まよけむしよけ


 3月14日。世間ではホワイトデーと言われる今日その日、リィンは小さな紙袋を手に帝都行きの列車に揺られていた。家に置いておくと何かの拍子に見つかってしまいそうだからと、教官室のデスクにしまわれていたそれは、今日やっと役目を果たすのだ。中央駅からトラムに乗り、ライカ地区観光の中心となる大通りを外れた道を上機嫌に歩く。夕をすぎ夜にかかったこの時間はもう人通りも疎らで、静かなものだ。愛しの我が家がすぐそことなれば、足も速まってしまう。ドアベルを鳴らして、鍵を開けた。

「ただいま、メリル」
「おかえりなさい、リィンさん」

 奥から顔を出したメリルに、帰ってきたなぁという実感を得て、それを噛みしめながら微笑んだ。自室に荷物を置き、紙袋だけを手にリビングへ戻る。いつも通りソファにちょこんと座るメリルの横に腰かけた。いつも通り、日常、そんなふうに馴染んでいったものを時折ひどく幸せに思うのは、あの黄昏があったからか。遠慮がちに寄りかかってくるメリルの髪を撫でてから居住まいを正すと、メリルもすっと背を伸ばした。

「帰って早々で悪いんだが……。先月はありがとう、メリル」

 薄ピンクのリボンの結ばれた、紅い小箱。差し出されたリィンの掌に納まっているそれを、メリルはゆっくりと手に取った。開けてもよいかという視線に頷いて、リィンはメリルがリボンを解き、蓋を開ける様子をみていた。細くて白い指だった。だからリィンは選んだのだ。

「指輪……」
「ピンキーリングだけどな。薬指は、もう少しだけ開けておいてもらうことになりそうだから」
「そっ、そうですわね。はい、はい……。あの、つけてみても?」

 頬を染めてそう問われて頷かない人間がいるのだろうかと思ったが。指輪なのだ、折角なら相手の指にはめてみたい。そっとメリルを制して小箱を取り、指輪を持つ。
 華奢なピンクゴールドの輪に小さな紅耀石の嵌ったそれは、バリアハートのターナー宝飾店で注文したものだ。前々から贈りたいとは思っていたのだが、指輪となるとやはり贈るには少々、勇気がいる。ターナーに相談をしたのは2月初旬、時折バリアハートに足を運んで相談をして、完成品を引き取ったのが3月のはじめ。「次は是非婚約指輪を」とニコニコと見送られたのは記憶に新しい。
 戦いから離れたメリルの手は内戦や黄昏の時よりも滑らかで、見ていて安心する。自分よりずいぶん小さく細い右手を取って、そのまたさらに一番細い指に輪をとおす。思っていた通り、綺麗だ。じっと指輪を見ていたメリルが顔をあげる。リィンが思う平穏で、リィンが思う幸福をそのまま形にしたような笑顔がそこにある。それだけで心が満たされた。

「ありがとうございます、リィンさん。良いのでしょうか、こんなに素敵なものを頂いてしまって」
「ホワイトデーにかこつけてはいるけど、俺がメリルに贈りたかったからっていうのが一番大きいし。喜んでくれたならよかった」
「ふふ、とても嬉しいですわ。ですが、壊してしまったり失くしてしまったら悲しいですし、見える場所に保管しておくのが良いでしょうか……」
「いや、そこは普通につけていてくれると嬉しいな」

 メリルの心配もわからないではない。リィンも同じような心配をして分校で使えずにいる万年筆が数本ある。しかし指輪は、少し違う。装飾品だから身に着けておいてほしいという気持ちももちろんあるのだが……。リングの嵌った小指に、そっとリィンは口付ける。

「つける位置は違っても、少しは虫除けになるだろ」
「そ、れは」

 そうですわね。と紅耀石のように顔を真っ赤にしたメリルが、きごちなく言葉を紡いで、俯いた。
 

::同棲軸、いつかのホワイトデーのはなし



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