Etre fleur bleue 後


 オルディーネからの念話でクロウは顔を上げる。
 予想より早いと思ったが、どうやら思っていた人物とは違うようだ。……それでも“動くかもしれない”とは思っていた顔だったので、わざとらしく溜息を吐いて部屋を出る。すれ違う兵士達を適当に労いながら昇降機へ向かった。 
 甲板。冬の寒空の下で、身を屈めてなにかをしている後輩に声をかける。

「パンツ見えてんぞ〜」
「へっ! って、クロウさん! もう、揶揄いましたわね」

 スカートを抑えて、工具片手に振り返るメリルに笑う。
 後輩はクロウが思った以上に根性があったようだ。ヴァリマールを拘束する四つのフックの内、二つはもうその意味を成していない。体に巻き付くワイヤーだけになれば、目の前の灰の騎神はいつでも飛び立てるだろう。
 三つ目を解体しようとしていたメリルは、暫く何の用だろうかと首を傾げてクロウの顔を見ていたが。自分がしていたことを見られていたと気付くと、ハッとして工具をそっと後ろ手に隠した。悪戯を見つかった子供のような反応に、クロウは声を上げて笑う。

「いや、隠すの遅いだろ」
「く、クロウさんでしたので、つい……」
「いいさ、元々止めるつもりもなかったしな。手伝ってはやらないけどな」
「あら、後輩が頑張っているのに見ているたけですか? これの遠因はクロウさんでもありますし。ヴィータ様やカイエン様にはどうせ叱られるのですから、少しは手を貸してくださっても良いのではないでしょうか」

 置手紙にクロウさんの名前を書いてきたので、そう続けたメリルにクロウは言葉を失くす。先輩の名前を勝手にだして共犯者にするとは、随分と逞しくなったものだ。
 それもこれも、ただ一人のためにしているとクロウは知っていた。恋だか愛だかは人を強くするとは聞くが、目の前の少女の進化は目覚ましいものがある。どこか自己犠牲的な部分はあるが、強くなったことは確かだ。

「あ〜クソッ。お前が書いたならカイエンのオッサンも信じるだろ。身に覚えのない罪になるとこだったじゃねぇか、先に聞いてよかったぜ……」
「いま手伝えば、身に覚えのある罪になりますわ。はい、そちらをお願いいたしますね」

 優しい声色だが有無を言わせない響きがあった。にこにこと笑って告げられてクロウは今度こそ深い溜息を吐く。
 ヴァリマールの背面に回り、フックを眺める。メリルは手にある工具で地道にフックをバラしているようだったが、クロウの導力銃であれば集中的に当てれば壊れるだろう。一番確実なのはオルディーネで拘束を外すことだが、流石にそれは周りにバレる。本当に言い訳ができなくなってしまう。……それでも手伝うことをやめないのが、まるであのクラスへの未練のようだ。
 懐から導力銃を取り出して、フックの具合を見ながら引き金をひいていく。

「よし、終わりだぜ」
「ありがとうございますクロウさん。こちらもなんとかなりそうですわ。これで、」

 これでリィンさんが帰れる。
 本当に嬉しそうな色をしていた。愛されてんなぁアイツとぼんやり思いながらクロウは立ち上がる。つられるようにメリルも立ち上がって、体に巻き付いたワイヤーを残すだけとなったヴァリマールを見た。
 二人の灰色の髪を、風が揺らしては去っていく。

「クロウさんに、ひとつ謝らなくてはいけません。本当は置手紙、していないので。……ごめんなさい」
「お前それはよ、もっと謝ってくれていいぜ」
「ふふ。少し楽ができました、ありがとうございます」

 晴れやかな笑顔。してやられたなとクロウも苦笑いした、怒る気すら起きない。十月に街道にいる彼女と通信したときのような、妙に穏やかな空気だった。
 それを破ったのは空間の焼ける音。何もないそこに炎が立ち上り、背の高い派手な色をした男が現れる。気だるげな空気を纏って、レンズの向こうからクロウとメリルを見た。

「マクバーン様、珍しいですね。このような所に」
「あ〜……なんか面白そうなのが上に登ってきてるみたいだからな」
「成程、動いたか。メリル、わかってんな?」

 リィンがやってくる、この甲板に。
 クロウはリィンを止める気はあまりなかったが、試してみたいと思っていた。騎神同士でなく、生身で。《C》だった頃、クラスメイト達と自分に挑んできた彼が、いまひとりでどこまで出来るのかを。そして、それは必要なことだ。ここでクロウに負けているようでは、この場を脱出したとても志半ばで膝をつく可能性が高い。それを教えなければいけない。
 メリルはまっすぐに向けられたクロウの視線を受け止めて、頷いた。

「……来たな」

 マクバーンの小さな呟きと同時に艦内と繋がる扉が開く。
 真っ白な髪と紅い瞳――鬼の力を解放したリィンが、アルフィンを抱えて甲板に駆けてきた。その視線が三人を捉え、立ち止まる。その姿をみてマクバーンは力の顕れ方に頷き。クロウは数時間前に話した時よりも元気になっているリィンに笑う。良い顔をしていると、素直に思った。
 一歩踏み出す。本来の得物であるダブルセイバーを手に向き合う。リィンもクロウに応じて、アルフィンに下がるように伝えると太刀を抜いた。メリルとマクバーンも手を出すつもりはなく、二人揃って後方に下がった。
 再び、蒼と灰がぶつかり合う。

