なんでもないことのように、彼女は自分の天秤を放り投げる。▼の天秤は、自分が関わると酷く物が悪いようだった。公平ではないそれは、彼女の役割には不適切だろう。しかしそれを咎めることは、長い間できないでいた。

「……それが与えられた役割ならば、」

 自分はするのだろうなと、他人事のようにフェニックスは考えて、頷いた。
 後味の良い悪いはあれど。老若男女、どんな立場の人間であれ、どんな理由をもった人間であれ、そうして斬ってきたのだから。きっと相手が▼でも、自分はあの重い剣を振り下ろすことができるだろう。
 よろしくねと微笑んだ彼女の上から下まで、夕日が赤く染めていた。
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