誰か、と部屋の外に声をかけようと開いた赤い唇はまた蕾にもどる。
審神者となり、政府の用意した本丸に移り住んで一年と少しになろうか。いつも部屋の外に控えている側仕えには数日の休みを与えており、時折末の部屋の前にいる鬼丸国綱も今日は出陣していたからかそこにはいない。もう帰っていてもおかしくはないが、鬼丸は帰還が夜になると末が寝ていると思っているのか報告にこないのだ。とはいえ出陣等の本丸指揮をとっているのは末ではない別の人間のため、そちらに任務の報告がいっていれば問題はない。鬼丸が末に毎回出陣や帰還の報告に来るのは、あの刀の律儀さ故だろう。
くぅ、と腹の虫が鳴いて末は眉を下げた。
「おなかがすいたわ……」
布団にいても腹が満ちることはない、起き上がった末は軽く身繕いをして部屋の外に出た。
本丸の夜は静かだが、それはいちばん初めの頃のような何もいないしんとした静けさではない、生きているものが眠っていたり控えめに活動していることが分かる、温度のある静けさ。少し先では明かりがついているし、刀剣男士達の部屋が連なる場所もいくつか明かりが灯っている。夜に帰還したもの達はきっとまだ起きているだろう。末は少しだけ己の家の夜に似た、夜の本丸のひっそりとした生活感が好きだ。
いくつか角を曲がると目当ての場所にたどり着く。場所をしっかりと覚えていなかったので、無事に到着できるかやや不安があったそこは厨だ。末は本丸を案内された時から片手で足りるほどしか足を踏み入れたことがない、光が漏れているので誰かいるのだろう。
「だれか」
中にいた誰かの白い髪がふわと揺れる、ちょんと短くなった角、戦装束からジャージに着替えた鬼丸国綱だ。彼は末の姿を認めると、何故ここにと顔に書いた。ムスっとしているばかりではなく、言いたいこともちゃんと顔に出る、かわいらしいことと末は小さく笑って、言葉のない疑問に答えた。
「おなかがすいたの」
「あいつは……そうか、いないんだったな」
側仕えがいないことを思い出して溜息を吐く鬼丸に近寄り、末はその手元を覗き込んだ。彼の手にあるのはインスタントラーメンというやつだろう、一緒に持っているのはカットされた野菜の入った袋だ、「加熱用」と書かれている。これから夜食を用意するところだったようだ、夜に帰還したもの達の為に用意された食事があったはずだが、それを食べてもなお空腹だったのだろう。
「おにまる、つくって」
「うろちょろせず座ってろ、いいな」
末を追い出したりはしないし、末が調理などしたことがないことも分かっているので下手に手をつけさせない。物言いがぶっきらぼうで言葉足らずなだけで律儀で優しい刀だ、主の事をよく学習した刀でもある。
備え付けのテーブルに着き、末は厨のなかを見渡す。厨と少々古めかしい言い方をしているが、設備は現世と変わりない。朝早くから職員と一部の刀剣男士たちが忙しく仕込みや下準備、調理をし、後片付けが終わればまた準備をし……静かになるのは翌日の朝食の仕込みを終えた後だろうか。末が実際にそのような場面を見たことはないが、そのように動いていることは知っている、厨によく出入りする刀剣男士が誰であるかもだいたいは把握していた、本丸は末の領域であるからだ。
追加でインスタントラーメンを取り出し、鬼丸は袋入りの野菜を加熱するその傍らで湯を沸かしている。その手慣れた様子に、彼は今まで何回こうして夜食を作ったのだろうかと末はぼんやり考えた。前に髭切が鬼丸の料理についての話をしていたので、調理に関しては末よりよほど経験を積んでいるだろう。厨のなかで、何がどこにあるのかもだいたいは把握しているようで動きに迷いがない。
彼はこの本丸でいちばん最初の刀剣男士であるという自負が強い。自分からは近寄らないくせに近寄られたらすぐ懐にいれてしまう、面倒見や付き合いが悪いわけでもないので、末が思っているよりほかの刀剣男士たちの世話を焼いてきたのかもしれない。……まぁ、鬼丸のあとにやってきたのが髭切や祢々切丸だったので、さもありなんだ。
茹で終わった麺と粉末スープ(らしい)を溶かし終えたものを丼に移され、その上に加熱された野菜が袋をひっくりかえして乗せられた。くんと匂いを嗅げば、なかなかに食欲をそそる匂いがしている。末はラーメンと言うものの存在は知ってるが、末の家で出てくるような料理ではなかったため、食べるのは初めてだ。
「できたぞ」
「まぁ、ありがとう」
黒い丼に入った麺とスープ、盛り付けられた野菜、これがラーメンかとしばらく眺めていると、向かいの席に座った鬼丸が箸を手に「のびるぞ」と急かす。麺を啜る彼の様子を見る限り食べ方に作法はないらしい。手を合わせ、いざと口をつけるが恐ろしく熱い、目の前で平然と食べている鬼丸を何度か見て首を傾げながら末はふぅふぅと麺に息を吹きかけた、熱さもだが簡単に結んだだけの髪も煩わしい。そんな末の様子を見た鬼丸は無言で席を立つと末の背後に回った。
するりと末の髪が解かれる。月光のような白髪がひろがり、鬼丸の大きな手がそれを集めると普段前に流している髪もまとめてざっくりと編んだ。すっかり慣れたその手つきは、粟田口の短刀に囲まれている時に学んだか、祢々切丸相手に学んだかのどちらかだろう。
「動くなよ」
末とて、この状態では言われずとも動きはしない。己の頭からヘアピンを抜いた鬼丸がそれで末の顔周りの髪を留めていく、纏めそびれた細い束をそっと耳にかけるとほんの少しだけ頬を撫でて「これでいいだろ」と席に戻った。向かいから投げられる視線ににこりと笑えば、それでいいと言うようにまた麺を啜りはじめる。
審神者とそれに顕現された刀剣男士という主従に近い繋がりで、このように親しく食事を共にしていることが、末には新鮮だ。食事とは用意されたものを一人で、あるいは家族や客人と食べるものだったからだ。新鮮なだけで、嫌ではない。食べやすくなったラーメンを啜って、まぁこれも良いかと末は目を細める。
「おにまる」
「なんだ」
「またつくってちょうだいね」
「おれしかいなかったらな」