甘いくちづけ

※極

 茶色にはさまれた黄金色、綺麗にカットされたカステラは末の八刻の甘味として用意されたものだ。ほんのりと甘い香りを前に、さて味わおうと末が背筋を正した時、入室の許可を求める声がかかる。この時間本丸のあらゆる者達はだいたい仕事の手を休めているはずで、そのように本丸自体の空気がゆるりとした時間帯というのは、末にとってはよくよく気の抜ける時間でもあった。故に、この時間に部屋に近付く者があれば外で側仕えの止めが入るはずなのだが、それがないとなれば急用か特定の刀剣男士だ。先程の低い声は随分と耳に馴染んでしまった太刀のもので、末は溜息を吐く。
「かまわないわ」
 休息の邪魔はいただけないが、初めの頃のように無礼にも勝手に障子を開けて入るようなことをしないだけ良い。静かに部屋に入ってきた鬼丸国綱に、さて何の話をされるのかと末はその隻眼を見た。
 暫く赤い瞳同士が見つめ合い、鬼丸の視線は末の前に置かれたカステラに落ちる。
「食べないのか?」
「あなたのようじがおわったらいただくわ。なにかようなのでしょう」
「あんたが食べるところを見に来た」
 何を言っているのだろう。鬼丸の真意が分からず、末は指先で唇をたたいた。顕現されたばかりで人への理解の薄い刀剣男士ならともかく、この鬼丸国綱は末が顕現してからそれなりに月日が経っている。そう、自ら修行に行くと言う程度には。鬼も人も肉体構造的にはそう違いがないので、鬼の体について知りたいというわけでもないだろう。他者の考えのすべてを理解する必要はないが、観察の対象が己であれば話は別だ。
「おなじものがたべたいのなら、よういさせるわ」
「違う、あんたが食べているところが見たい」
「ふゆかいなのだけれど」
「そうか」
 返事をするばかりで立ち去る気は無いらしく、座卓を挟んで座り込んだ。
 こうなると黙って刀剣それそのもののように動かなくなるというのは末も分かっている、物であるなら気にする必要もあるまいと、末は黒文字を手に取った。柔らかくしっとりとした生地に黒文字を沈めて食べやすいサイズにし、口へと運ぶ。遠征の帰りに前田が購入したそれは上品な甘さをしていて、同じように前田が購入したコーヒーによく合う。主の嗜好への理解や気遣いという点においてこの本丸で前田藤四郎を超えるものはいないだろう、末は前田のそのようなところをとても気に入っていた。
 ゆっくりと一切れのカステラを味わい、皿の上が黒文字だけになると、末は微動だにせず視線をよこしていた刀剣に目をやる。静物から生物になって、鬼丸の唇が動いた。
「あんたの唇は柔らかくてうまそうだ」
 末は納得する。納得して、随分と遠回りなことをと思う。いや、部屋に断りもなく入ってくるような男だったことを思えばよく学んだものだと褒めるべきなのか。「こちらにきて」と末が言えば、鬼丸は短い返事の後に末の隣に移動する、大きい犬のようだ。角を撫で、柔らかくて瑞々しい白髪に指を通してやると、すこしだけ長い睫毛が揺れて。それがやっぱり犬のようだと、末はこの鬼丸国綱というものがたまらなく可愛く思えてしまう。
「いうことがきけてえらいわね」
「犬じゃない」
「あるじがぜったいなのだから、いぬもかたなもおなじじゃない」
 主の物言いに鬼丸は眉を寄せる。座布団に座る末を覆うように距離を詰め、大きな手で顎を掴むとその赤い唇に噛み付いた。噛み付いて離れて、今度は人らしい口付けを落とす。くっついて離れてを繰り返す戯れのようなそれに、末の脳内には飼い主の顔面を舐め回す犬の姿が思い浮かんでいた。飼い主だいすき!と尻尾を振っている犬。あながち間違いではないかと、戯れてばかりの唇に舌をねじ込むと驚きに目を見開かれて、「くちづけをしたがるわりにひかえめなのね」と末はぼんやり思った。鋭い歯を舌先でなぞり、舌で舌をなぞる合間に髪を撫でてやれば心地良さそうに隻眼が細まる。犬だと思った。
 唇が離れると、ふんと鬼丸は鼻を鳴らす。
「犬はくちづけなどしないだろう」
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