Heart
カレイジャスがトールズ士官学院の生徒達に預けられた翌日。
突然預けられたあまりにも大きなもの――物理的にも、価値的にも。戸惑いながらもそれぞれが割り振られた持ち場での仕事を覚えること、慣れない飛行船に慣れることに必死だった。いまはまだオリヴァルトのもとに集った大人達が手を貸してくれているが、彼等もいずれはこの船を降りるのだろう。
そんな中でリィン達は作戦会議室で帝都の現状、これからの行動、オリヴァルトから頼まれた各地での依頼、散り散りになった学院生達の情報を纏めていた。
東部を巡回するうえで実働を担うのは自分達。先にできることがあるならしておきたいと、満場一致で行われたブリーフィングも終わり、リィンは休憩に出た甲板で大きく息を吸った。
RF社とZCFが共同開発した皇族所有の高速巡洋艦・カレイジャス。そのお披露目に立ち会ったことはあったが、まさかこんな形で再び乗船することになるとは。
甲板の船首付近に人影、見覚えがあるようで、あまりないその姿にリィンは近付く足を速めた。
「メリル!」
「リィンさん」
灰色の髪を揺らして振り返ったのは再びZ組として行動を共にするようになったメリルで。彼女が自分の姿を認めて微笑む姿に、あぁ戻ってきたのだなと改めて感じた。外見は随分と違うが、中身は自分達Z組と過ごしたあの時と変わらないのだと安心する。
横に立って流れていく雲を眺めていると、思い出されるのは昨日のパンタグリュエルでの出来事だ。そういえば、とリィンは口を開く。
「カレイジャスに情報を流してくれたのはメリルだったんだろ? ヴァリマールの拘束もはずれていたし」
「ええ。ですが、わたくしが何もせずとも殿下達はパンタグリュエルへ来ていたでしょうし。ヴァリマール様の拘束も解くまではよかったのですが、まさかあんなに追手がくると思わず……もう少し、上手くやれているべきだったのでしょうね」
「それでも」
パンタグリュエルの甲板。リィンを庇うように、震えながらもマクバーンと対峙していた姿を思い出す。立ち上がろうとした自分を支えた手を思い出す。皆のもとへ戻る時、小さな子供のように伸ばされた震えた手を思い出す。
震えていない、今、隣にある手を握る。
助けてくれて。戻ってきてくれて。また、一緒にいる道を選んでくれて。
「ありがとう、メリル」
色々な想いをのせてリィンの口から出た礼に、メリルは手を握り返すことで答えた。どうにも言葉か纏まらずに、喉で痞えてしまったからだ
船の進む速度に見合わぬ穏やかな風がリィンの黒髪を揺らしている、紫の瞳が優しく自分を見ている。それだけで、どうしようもなく胸がいっぱいになった。リィンとこうして話をしていることを、嬉しく思っている。リィンが自分を見てくれていることを、喜ばしく思っている。
パンタグリュエルでリィンと再会したときには「彼をどうにか帰さなければ」という気持ちばかりが先行していたからか。後になってどんどん湧き出てくる自分の感情の処理が追いついていなかった。これまでの事を、ようやく自分が選んだことなのだと認識できると。途端に嬉しい以外の感情も溢れだす。
それは、本人が知っているとはいえルーファスのもとを去ってしまったことへの罪悪感であったり。対峙した火焔魔人の身が凍える様な威圧感への恐怖であったり。一度は裏切ってしまったZ組への後ろめたさだった。――そして、もしあの時、もっと最悪な状態になっていたら。そんな想像への、それは。
震えた指先を感じ取ったリィンが何かを言う前に、メリルは繋がれた手をそのままに彼の胸に縋りついた。
「わたくしは、選びました」
Z組と、リィンと共にある道を、誰でもないメリルが選んだ。それを後悔しているわけではない。
「今更になって、わたくしは恐ろしいのです。あの甲板でもっと酷い失敗をしていたら、カレイジャスが来ていなかったらどうなっていたか、いま思うだけで恐ろしい。リィンさんが酷い怪我をしていたかもしれません。わたくしが選び間違えたら、そうなっていたかもしれないと、そう思うと」
これからも自分で選び続けていくことが、こわい。
風の音や機関音に掻き消されてしまいそうな恐怖で歪む声、俯いて震える小さな体。それらが、リィンには酷く痛ましいものに思えた。
つないでいた手を解いて抱き締める。宥めるように、安心させるように、ゆっくりと背中を撫でた。自分より幾分か小さい体はやはりただの少女で。その瞳から零れていくものを認めて、目を見開く。寂しそうな顔も、悲しそうな顔も見たことはあったが、泣かれたのは初めてだった。
「よかった、リィンさんが無事で、よかった……!」
リィンがぎゅうと抱き締める力を強くしたのを皮切りに、メリルがしゃくりあげて泣き始めた。嘆きも安堵もすべて涙にしたように、とめどなく溢れていく。蒼から、翠から、ぽろぽろと零れ落ちては頬を伝っていく。
どうしよう、とリィンは焦っていた。メリルが泣いている理由はわかる、彼女がそうやって泣いてくれることを嬉しくも思う、感情の発露を邪魔するべきでないとわかっている……のに、泣いてほしくないと思ってしまう。何度も背中を撫でて、メリルの震える体を感じて、流れていく涙を見て。やはり、泣いてほしくないと思う。
「大丈夫」
涙と風で冷たい頬を拭った、拙く言葉を並べる。
「何かを選ぶことを恐ろしく思うのは、当たり前だと思う。何だかんだ俺達はまだ子供で、想像がつかないことがたくさんある。力も経験も足りない。でも、選ぶのは自分だとしても、周りに誰かがいてくれるから、選んだ先に誰かがいるから。そういった恐れを乗り越えようと思える……んだと、思う」
自分で言いだしておいて曖昧になった言葉に少々情けなくなるが、リィンもまだ人にどうこう言える様な人間ではない。メリルと同じで、選ぶことを恐れる人間だ。
はらはらと落ちる雫をまた拭う。
「俺がメリルの近くにいる。君が何かを選ぶ時、一緒にいるから。怖い時は言って欲しいし、悲しい時はいまみたいに傍にいる。相談してほしい。なにか選び間違えたって、一緒になんとかできる。だから、大丈夫だ」
一緒にいるのなら、大丈夫。風の音にも機関音にも掻き消されないように、目を合わせて口にする。
またくしゃりと歪んだ顔から、ひと粒、ふた粒、涙が落ちて。そうして今度は、笑う。泣いてしまいそうな顔で、それでもメリルは笑った。いままでリィンが見てきた彼女の笑顔のなかで、きっと一番不格好なものだった。
不明瞭な感情がまたリィンを支配して、心臓を暴れさせる。
こんなに近くにいるのだから、メリルにも伝わってしまうのではないかとも思ったが。それ以上に、表情から目が離せなかった。涙を拭うために頬に添えていた手に、メリルの手が重なる。そっと、頬を擦り寄せられる。
「……一緒にいて、くださいね」
ぽたり、と零れたきり。それきり流れなくなった涙。
リィンの不明瞭な感情にメリルの涙が伝って、形を明確にしていったようなそんな気がした。蒼でも翠でもない透明の雫が、透明だった感情の外側を撫でる。
それはきっと、心臓の形をしていた。
12/14、幕間の翌日