夏、ふたりきり


 夏とは暑いものだ。
 上から浴びせかけられる日光はまるで火矢。風が吹いても生暖かいばかりで清涼感はない。校舎には空調設備の設置がはじまり、ラインフォルト社の人間が出入りしているが。リィン達の教室はいまだ夏の熱気に晒されている。貴族も多いこの学院に空調設備が無いことが意外ではあるのだが、「夏の暑さも鍛錬のうち」などという古めかしい呪詛が残っていたのかもしれない。
 しかし夏の暑さにそんな言葉で勝てるわけもなく、来年度はセドリック皇太子も入学を控えているということで、今この年に導入が決まったのだった。
 リィンは一年を通して涼しいユミルの育ちだったが、体を鍛えていることもありトリスタの暑さも耐えれないこともない。だが風のあるバリアハート育ちのメリルには、トリスタのほぼ無風、吹いても熱風という暑さは堪えるようだった。腕を枕にし、机に伏せる姿は普段のメリルからは想像もつかない。
 静かに息をする、いつもより解放的な首筋を汗がつたうのが見えた。

「暑いな……」
「暑いですわね……」

 わかりきったリィンの言葉を繰り返したメリルが身を起こした。暑いというだけで体力を奪われているのか、気だるげな空気を纏った姿は少々目に毒でリィンは目をそらす。
 放課後の教室はリィンとメリルしかおらず(気を利かせて出ていったのかもしれないが)、窓を全開にしてパトリックから預かったノートを前にふたりして要請を恨んでいた。もし単位が足りなかったらその時は政府のせいにしようと頷きあって、随分と進んでしまった授業内容の把握に努めていた。
 何回目かわからないメリルの小さなため息にリィンは眉を下げる。この恋人は随分と暑さに参っているようだ。寒いのも苦手だったと記憶しているが、ここまで酷くはなかった。

「大丈夫か?やっぱり寮に戻って、部屋でやったほうがいいんじゃないか。ロッテさんになにか冷たいものでも頼んで…」
「い、いえ、大丈夫ですわ。ただ、こう暑いと機甲兵に乗るのが憂鬱になってしまって。明日のことを思うと、少々……」

 憂鬱ですと顔に書いたメリルがため息をつく。
 明日からはまた共和国側、つまりクロスベルに行くことになっていた。期間は3日、前回ほぼ1ヶ月あちらにいたことを思えば短いものだが。ここ最近は要請続きでまともに授業に出れていないのだ。国境警備となれば機甲兵に乗ることは避けられない。機甲兵は鋼鉄の塊、内部は当然のように暑いのだろうなと考えてから。リィンはヴァリマールに乗っている時に熱いとも寒いとも感じなかったことを思い出す。
 ヴァリマールのコックピットにあたる心核は、霊的な位相空間だ。閉じられ、外の環境とは無縁のその場所。冬の寒さも夏の暑さも感じないのは当然なのだろう。

「ヴァリマールの中にいれば、涼しいんじゃないか……?」

 外が暑ければ暑いだけ、温度の変化というものが無さそうなヴァリマールの心核は涼しく感じるのではないか?暑さで鈍ったリィンの呟きに、メリルがゆるゆる顔をあげる。

「ヴァリマール様の中……」

 涼しいという単語より、ヴァリマールに乗れるのでは?という期待で輝く瞳がリィンを見た。
 となれば話は早い、リィンがノートと資料を閉じるとメリルも同じように机の上を片付けはじめる。どうせまた戻ってくるからと教室の鍵もそのままに校舎を出て、刺すような日差しの中を新設された機甲兵格納庫へ向かう。
 リィンの騎神であるヴァリマールとメリルが使うシュピーゲルはこの格納庫に収容されていた。カリキュラムのなかに機甲兵訓練が入ったこともあり、整備員もしっかりと雇われ常駐している。出入りする生徒はあまり多くなく、要請の前後に立ち寄るリィンとメリルは既に顔を覚えられていた。リィンは本人は不服ではあるが灰色の騎士として有名になっていたし、メリルもその外見から顔は覚えられやすい。今日も揃って格納庫へやってきた二人に、整備員が軽く手を振った。
 ヴァリマールの前に立つと、休眠状態だった瞳にぼんやりと薄緑の光が宿る。

