虚像は踊る
学院祭の賑やかさは夕日が沈むとともに落ち着いたものの、高揚した気分のまま生徒達はグラウンドに灯された火の前に集う。
無事にクラスや部活の出し物、学院祭を終えたその達成感。学院での思い出の確かな一ページになるであろう行事の締め括り。後夜祭がはじまろうとしていた。
ステージ衣装からいつもの紅い制服に着替えたZ組の生徒達も煌々と燃える炎をみつめる。
流れる音楽にあわせて踊る人間が増えていく。Z組の生徒は踊る者もいれば、グラウンドの端で賑やかな様子を見る者、クラスや部活に関係なく会話を弾ませる者。各々楽しんでいるようだった。
それをエリゼの横で見守っていたリィンだったが、「気になっている人を誘ってみてはいかがですか」とエリゼに言われると、その勢いに押されて一歩踏み出した。
よそよそしさが無くなったことは兄として嬉しいが。以前より押しが強くなったのは、普段一緒に行動している皇女殿下の影響だろうか……。しかしこれでエリゼのもとに戻ろうものならまた何か言われそうである、リィンは周囲を見渡した。
(メリル)
探していた人物がいた。
踊りの輪から外れたグラウンドの隅、ルーファスと話をしている。暗くてはっきりと見えなかったが、少々難しい顔をしているように思う。ルーファスと話をしていたメリルがふと相手から視線をはずし、目が合った……ような気がして、リィンは足を止める。
話が終わったのか、それとも切り上げたのか。彼女は淀みなくリィンのもとへと歩いてくる。そのことが嬉しいと思った。そんな自分に首を傾げるリィンに、メリルが声をかける
「リィンさん、踊らなくてもよろしいのですか?」
「……じゃあ、メリル。俺と踊らないか?」
炎が弾けるようにメリルは瞬きをした。驚いた顔をしているメリルに、照れくさくなってリィンは後ろ頭をかく。
「じゃあ、って言うとおかしいな。メリルはルーファスさんと踊るのかと思っていたからさ。相手がいなくて、メリルが良ければ、なんだけど」
音楽も終わってしまうから。少々言い訳じみているが、だいたいは本音だった。
『気になる人』と言われて真っ先に思い浮かべたのは。学院祭を楽しみにしながらも、それに参加できるかはわからないと言ったあの残念そうな顔。学院祭に参加できるとわかったときの、嬉しそうな顔。一日目に見た、熟れた果実のような赤い顔。Z組のステージが終わった後、舞台袖でみんなを迎え入れた笑顔。
全部、メリルの顔で。
気にしていたと思う。人を安心させることが得意なのに、どこか不安定さを感じさせる彼女のことを。どこかちぐはぐで、時折ひどくリィンの心をかき乱す彼女のことを。いつもどこか目で追っていた。
気にしていた。不明瞭な感情で。
「もっと紳士的にお誘いしてくださらないと嫌ですわ」
黙っていたメリルがつんとそっぽを向いて告げる。
どこか悪戯っぽい顔をしたメリルのその言葉に一瞬あっけにとられ。そして「最もだ」と笑ってから、リィンは恭しく手を差し出した。
「俺と踊って頂けますか?」
「ふふ、喜んで」
太刀を扱うリィンの硬い手に、メリルのほっそりとした白い手が重なる。入学したばかりの時より小さな傷の増えたその手を引いて、リィンは赤々と燃える炎の前まで歩き出した。
誘い、誘われて進み。流れる音楽にふたりでステップを踏み出す。メリルの明るい茶色の髪が炎に照らされて、さらに赤みを増す。数回ターンしたところで、リィンはどこか気が抜けたように笑った。
「ダンスなんて久しぶりだったけど、なんとかなりそうで安心したよ」
「そういえば、シュバルツァー男爵はあまり社交界にはお顔を出しませんし。リィンさんもそういった経験は、あまり……?」
「あぁ。俺も顔を出そうとは思わなかったし。エリゼのダンスの練習もあったから、一応は教わっていたんだけどな。メリルは危なげないな」
「わたくしは踊るより給仕の経験が多いのですけれど。この後夜祭のお話を伺った夜、少し不安でひとりで練習しましたわ」
お互い不安だったのかと笑って、音楽に身を任せる。
見知った顔もそうでない顔も、友人たちも、同じように踊っていた。夜空はすっかり星だけになって、パチパチと爆ぜた火の粉が天に昇っていく。
ゆっくりとしたテンポの曲が流れているのに、時間だけは早足にすぎていくようで。あるいは、いまこうして手を取って踊っていることへの照れを誤魔化そうとしているのか。とりとめのない話をしてしまう。
これでは踊りながら舌を噛みそうだと曲の合間に抜け出して、グラウンドを見下ろせる場所に並んで腰をおろした。
「わたくし、学院祭に参加できてよかったですわ。ううん、少し違いますわね。この学院に入学してよかった、そう思っています」
ぽつりと零された言葉にリィンも頷く。同じ思いだった。
士官学院に入学し。授業や特別実習を通して、いろいろな事を知ることができた。特別実習は特に大きかっただろう。帝国の実情、いろいろな立場の人間の意見。故郷に閉じこもっていては、けっして知ることも見る事もない出来事ばかりだった。
見方が変わったこともあれば、変わらないこともあった。自分自身が変わったこともあったし、なにより向き合うことができた。
このひとときが、すごした時間が。Z組という居場所が大切だと、そう思っている。
「あぁ。だから来年の後夜祭も、皆でこうしていられたらいいな」
メリルはどう思っているだろうか。随分と心を開いてくれたと思う。入学したばかりのころよりも、レグラムのあの夜よりも、ずっと。自分達を大切にしてくれていると思う、自惚れでなければだが。
柔らかい微笑みをみると、そっと心のふちを優しく撫でられているような気分になる。悲し気な顔は、なるべくしてほしくないと思う。時折ふと見せる、すべてに取り残されて置いて行かれた小さなこどものような顔は、見ていられない。
どこか壁がありながらも、どこか偽りがありながらも。それでもメリルは微笑み以外の色々な顔を見せてくれるようになった。それが嘘とは思えない。
「わたくしも、そう思います。……その時は、また踊っていただけますか?」
メリルが小さく首を傾げると、結ばれた髪も揺れる。先程リィンに誘われたメリルがそうだったように、今度はリィンが驚いた顔をする番だった。
この短い付き合いでもわかる。自分からそういった誘いをすることが少ないメリルから、その言葉が出たことに驚いた。いま話している相手がたまたまリィンだったから、リィンを誘ったのかもしれないが。それでも、心がざわつくには充分すぎる言葉だった。
炎の近くでないのに熱い頬を自覚しながら、リィンはメリルに微笑みかける。
「もちろん、喜んで」
蒼と翠の目が笑った。
炎と音楽と学友達。賑やかな光景はまだ続いていた。この先もずっと続けばいいのにと、頬を冷ますようにリィンは星空を見上げる。
その横顔を眺めて、メリルはそっと苦笑いを零す。
無責任な事を言ったと少し反省していた。帝国はきっと平和ではいられない、この学院も例外ではない。もちろん、己も。それでもこの眼下の光景は、隣にいる人は、まるで次があるように思わせる。空を焦がす前に消える火の粉のような、淡い幻想を抱かせる。
リィンに倣って星空を見上げたメリルの耳に、鴉の鳴き声が聞こえたような気がした。
::10/24、後夜祭。