こいごころ
カレイジャスの仮眠室。
ぱち、と目を覚ましたリィンは時計を確認する。予定していた時間より少し早く目が覚めたようだ。身を起こして、下で眠る人物を起こさないようにそっと梯子を下りる。
二段ベッドの下の段で眠っているのはメリルだ、そっと、ベッドの横に立つ。上の段の影になってはいるが、メリルの寝顔は和らいで見える。すやすやと寝息を立てる彼女の傍らにはミリアムが置いて行ったテディベアが寄り添っていた。身じろぎをして頬にかかった髪をそっと払ってやり、そのまま眺める。
仲間という贔屓目を抜きにしても綺麗な顔だった。「綺麗なだけの人形」とブルブランが言っていたが、確かにこうして眠っていると本当に人形のようだ。ローゼンベルク人形という恐ろしいまでに精巧な人形があるらしいが、それはきっといまリィンが目にしているものに近いのだろう。
メリルは人間だが。しかし少し不安に思って、リィンは指先でその頬に触れた。温かい。
「?」
人間であることを証明するかのようにメリルの唇が動いて、なにかを紡いだのでリィンは首を傾げた。
突然だったのでよく聞きとれなかったこともあり、そっとベッドの端に手をついて彼女を覗き込んだ。寝言だからそう重要なことではないとわかっていても、なんとなく気になってしまったのだ。そっと耳を澄ましても、メリルの唇が開くことはなく。
まぁそうだよな、と身を起こそうとしたリィンの耳がバタバタと何かが落ちる音を拾った。
「マキアス、どうしたんだ」
振り返った先。自動扉の向こうではマキアスがリィンを見て固まっていた。その足元には彼が落としたであろう備品が転がっている。
リィンの声にはっと我に返ったマキアスは「大丈夫だ、なんでもない」と言うと、ゆっくりと備品を拾い上げて仮眠室へ足を踏み入れた。メリルが寝ている事を目視して、静かに備品を所定の位置に置いていく。最初にみた時と寸分と違わない位置であることにマキアスの性格が窺えた。
てきぱきと仕事を終わらせたマキアスがリィンを見て溜息を吐くが、リィンは首を傾げるばかりだ。
「リィン、少し話をしないか」
「ああ。時間的にちょうどいいし、昼食でも食べようか」
「そうだな。というか君、起き抜けだろう」
「はは、空腹で起きたとこもあるからな」
そう言って笑うリィンと、それに小さく笑って返したマキアスは二人揃って仮眠室を出ていく。
一度だけ、リィンは後ろのベッドを振り返った。
***
「君、メリル君のことが好きなのか?」
食堂で振る舞われるニコラスの料理を前にしてマキアスから放たれた言葉に、リィンはグラスを持った手を止める。
好き、とは。
リィンを見て何度か視線を彷徨わせたマキアスは小さく咳ばらいをすると言葉を続けた。
「これは学院にいた時から思っていたんだが……。その、君はメリル君相手だと少々、距離が近いというか。あらぬ誤解を招かないかと見ていて心配になるんだ」
お節介とはわかってはいるが。そう言って、マキアスは目の前のオムライスに手を付け始める。とろとろの卵がスプーンで掬われて、消えていく。その光景を見ながら、リィンはマキアスの言葉をぐるぐると頭の中で処理していた。
「好き、って」
それは、友情ではなく恋愛的な好意をさしているのだろう。リィンがメリルのことを好いていると、マキアスはそう思ったということだ。
否定はできなかった、むしろどこか納得がいった。壁を感じて寂しかったあの時も、一緒に学院祭をまわったときにみた笑顔に感じた胸の高鳴りも、誰よりも真っ先に顔が思い浮かんだことも。ずっと、目で追ってしまうことも。一緒にいたいと叫ぶ心も。全部“好き”という感情が齎したものなのだと。
不明瞭なままずっとリィンの傍にあったそれは、多分、恋だ。
食事に手も付けずに額をおさえる。妙に体温が上がって、心臓の音がうるさく感じる。食堂のざわめきが遠のいては近付いて、マキアスの呆れたような顔だけがやたらと鮮明だった。
