剣の遊戯
「よっ、元気か」
パンタグリュエルの一室。ノックのあと、まるで学院にいた頃のように声をかけて入ってきたのはクロウだ。
肩の力を抜いたメリルは「飲み物をご用意しますね」とソファを立つ。それに入れ替わるように礼を言いながらソファに座ったクロウの寛ぎぶりに、メリルは少し笑いながらオレンジジュースをグラスに注ぐ。
パンタグリュエル滞在中にこうしてクロウが訪ねてくることは珍しくなく。メリルの部屋にはとうとうクロウ用のグラスが用意された。オレンジジュースは不思議な黒衣の少女・アルティナにと思って購入したものだったが、メリルの部屋にはそれ以外手軽に出せる飲料はなかったのだ。
「今日はどんなご用件ですか?」
「可愛い後輩とブレードでもしようかと思ってな」
「あら、可愛い後輩を負かしにきたのですか?」
「おいおい、もうちょっと勝つ気でいようぜ」
呆れたようなクロウの声を背に、マドレーヌを皿に移す。
それは船にいる予定だったクロチルダとマクバーンのために焼いたものだったのだが。クロチルダはカイエン公に呼ばれて船を出ていき、マクバーンはいつの間にかいなくなっていたため、こうしてメリルの部屋で保管されていた。
一つは自分で口にし、二つアルティナに渡した。残りはすべてクロウに出してしまおうと、貝の形をしたそれが皿に積まれていく。それ全部オレが食べんのかと小さな声が聞こえたが、聞こえなかったことにしてメリルはトレイを手にテーブルへ向かう。
「ブレードですか……」
トリスタにいた頃何度もクロウに負けている、メリルが勝ったことは一度もない。唯一勝ち星を上げたのは、リィンがメリルの横について一緒になってプレイした時だけだ。
今では、どこか遠い昔のように感じてしまう平和な日々。クロウも、そうなのだろうか。目の前の青年は、あまり寂しいだとかそういったものを感じさせない。隠すことが上手なのか、本当に感じていないだけなのか。恐らく前者だ。
十月のあの日、クロウと一緒に第三寮を出てから、随分と遠くに来てしまったような気さえする。帝国西部とパンタグリュエルを行き来する日々のなか、こうして部屋にやってくるクロウは帝国解放戦線のリーダーで、メリルは貴族連合の一員だった。それでもお互いに態度が変わるわけでもなく、ふたり揃えばいままで通り。教室や寮でしていたような会話をしている。
ブレードの束を切っていたクロウが、なんでもないように口を開いた。
「お前は、リィンのこと好きだったろ?」
「――え?」
「え、って、……あ〜、自覚なかったのか」
クロウの言葉にぱっと顔をあげたメリルは、その赤い目を眺めてからぱちぱちと瞬きをする。
好き。
きっとそれは、友情ではなく恋愛感情での好きをさしていた。メリルが、リィンを、好き。即座に否定はできなかった、それどころか思い当たるようなことばかりで。そのどれもが、リィンのことが好きだったから嬉しかったのだと、寂しかったのだと、楽しかったのだと、苦しかったのだと、理解してしまう。終わりかけのパズルのように、パチパチとピースが埋まっていく。
海に落ちた雫が、形をもつ。からっぽのメリルに注いでいたものが色づいて、名前を得る。
「すき……」
呆然と呟くメリルを見て、クロウはやっちまったなと心の中で呟いた。
メリルもリィンも。あからさまではと思うほど相手を意識していたように見えた。普段の学院生活であったり、寮での一コマであったり、実習先であったり。ふとした時に距離が近いとか、ずっと相手を目で追っているとか、そんなことはザラで。何かあると互いの心配をしている二人をみて、メリルの事情はわかりながらも「早くくっついちまえ」と思ったことは多々あった。
それがどうだ。目の前のメリルは『好き』という感情をいまはじめて理解しましたと言わんばかりの顔をしている。リィンの普段の朴念仁ぶりを見るに、あちらもきっと自覚はなかったのだろうなとクロウは溜息を吐いた。
「わたくしは、リィンさんが好き、なのですね」
すきと唇でなぞるだけで、胸のなかが滅茶苦茶に掻き回されるような、なにかを無理矢理詰め込まれて内側から破裂しそうな、暴力めいた衝動が湧く。体の内を巡った熱が、顔を熱くする。熱暴走をおこしてしまいそうだった。
もう笑い合えないかもしれないのだから、こんな気持ちは無駄なのだと頭のどこかが叫んでも、ただ胸が苦しくなるだけで、自覚してしまった感情自体は消えない。きゅっと、スカートを握る。
嬉しそうな、苦しそうな、二色の瞳が恨めし気にクロウを見た。
「酷い人。わからないままでいたら、楽だったでしょうに」
「ま、そんな悪いもんでもないさ」
「あら、ご経験が?」
「さて、どうかねぇ?」
からからと笑って、クロウは自分の手の中で放置されていたブレードの束を机の中央に置いた。
ゲームではないが、メリルとリィンはどちらが先手をうつのだろうか。リィンも他人に指摘されなければ自覚がないまま、向けている好意に気付いていないかもしれない。メリルはたったいま恋というものに気が付いたが、そう積極的にアピールするタイプではないだろう。無意識にぐいぐい行くリィンに慌てるメリルの姿というのは見ていて楽しそうだ。もし、リィンが自覚していたら? ……それはそれで、なんともからかい甲斐がありそうだ。
「さ、先攻を決めようぜ」
メリルとリィンが再び共に歩めるかはわからないが。
クロウは何となく、そうなると思っていた。メリルのリィンへの好意もだが、Z組という居場所への執着というものをこのパンタグリュエルにいても感じる。いつかこの船を出るか留まるか選ぶ瞬間が来たのなら……彼女が恩人のもとを離れる勇気がでたのなら、彼女は出て行くのだろうなと漠然と感じていた。
「勝ったらそうだな、なんでも1ついうことを聞くっていうのはどうだ」
「どうだも何も、クロウさんが勝つでしょうに。お好きにどうぞとしか返せませんわ」
「クク、それもそうか。……お、オレが先攻だ」
勝敗の決まりきった勝負ではあるが、相手も一応成長しているので油断はできない。まぁ、それでも勝敗は決まっているだろうが。
目の前のカードより、目の前の人間が挑む勝負の先に興味を惹かれながら、クロウは小さく笑った。
11月、パンタグリュエルにて