甘い誘惑


 寮全体が寝静まった頃。嫌に目が冴えたリィンがなにか飲み物でも飲もうと食堂の扉を開けると、調理場でなにか作業をしているメリルの姿。
 この時間にここにいる事もだが、いつも二つに結ばれている茶髪が背中に垂れているのを見て、珍しいなとリィンは心の中で呟いた。まるでその呟きが聞こえたかのようなタイミングでメリルが振り向く、「紅茶でもいかがですか?」と微笑む彼女に頷いて、誘われるまま厨房に一番近い椅子に座った。
 茶器を用意し湯を沸かす、慣れた手つきで行われる一連の動作。メリル本人が言っていたように、それは彼女の経験からなるものだろう。最近はマキアスの為か、コーヒーも淹れることが多いようで、共に珈琲豆を買いに行ったのは記憶に新しい。いまは、紅茶を淹れる以外にもなにかしているようだった。
 リィンはその後ろ姿から視線を外して、誰かがテーブルに忘れていった雑誌の表紙を眺める。
 何かが置かれる音にハッと意識を戻すと、ぼーっとしていたことを指摘するでもなく、メリルは見慣れた笑みを浮かべる。

「お昼に焼いたクッキーが余っていましたの。皆様には内緒にしてくださいね?」
「バレたらみんなに恨まれそうだな」

 こうしてメリルが振る舞う菓子を、Z組の生徒は好んでいるように思った。
 あのマキアスやユーシスでさえも毎回大人しく手をつけている。共に楽しむ飲料に関しては毎回諍いが起きるが、もはや第三寮の名物のようなものなので、まわりは苦笑いしながら菓子に手をつけるのだ。

「良かったらこちらにつけて食べてください」

 そう言って紅茶と共に置かれたのは、クリームチーズだろうか。なにかナッツやドライフルーツも入っているようだ、ほんのりとメープルの匂いがする。甘さが控えめなクッキーだったので、確かに合うだろう。合うだろうが。

「なぁメリル。いま何時だ?」
「まぁ、リィンさんがいらしたから用意しましたのに」

 食べてくれないのか、と二つの色が訴えてくる。これには弱い。なにせメリルはだいたいは善意で行っているからだ。
 幸い明日は戦闘訓練も入っていたはず、いまこの瞬間口にする分は消費できるだろう。
 意を決してリィンはクッキーを1枚取る。あまりたくさんのってしまわないように、クリームチーズを軽くひと掬い。隣の席に座ったメリルに差し出す。

「メリルも食べてくれよ。深夜のカロリー摂取の道連れだ」

 その言葉にぱちぱちと目を瞬かせていたメリルも、リィンと差し出されたクッキーを見てなるほどと言うように頷いた。
 きっとそのまま細い指がクッキーを受け取っていくのだろうなと考えていたリィンをよそに、メリルは口を開けてリィンの持っていたクッキーを食んだ。リィンがその行動に思わず指を離してしまってからも、今度はメリルの指に支えられてつつがなくその口のなかに入っていく。

「ふふ、いけない事をしているようでドキドキしてしまいますね」

 そうだな、と返した声に動揺が多分に含まれているのは、どうしようもないことだ。そう自分に言い聞かせて、リィンは自分のぶんのクッキーを掴んで、割った。

::第三寮にて



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