障子の向こう、望月の鬼

 誰か、と部屋の外に声をかけようと開いた赤い唇はまた蕾にもどる。
 審神者となり、政府の用意した本丸に移り住んで二日目の夜。末が連れてきた側仕えは一度里へ帰ってしまったので、部屋の外には誰も控えていない。立ち上がったばかりのこの本丸には、本丸としての最低限の機能を担うための僅かな人間しかいないのだ、こんな真夜中に、誰が末の声を聞こうか。末は困ってしまった、何故なら、いままでそのように周りに人のいない環境にいなかったからだ。
 影が差す。
「何かあったのか」
 障子のむこうからの低い声にそちらを見やれば、月光によってできた黒い影が微動だにせずそこにある。人と変わらぬ手足のかたちに、頭には末の祖と同じような角のシルエット、しかしそれは鬼ではなく刀剣男士――太刀の一振がひとの形になったものだ。人の世で鬼丸国綱と呼ばれるそれが、向こうにいる。
「なにをしていたの?」
 質問を質問で返す。刀剣男士も休息が必要であると末は政府の者から聞いていた。この本丸にも刀剣男士達が休むための部屋があり、末の一番最初の刀である鬼丸国綱もその部屋に案内されていた。だから当然、彼は自分の部屋にいるものだと末は思っていたのだ。多くの生き物は夜に眠るから、人と寄り添って生きてきた刀達もそのようにすごすと考えていた。
 末の疑問に、一枚隔てた向こうから答えがくる。
「鬼が来ないか、見張りをしている」
「そとからはこないわ」
「じゃあ、あんたが外に出ないように見張っている」
 この本丸の鬼は末だ。末に連なる鬼以外は、外からはやってこない。
 布団から出て障子に手をかけると少しだけ外の気配が揺らいだ。純粋な人間のものと違う、布を撫でている時指先に妙なひっかかりを感じるような、そのような気配。開かれた障子の向こうには、穏やかな月光をうけて淡くひかる白髪と血のような鋭い赤い瞳があった。険しい表情は機嫌が悪いわけではなく、この鬼丸国綱という刀の平時のものらしい。切れ味の良さそうな刃だと末は好感を持っている。
「おにまる、いっしょにねてちょうだい。だれもいないからこまってしまったの」
「……お前はあの子供にも同じことを頼んでいるのか?」
 小さい子供というのは里に帰ってしまっている側仕えの事だろう、そのとおりだと末が頷けば鬼丸の眉間には皺が寄った。小さな子供のように同衾しろというわけではないのだ、傍に座っていてくれるだけでもよかった、言ってみても、依然鬼丸の顔は険しい。
「おれにそのような役割はない、一人で寝ろ」
「さみしいとねむれないわ……」
 素気無く返され末は目を伏せる。不思議だった、物というのは拒否するらしい、付喪神だからだろうか。願いを断られることなど珍しく、また末は困ってしまう。願いが通らないからといって癇癪をおこすような年齢ではないが、大人しく引き下がるほど末は厳しく育てられていない。見目だけなら儚げな鬼の姫は、最終的には全てを押し通してきたのだから。
「わたくしのおにまるは、わたくしのねがいをきいてはくれないの?」
 顰めた顔はそのままに、赤い隻眼が揺れている。まだたった数日しか共に過ごしていないというのにこのような拙い言葉で揺らぐなど、己を顕現した者というのはそんなにも彼らの中で存在が大きいものなのか、この鬼丸国綱という刀が絆され易い可能性もある。防具を外しているので直接触れられるようになった手の甲に、指先でそっと触れれば、生き物の温かさがあり、末はそのぬくもりにほうと小さく息を吐く。
 夜の帳のなかに溜息がひとつ落ちた。
「……部屋の外にいてやる」
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