貴方色


 翌日は生憎の雨だった。
 大通りの石畳を雨粒がぽつぽつと染めていき、最終的にはざあざあと強くなり始めた雨に石畳の色は全て塗り替えられていった。洗濯物は急ぎの物だけ室内に干したので心配はないのだが、今朝家を出て行ったリィンは傘を持っていただろうかとメリルは頬に手を当てた。分校にも置き傘をしているはず、しかしリィンは人に傘を貸すということを躊躇わない人間だった。もしかしたら濡れて帰ってくるかもしれませんねとぼんやり考えながら、メリルは軒先で軽く傘の雨粒を払う、普段より人通りの少ないヴェスタ通りを軽く眺めてから、ハーシェル雑貨店のドアを開けた。
 この雨の中で出歩く物好きはあまりいなかったようで、閑散とした店の中、振り返ったマーサが溌剌とした笑みを浮かべる。

「あら、メリルさんいらっしゃい。酷い雨でしょ、濡れなかった?」
「ごきげんようマーサ様。少しだけ勢いが弱まっていましたので、それほど酷くは濡れませんでしたわ」
「この調子じゃ夜までずっと降りっぱなしね……。あぁ、タオルは使ってちょうだい、風邪なんかひかれたら旦那様に申し訳ないからね」
「それはその……お気遣いありがとうございます。では、ありがたく」

 受け取ったタオルで軽く水気を取り払ったメリルにマーサが声を投げる。その手には伝票が握られており、メリルがタオルをゆっくりと折り畳む間にもてきぱきとカウンターの上に紙袋を置いていた。カウンターの一角を占領したそれと、手元の伝票を交互に見たマーサが顔を上げた。

「前頼んでくれた東方とリベールの商品、今日で全部揃ったのよ。結構な重さだけど、持って帰れる?」
「大丈夫ですわ。ゆっくり帰れば問題ありませんので」
「こういう時に教官さんがいればねぇ、って、コレは内緒なんだったかしら」

 ドラゴンビーンズ、アゼリアのジャム、東方の茶葉、調味料、そのほかいろいろ。それらがまとまった紙袋を眺めて、メリルは微笑む。
 マーサが言うように、この買い物はリィンには『内緒』だった。なんでもない日だけれど、突然リベールや東方の料理を食卓に出したら、リィンはきっと驚いてくれる、そんな小さな期待。きっと喜んでくれる、そんな小さな願望。食卓を囲んだ時に見れるであろうその顔を見てみたくて、紙袋ひとつぶんの隠し事をしている。少々値は張ったが、本当に小さな隠し事だ。

「リィンさんに喜んでいただきたくて。ですが、東方の料理は上手に作ることができるのか、あまり自信がありませんわ」
「失敗しても笑って食べてくれそうじゃないか」
「それはそうなのですが。どうせでしたら美味しいものを食べて頂きたいですし……」

 ふと、窓の外から聞こえる雨音が弱いものになっている事に気付いてメリルは顔を上げる。マーサもそれに気が付いたのか、カウンターから少し身を乗り出して外の様子を窺った。外の雨の勢いは一時的にだろうが随分と弱まっており、石畳を叩く雨粒も柔らかなものだった。
 大きな荷物を抱えて帰るのなら今のうち。そう思ったのは二人とも同じで、急いで会計を済ませるとメリルは重い紙袋を抱えた。袋は厚いものが重ねられていたが、濡れてしまうとやはり心もとないだろう。マーサに感謝を伝え、店の入り口にある傘立てから紅い傘を手に取る。「そうだ」というマーサの声で振り返ったメリルに、マーサは自身の後頭部を指さした。

「そのリボンバレッタ、似合ってるわね」

 メリルの意識が自身の後頭部に向く。今日も緩くまとめられている灰色の髪を彩っているのは、傘と同じ紅い色。
 いまは姿すら見えない三日月のようにメリルの唇が弧を描き、蒼と翠がゆっくりと細められていく。まるでそこにリィンがいるかのように、リィンに向ける笑みを浮かべた。春の雨の奏でる音の中、やけによく通る声が店内を滑る。

「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいですわ、とても」
 

::同棲軸、「あなたいろ」の続き



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