緋が沈むその後に


 ひとつ、情報局からの要請がおわって。リィンとメリルは数日ぶりに帝都ヘイムダルの舗装された道を踏んだ。
「トリスタまで送っていくか」というレクターの提案を、リィンは数秒考えてから断る。まだ鉄道が動いている時間だから遠慮したのか、TMPの車両で送り届けられることが嫌だったか、それとももっと別の理由か……。リィンとメリルの顔を交互に見て揶揄うように一瞬笑ってから、レクターを乗せた導力車は遠ざかって行った。
その場に残った二人はヘイムダル駅に掲げられた時計を見上げる。士官学院ではもう授業も放課後の活動も終わっているような時間だ。ヘイムダルにほど近いトリスタ行きの鉄道は本数も多く、この時間帯でも余裕がある。問題なく、帰れるだろう。
そう判断したメリルは荷物を持ち直して、リィンを見た。リィンの視線は時計でも、駅でもなく、どこかを見ていた。

「リィンさん。5分ほど待てば、トリスタ行きの鉄道がくるようですけれど」
「あぁ。そうだな、うん。」

 心ここに在らずといった様子のリィンにメリルは首を傾げる。今回の要請の内容は、さほど彼の気分を悪くするようなものではなかったとメリルは思っていた。もちろん、本人に聞いたわけではないので、確証はないが。では帰り道になにかあったかと先程までの記憶を呼び起こすが、特に変わった様子はなかった。普段通り、会話していた。メリルとも、レクターとも。
メリルと同じように荷物を持ち直したリィンが、メリルを見る。

「少し、帝都を見て行かないか?」
「はい。……でしたら、レクター様に荷物だけでもトリスタに運んでいただけばよかったですね」

 それもそうだなとリィンが笑ったので、メリルはほっと息をついた。先程ぼんやりとしていたのは疲れだったのかもしれない。
夕日でさらに紅く染まったヘイムダルを並んで歩く。リィンがメリルと同じような速さで足を運ぶ。
二年生になって、士官学院で紅い制服を着る人間がふたりになって、メリルがリィンの横を歩くようになって。隣にある横顔を見上げて、その視線に気が付いたリィンが「どうかしたか」と微笑んでくることに慣れて。そんなに時間は経っていないはずなのに、もうずいぶんと時間が経っているような気にもなる。メリルが自分の意思で生きるようになったからか、リィンと一緒だからなのか、時間の経過はいままでよりずっと早く感じた。それこそ、いま帝都を照らしている夕日が地平に消えて月が照らす、その入れ替わりのひとときのように。
行き先を決める主導権はリィンにあったが、彼に目的地は無いようにメリルは感じた。帝都の中であれば導力トラムがあるので、よほと入り組んだ場所でなければどこへでも行ける。少し目的もなく歩いても問題はない。

「なぁ、メリル」

 数歩先で立ち止まったリィンが振り返る。沈みゆく光を背負って、表情はよく見えなかった。
二、三回。リィンは唇をなにかの言葉の形にしたが、それは音を伴ってはいなかったので、メリルには届かない。やはりどこか体調でも悪いのかと心配になったメリルは、リィンとの間にあいていた数歩の距離を縮めた。すぐに手の触れる距離、光や影の影響をうけずお互いの顔がよく見える距離になって、メリルは立ち止まる。
二、三回。今度は瞬きをしたリィンが、口を開いた。

「トリスタには、明日帰ろう」

 帰る手段は、沢山あった。

「メリル」

 そこから口を閉ざして、リィンはメリルの指に指を絡ませる。大きさも体温も違う手が重なって、リィンの指は甘えるようにメリルの表面を撫でた。それらの意味することを、メリルは薄らと気付いている。そうであってほしいと、……期待、している。
思考がそこに行きついた時、まるで魚だったようにメリルは息の仕方を忘れていた。不器用に肺に空気を送って、縋るようにリィンの紫の瞳を見つめた。自分がどんな顔をしているのか、メリルはわからなかった。

「ガルニエ地区に行きましょう」

 安価な宿ではだめだった。従業員の口が堅くて、よくよく貴族も利用していて、そういう面では信頼のある場所。そういった場所を、いろいろな貴族の近くですごしたメリルは知っていた。
メリルの言葉に頷いて、繋がった指はそのままにリィンは歩き出す。導力トラム乗り場まで、なんでもないことを話す。自分達が不在のあいだの学院の様子であったり、一足先にトールズの格納庫に帰ったであろうヴァリマールのことであったり。不思議なくらい、いつも通りに会話した。
トラムを降りてからは、メリルの少しの道案内で目的地にたどり着いた。繁華街の少し奥にはいった道、華美ではないが安っぽくもない外観の建物。そこを出入りするのは、たいてい何かしらの地位のある人間だ。ここはスキャンダルの寝所だったが、それを起こさない権力と技術と人材がいる。そしてここで行うことを、メリルは知っている。
繋いでいた手が離れて。そのかわり、リィンの手はざわつく何かを宥めるようにメリルの背を撫でた。

「メリル、大丈夫だ」
「……はい」

 微笑んだリィンに頷いて。思ったより軽く開いたドアの先に進む。
フロントの従業員はリィン達の顔をみて少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を整えると口頭で部屋の案内をした。普通のホテルのようにホテルマンの付き添いは無い。当然と言えば当然だった。鍵を受け取ったリィンがメリルの手を引く。昇降機のなかは駆動音とふたりの息遣いだけ。先程まで普通に会話をしていたことが嘘のように、どちらも口を開かなかった。
ひとつしか無い鍵を手に指定された部屋へ進む。昇降機から部屋へのその短い道、メリルはどんな顔でリィンを見ればよいのかわからなかった。繋いだ手は体より前に、一歩遅れるようにして、メリルはリィンの背中を見つめて歩いた。ひとつのドアの前で立ち止まったリィンが、静かに鍵をあけてドアノブを握るのを、後ろから見ていた。

「リィンさん」

 内側から鍵を閉め。部屋に入って数歩進んだところで、メリルはずっと眺めていた背中に抱き付く。まだ、どんな顔をすればよいかわからなかった。
リィンのことが好きだ。これからこの部屋で行うことへの理解はある、……が、経験はないので不安だった。メリル自身が痛いのも苦しいのも問題はないが、リィンが喜んでくれるか不安だった。いつかこういうことをすると思っていた。メリルもそれを望んでいたし、自分を望んでくれたことが嬉しかったが。どこか、よくわからない恐怖があった。
色々な感情がぐるぐると胸を巡って、メリルは回した腕の力を強くした。広い背中に額を擦りよせる。いつも通りを意識したはずの唇から漏れた声は、メリルが思ったよりも震えていたように思えた。

「可愛がって、くださいね」

 リィンが低く返事をして、己の腹に回ったメリルの手に自分の手を重ねる。リィンの体温はいままでと変わらなかった。それにようやく、胸のざわめきや巡っていた感情が落ち着いて、メリルは身を委ねるように目を閉じた。ようやく全部リィンのものになるのだなと、漠然と思った。
 

::そういうこと



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