 ***

 リィンの太刀がクロウのダブルセイバーを弾き飛ばす。
 届いた。リィンがそう思った瞬間、激しい胸の痛みと疲労感が襲う。強大な力は代償と共にあるもの、納得はしたが、あまりのタイミングの悪さに眩暈がした。
 思わず胸を抑えて膝をついたリィンに、アルフィンが慌てて駆け寄った。
 後方の扉からは撒いたデュバリィ達が追い付いてきている。前方には火焔魔人と、メリルの姿。彼女は敵ではないと思う。しかし、あまりにも実力が、人数が、違いすぎる。無謀が過ぎた、レオニダスの台詞に唇を噛みながらリィンはアルフィンだけでも守らなければと太刀を握り直した。
 せめてヴァリマールに乗れたのなら。そう思ったリィンが奥に視線を向けると、ヴァリマールの拘束が緩んでいた。いや、ワイヤーを固定しているフックが全て機能していない。それが、メリルがリィンを甲板に誘った理由なのだと気が付いた。最初からヴァリマールの飛行機能でリィンを逃がすつもりだったのだろう。多分、追手は彼女が想定していたよりも強く、多かった。彼女の誘い通りに、ヴァリマールに届いたのなら。いま、届くのなら。灰色の機体が跳ね返す光に目を細める。
 迫るのは焔。逆光で影になりながらも爛々と輝く金の瞳。『全部』混ざったというその男が正面に立つだけで、じわりと嫌な汗が浮かんで、落ちる。

「お待ちください」

 場にそぐわない穏やかな声のあと、リィンの前に蒼い影がさす。マクバーンからリィンを庇うように立ち塞がったのはメリルだ。リィンからはその背中しか見ることはできない。

「彼はルーファス様から預かった大事な客人、手荒な真似はお止めください」
「海都につくまで寝ててもらうだけだ。逃げる面倒もないしな」
「それを手荒というのです。彼も殿下も、わたくしが部屋へ送り届けます。どうぞ皆様、武器をしまってお戻りください」

 言い放つメリルの足が震えている。当たり前だろう、リィンでさえ恐れを抱くような相手に、普段から争い事は好まない彼女が真正面から向き合って怖くないはずがないのだ。立ち上がらなければと、強く思った。
 メリルは焦っていた。一旦部屋に戻ってしまえば、そこから格納庫へ連れて行くチャンスもきっとできる。そのためにはこの場を治めなければいけない。なるべく穏便に。少なくとも、今日明日には外からの動きがあるはずなのだ、リィンには動ける状態でいてもらわなければ。ぐちゃぐちゃの思考を必死に纏める。胸の前で組まれた手に、さらに力がはいる。
 クロウはそんなメリルの様子を見ながら、そろそろ彼らを引かせる頃合いかと首を振った。自分も協力しておいて何だが、今回ばかりは船に詰めている相手が悪かった。そう口を開こうとして、メリルの目がパッ見開かれたのを見逃さなかった。すぐに神経を研ぎ澄ます。パンタグリュエルが空を泳ぐ音とは違う、風を裂いて進む音を、クロウの耳が拾った。

「おい――!」

 周囲に注意を促すクロウの声と同時、パンタグリュエルの後方から紅い影が近付く。
 その場の誰もが空を、その影を見上げる中。メリルは振り返って、立ち上がろうとしていたリィンを支えた。リィンの手を握り、肩を支えて立ち上がらせる。紫と交わる瞳には緊張と安堵が浮かんでいた。
 「来ますわ!」とデュバリィが剣を構えると空から飛来したものが甲板に降り立った。リィンやメリル、クロウにとっては見覚えのある姿が四つ。前方、マクバーン達よりさらに奥に一つ。そして、聞き覚えのある陽気な声と共に甲板に浮かび上がった紫色の陣。リィンを呼ぶ声――メリルとクロウにとっては、懐かしい声達。

「きて、くれた」

 隣からぽつりと聞こえた、震える小さな声。
 支えるために触れていたメリルの手を握って、離した。もう大丈夫だと言うように。言葉がなくとも、彼女は小さく頷いた。
 人は揃ったが膠着した戦場に、蒼い鳥が降り立つ。深淵の魔女・ヴィータの使い魔。
 この場は譲る――正しくは見逃す、かもしれない。そんなヴィータの言葉で、結社や西風の面々は引き下がる。武器を収めていく彼らを警戒するサラやトヴァルの横で、クレアがアルフィンの手を取るとオリヴァルトの傍へ連れて行く。まるで対立するように、いや、対立しているのだが。それぞれが、それぞれの騎神のもとへ集っていく。
 ヴァリマールのもとへ皆が集う。メリルが一度離れてしまった場所が、そこにある。
 数歩前を歩いていたリィンがメリルを振り返る。

「貴方と、一緒にいたい」

 メリルの唇からぽろりとこぼれたのは、希うものだった。祈るような、縋るような顔をして、メリルの手がリィンへ伸ばされる。その少し震える手をリィンは掴んだ。空の女神が祈りを聞き届けても、今度はもう離れないように。
 くしゃりと、笑った。

12/13、幕間 後



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