スプーンひと匙/神崎颯馬


 震える端末のディスプレイに表示された名前に、わたしは勉強の手を止めペンを置きました。ひとつ、ふたつ息を整えて、画面をタッチします。

「こんばんは颯馬さん、どうかされましたか?」
『夜分遅くにすまない、▼殿。実は知恵をお借りしたいことがあるのだが』

 颯馬さんの言葉にわたしはまぁと頬を抑えます。颯馬さんのお力になれることでしたら。この▼、どのようなことでもお教えするのですが。如何せん未熟者です、颯馬さんのお力になれるかどうか不安ではあります。

『▼殿は”ふるーつぱーらー”に行ったことはあるだろうか』
「フルーツパーラー、ですか」

 つい先日足を運んだばかりの場所に首をかしげます。
たしかに颯馬さんは甘いのもはお嫌いではないですが、あまり颯馬さんと関わりのある場所のように思えなかったからです。わたしの声の調子で感じ取ったのか、颯馬さんがフルーツパーラーについて話し始めました。宣伝のお仕事がはいっているそうです。颯馬さんのユニットは和風、メンバーの鬼龍様や蓮巳様はあまり甘いものを頂く印象ではないのですが……そうです、つい最近友人のひとりが言っていました『ギャップ』というものが、良いのでしょうか。そんな思考から顔を上げます。

「1度足を運んでみるのが良いかもしれませんね。お店の空気も客層もよくわかりますし、メニューもゆっくり見ることができるので……」

 成程、と電話の向こう側で納得した様子の颯馬さんが小さく唸ると、ぐっと黙り込みました。どうかしたのでしょうか。余計な事を言ってしまったのかと少々不安になります。数秒そうして黙っていた颯馬さんが少し硬い声でわたしの名前を呼びました。▼殿、ともう十数年呼ばれ続けた名前は、他の誰が呼ぶよりも心地よく感じます。いつものように返事をして、次の言葉を待ちます。

『明日の放課後、時間はあるだろうか』

 ふるーつぱーらーに付き合って頂きたい。そう続いた言葉に、わたしは部活動の有無を確認するより先に、肯定しました。



 改札を通り、駅の大時計を目指します。
滅多に利用しないこともあり、電車というものはとても気力を使います。あの小さな箱の中にぎゅうぎゅうと詰め込まれる感覚はいつまでたっても慣れる気がしません。外が雨という事もあり、人の多かった息苦しさから解放されて、ホッと一息つきました。ですが電車を乗り越えたいま、あとに待つのは『颯馬さんとフルーツパーラーに行く』その重要な使命だけなのです。
目的の時計の下、しゃんと背筋を伸ばして立つ姿を見つけました。一度立ち止まって、身なりを整えます。セーラー襟は折れていないでしょうか、スカーフは曲がっていないでしょうか、髪は綺麗に結えているでしょうか。ひとつ、深呼吸して歩を進めます。

「颯馬さん、お待たせしました」
「▼殿。我もいま来たところである、気にすることはない」

 柔らかく微笑んで言う颯馬さんにわたしも微笑みます。
結局いつもこうして待ち合わせの時間よりずっと前に合流するのですが。今日の颯馬さんはいつもよりもずっと早くに駅についていたようです。手に持っている傘は雫の一つもついていないほど、すっかり乾燥しています。電車に不慣れですので、なにかあっては困ると早いものに乗りましたが、それは正解だったようです。颯馬さんが待つ時間を減らせたことは、良い事だと思います。

「目的のふるーつぱーらーだが、蓮巳殿に地図を頂いたのでそちらを見て行こう」
「まぁ、このお店。先日お友達と行きました。明るい雰囲気のお店で、女の子が多かったです」

 女の子が多いという言葉に一瞬表情を硬くした颯馬さんでしたが、「これも足を引っ張らないためである」とぐっと拳を握って前を向きました。手に持っていた地図がぐしゃぐしゃになってしまったのは、ご愛嬌でしょうか。幸いわたしも朧気ですが道を覚えていますし。端末で地図を出すこともできるので、問題はなく。なにより、駅からとても近い場所にあるので、たどりつくのは簡単でしょう。
 外の雨はずいぶん弱まっていました、颯馬さんの後ろでゆっくりと傘を開いて。その後ろ姿を追います。こうして颯馬さんの後ろを歩いているとき、ゆらゆらと揺れる髪の先をどうしても目で追ってしまうのです。触ってみたいと思ってしまう事もあるのですが、もちろんそんな恥ずかしいことはできません。 

「ここのようだな」
「席は空いているようですね、よかったです」
「……やはり女人ばかりであるな」

 小さなその呟きにくすりと笑ってから、お店の方に案内されて席につきました。前回来たときと変わらず明るい店内に、女の子たちの笑い声や話し声が絶え間なく溢れています。
旬の果物を使ったデザートの写真が大きく載せられたメニューを手に取って、それから通年のメニューを見た颯馬さんは難しい顔をしました。慣れない横文字ばかりですから、気持ちはわかります。メニューを見ながら難しい顔をしているその姿は、店の空気もありどこか可愛らしく思えます。
颯馬さんは和栗のモンブランパフェを、わたしはイチジクのチーズケーキを注文し。メニューをテーブルの端に置きました。元々お仕事の下見だからでしょうか、颯馬さんはたびたび店内を見回しては首をかしげています。

「▼殿はこういった場所にはよく来るのだろうか?」
「部活動のない日には、数人と足を運ぶことはありますね。いつも連れて行っていただいているので、わたしが詳しいわけではないのですが……あの、どうかしましたか?」
「いや。あちらの女人達のように、▼殿もご学友と楽し気に話をしているのであれば。我もその姿を見てみたかったと思ってな」

 随分と柔らかい表情でそう言われ、わたしは顔を覆ってしまいたい衝動に駆られました。だらしなくしているつもりはありませんが、女同士ですとやはり気が緩むのも事実。そんな姿を颯馬さんに見られてしまったら、きっとそれは、腹を斬るしかないでしょう。もちろんそれだけではなく、颯馬さんの緩められた瞳がとても優しかったので、熱くなってしまった頬を隠したかったからでもあります。

「そ、ういえば。お仕事はどういったことをされるのですか? やはり写真撮影でしょうか?」
「我はそう聞いている。普段縁のない場所ゆえ、どういったものか想像がつかなかったので、今回こうして▼殿にいっ……」

 不自然に言葉を切って頬を赤くした颯馬さんの視線を追って横を見、わたしは俯きました。
女の子も多いのですが、恋人同士も多い店内です、もちろん横の席がそういった方になるのは想定内ではあります、が。ひとつのパフェを二人で食べる。あまつさえスプーンで相手の口に運ぶという行為は、少々刺激が強く思います。いえ、仲が良いことは、たいへんよろしいと思うのですが。ほんのすこし、そう、ちょっとだけ、羨ましくはありますが。
そちらから視線を外したわたしも颯馬さんも、お互い何かを言おうとはするのですが、妙な沈黙が降ります。▼どの、と颯馬さんがわたしを呼んだ声に顔をあげると同時に、お店の方がトレーをもってこちらの席にやってきました。

「ご注文の和栗のモンブランパフェと、イチジクのチーズケーキでございます」

 目の前に置かれたパフェを目にして、今度こそわたしは顔を覆い。颯馬さんは口元を手で覆いました。
 
ALICE+