帰宅して早々リビングにある大型の椅子(寝台としても使われる家具だが、この家では専ら座ることにしか使われていない)に腰掛けたセノに近寄り、すんと鼻を鳴らした▼が「酔っぱらいだ!」と声をあげる。その声に視線を向けたセノの意識も返事も明瞭としており、一見酔っているようには見えないが、▼はその赤赤とした砂漠の色の奥に普段見られないぼんやりとしたものを見たのだ。多少酒の匂いをさせることはあっても、酔うまでは飲まないセノが……という驚きと、珍しいものを前にした好奇心が▼の内に芽生える。
「セノ」
いつも通り隣に腰かけてその腕に抱きつけば、セノもまたいつも通り▼の頭を撫でた。普段少しきつい印象を受けるセノの眦がなだらかな砂丘のように柔く下がり、大マハマトラという彼の職務から数歩も離れたものになる。
「▼」
優しさの滲む声に呼ばれれば▼の顔には笑みが浮かび、その頬にセノの少しだけかさついた唇が落ちた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
頬や額、位置を変えて繰り返される小鳥のような口付けにくすぐったさを感じながらも▼は大人しくそれを受け入れる。セノに触れることも好きだが、触れられることはもっと好きだ。物心がつくより前から共にいる存在は触れるだけで▼に愛されている、大事にされているという安心感をくれた。セノが与えるそれらは▼という植物が根ざす大地そのものだ。
「▼」
「わっ」
久しく寝台として機能していなかったところへ押し倒され、座面に乗り上げたセノが覆い被さることで影が出来る。遊ぶことが好きな犬が勢い余って飼い主を突き倒したようだと▼は思った。
先程は瞼や額や頬に落ちていた口付けが、今度は唇に落ちる。じゃれつくように何度も何度も重なって離れて、時折舌が入り込んだかと思うとひっこめられる。自分を射す赤い色が愉快そうに細まるのをみると、▼はなんだか落ち着かない気持ちになって思わず目を逸らしたが、そんなことは気にもとめず――或いはそれすら愉快なのか笑った気配を残したままのセノは口付けを止めない。
じわじわと熱を募らせていた▼が真っ赤になったころ、ひとつ額に優しく唇を寄せて、セノはようやく身を起こす。
「……酔っ払い」
「ああ、そうだ」
平然と答えたセノの瞳にもう酔いの影はない。
ばくばくと大きく脈打っていた心臓がようやく少し落ち着いた▼は、体の熱を逃す様にころんと寝返りをうつ。妻の少しだけ乱れた髪を撫でて整え、柔らかい茶髪の合間からのぞく赤い耳を見たセノは微笑み、大切な事を唇にのせる。
「ただいま」