「ドウシタ、起動者ヨ」
「少し乗りたいんだが……。そういえば俺以外も心核に入れるのか?」
「手狭ニナルダロウガ、問題ハナイ」
「そうか。じゃあ、頼む」

 了解シタ、と短く応えたヴァリマールの胸部のコアが光るとリィンとメリルを浮遊感が包む。リィンは慣れたものだが、メリルはどこか不安げにリィンの袖を掴んだ。
 一瞬の閃光のあと、リィンは見慣れた、メリルは初めてのヴァリマールのコクピットに移動していた。球状の空間の正面には自分達が先程まで立っていた格納庫、あたりには不可思議な模様が浮かんでいる。リィンはいつもの通り座席に、メリルは手すり付近からやや後方に伸びている足場に落ち着いている。
 リィンの感じていたとおり、心核のなかは暑くも寒くもないのだろう。しかし先程までいた外に比べれば涼しいくらいで、安息の地にふたりして長い息を吐いた。
 きょろきょろと中を見回していたメリルが正面の操作盤を見ようとぐいと身を乗り出す。急激に近くなった距離にリィンはどきりとしたが、平静を装ってメリルが見やすいようにと身をずらした。暑さで弱っていたのが嘘のように、きらきらと瞳を輝かせている様子はまるで小さな子供だ。腕周りの仕組みを見るためにリィンの腕を掴んで覗き込み、ぺたぺたと触る姿を微笑ましく感じながら見守る。

「やはり操作系統は似ているようですが、起動者とのリンクがあるぶん騎神のほうが感覚的なのかもしれませんね。随分と簡潔ですし」

 リィンの様子には気が付かずにうんうんと頷いていたメリルと、そのメリルを眺めていたリィンの瞳がぱちりと合わさる。途端、外の暑さを思い出したかのようにメリルの顔が赤く染まり、ぱっと身を引いて小さく謝罪をした。

「別にいいのに。それより、こっちに来た方がよく見えるんじゃないか?」
「そんな、退いて頂くのは申し訳ないですわ」
「退かないが」

 えっ、とメリルが声を上げてから困惑した顔をする、リィンの意図が掴めていないようだった。ぽんぽんとリィンは自身の膝を叩いて笑う。

「ここに座ればいいだろう」
「えっ……と、ですね。わたくしがこのサイドのパネルを上手く越えられるかわかりませんし」
「手伝えばいいだろ?」

 なにを当然のことをと言わんばかりの顔をしたリィンが体勢を変えてメリルに手を伸ばした。
 その手とサイドパネルを交互に見ていたメリルが、意を決して手を伸ばす。膝から乗り上げ、ゆっくりと座席側に体を滑らせる。最終的にリィンに飛びつくようにパネルを乗り越えたメリルは、リィンの膝を跨ぐ形で安堵のため息をついた。補助するようにメリルの体に添えていた手を移動させて、ひょいと自分の膝の上に座らせたリィンは満足気に笑う。

「じゃあ、メリルは思う存分ヴァリマールの中を見ていてくれ」
「お言葉には甘えますけども、この体勢は落ち着かないのですが……!?」

 夏の暑さで弱っている人間にべたべたと触れるわけにもいかず、暑くなってからというものメリルと身体的な接触は避けていた――いや、我慢していたが正しい。その滑らかな肌も指通りの良い髪も触れずに、目の前にあるというのに、最低限の接触だけですごしてきたのだ。暑さを逃れた今くらい、許して欲しいというのがリィンの言い分だ。
 手をメリルの腹部にまわしてぎゅうと抱き込み、久方振りの体温を感じ。目の前にあるふわふわとした灰色の髪に顔を寄せる。最初は恥ずかしそうに身動ぎしていたメリルもいつの間にか大人しくリィンのされるがままになっていた。すり、とリィンの指が動くとメリルの肩が小さく跳ねた。
 暑くも寒くもないはずの空間で、ほんの少しだけ暑いと感じる。

「起動者」
「!!」

 突然聞こえた機械的な声に、リィンもメリルも体を跳ねさせた。
 ヴァリマールのなかにいるのだから、ヴァリマールの声がするのは当たり前だ。そんな当たり前のことを忘れるくらい、目の前の人物に夢中になっていたことは否定できない。

「外ガ暗クナッテイルヨウダガ構ワヌノカ?」
「きっ……教室に荷物を置いたままですわ、リィンさん」

 ここぞとばかりにメリルが外に出ることを勧める。
 残念ではあるが、教室の荷物も鍵も放置するわけにはいかないし、格納庫と学院もずっと開いているわけではない。どちらにしろ一度は外に出なくてはいけないだろう、重ね重ね、残念ではあるが。
 リィンは立ち上がろうと腰を浮かせたメリルをぐっと引き寄せる。不安定な姿勢だったこともあり、小さな悲鳴をあげてリィンの膝に逆戻りしたメリルの耳にそっと唇を寄せた。

「――……」

 ぱくぱくと金魚のように口を開閉するメリルを見て笑ったリィンが、ヴァリマールに外に出ることを伝える。
 この空間に来た時と同じように浮遊感と閃光のあと、ふたりは格納庫に立っていた。わっと纒わり付く熱気と、遠くで聞こえる虫の声が先ほどまでいた空間とは違うことを告げている。また茹だるような暑さの世界に戻ってきてしまった、格納庫の窓からさす日は傾いてきている。見える木の葉は揺れておらず、風がないことがうかがえる。
 今夜も、暑くなりそうだった。

2年生、夏の日



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