「まさか君、無自覚だったのか?」
「おかげさまでいま気が付いたよ。ああ、もう、待ってくれ。どんな顔して会えばいいかわからなくなってきたぞ。……マキアス、なんで笑うんだそこで」
「悪い、少し面白くて」
コーヒーを飲んで誤魔化したマキアスを恨めし気に見てから、リィンは溜息を吐いた。
自覚をしたら、いままでの事がまるで走馬燈のように浮かんで消える。すぐ迷子になるからと手を繋いだこと、瞳が綺麗だったから覗き込んだこと。誰かを起こすかもしれないからと肩を寄せ声を潜めたこと。傍にいてほしいと抱き締めたこと。先程までいた仮眠室、自分のすぐ目の前にあった、無防備な唇。
どれもこれも、なんでそんな距離で接していられたのかと今となっては不思議なくらいで。リィンはまた盛大に溜息を吐く。水でも飲んだらどうだとマキアスに勧められて、大人しく水を飲んだ。喉を流れていく冷たさが、熱い体には心地よかった。
「なぁマキアス、ひとつ気になったんだが。傍から見ていて俺はそんなにわかりやすく、距離が近かったか?」
「誰から見ても近かったと思うぞ。さっきも、メリル君にキスでもしているのかと思って焦ったんだ」
「キッ……」
だからマキアスも備品を落として固まっていたのか。納得はしたもののカレイジャスに負けないくらい頬を赤くしたリィンに、マキアスは今度こそ声をだして笑った。
リィンが思い出しては溜息を吐いている距離感を、他でもないメリルが拒んではいなかったのだろう。だからこそずっと近いままであったのだろうし。メリルがリィンに投げかける視線も他の生徒にむけるものとは違ったとマキアスは思っている。
それは彼女がZ組に戻ってきてからはより顕著だった。ああ、彼女もリィンが好きなのだろうなと感じた。……クロウがいたならば、二人揃ってからかわれていただろう。
いまの目の前でちびりちびりと水を飲んでいるリィンは、時折なにかを思い出しては呻いて頭を抱えている。リィンがここまでわかりやすく動揺することは珍しく、思わずマキアスもまじまじと見てしまう。折角ニコラスが腕を揮ってくれたオムライスが冷めてしまうぞと指摘したかったが、リィンにとって重要なことなのだろうし、とマキアスはコーヒーと、面白がる気持ちと共に言葉を飲み込んだ。
「マキアス。Z組のみんなは俺がメリルのことを、その、好きだっていうのは」
「わかっていないのはミリアムくらいじゃないか?」
仲が良いという認識はされているだろうが、ミリアムが恋愛的にどうとか考えているところをマキアスは想像できなかった。……そもそも、Z組以外にもそういう認識で見られているのだが、それはリィンには黙っておこう。
また唸り始めたリィンの後方、自動扉がぷしゅと音を立てて開く。リインの向かいの席に座っているマキアスは、当然食堂に入ってきた人物を視界にいれた。柔らかそうな灰色の髪が揺れた。
まずいタイミングだなとマキアスは至極冷静に考える。
「ニコラス様、お手伝いしますわ」
穏やかな声の持ち主をリィンの頭が認識すると同時、飲んでいた水で噎せる。いままで話題にしていた人物がやってきたのだから、噴き散らかさなかったことをマキアスは褒めたかった。ひとしきり咳込み、ぜぇぜぇと息をするリィンを二色の瞳が捉えて、ゆっくりと近付く。
「リィンさん、大丈夫ですか?」
「あっ、ああ。ちょっと変なとこに入っただけだから、もう大丈夫だ」
最初の『あ』が跳ねあがっていたことにマキアスは笑いをぐっと堪え。そんなマキアスに一瞬視線をおくってから、リィンはメリルと目を合わせた。どこか心配そうな瞳が覗き込んでいて、その瞳はリィンを反射している。
(近いのか? いや大丈夫だ、多分、これは一般的な距離で。普通の距離で、いや、ちか……近くないか?)
すっと視線を逸らしたリィンを見て今度こそ吹き出したマキアスに、あとで覚えていろとリィンは強く思うのだった。
12月、自覚