穏やかな午後
「メリル、何をしているんだ?」
「あっ」
しゃがみこんでいたメリルが声をあげると、リィンの足元を何かが通り過ぎていった。目でその姿を追いかける、猫だ。セリーヌではなかったのでケルディックに住んでいる猫だろう。茶色の尻尾はすっと物陰に消えてしまった。
ああ、自分が声をかけたから逃げたのか、そう理解したリィンが謝ると、メリルは残念そうではあったが気にしていないと笑う。
そのまま教会の前のベンチに並んで座った。
「警戒心が強い子でしたから、リィンさんが来なくてもきっと逃げてしまっていたと思いますわ」
「猫か……。そういえば、メリルはセリーヌと最近あまり一緒にいないよな」
メリルが猫好きであることは学院にいた頃に知っている。
だから、いま一番身近な猫であるセリーヌとあまり一緒にいないことは意外だった。寮にいた時はミルクやら魚やらを与えていたから、もしかするとセリーヌが喋るようになったことがなにかしらの原因だろうか。
ミリアムの連れているアガートラムを様付けし、子供にするように接しているメリルのことだ、もしかしたらセリーヌの事も猫として扱うことができなくなったのかもしれない。セリーヌは少々棘がある物言いをしたりもするし、関係が悪化していなければよいのだが……。
「セリーヌ様は、とても愛らしいです」
「綺麗だよな、いかにも美人な猫って感じで」
「わたくしも、再会してから何度かは触らせていただいたのです。ただ、わたくしの触り方がいけなかったのか『いい加減にしなさいよ』と言われてから、セリーヌ様が近寄らせてくださらなくて……!」
なるほど構いすぎたのか。
セリーヌに拒否された時のことを思い出したのか気落ちした様子のメリルを見ながら、無用の心配だったなとリィンは苦笑いを零す。セリーヌがメリル個人について悪印象があるようなことを言っていた覚えはないので、そこまで気にする必要はないように思った。たまたまメリルがセリーヌを見かけた時に、虫の居所が悪くて人間に近付きたくなかったとか、案外そんな理由かもしれない。
「まぁ大丈夫じゃないか? っと、噂をすれば」
ケルディックの石畳をとてとて踏み、水色のリボンを揺らして歩いてくるのはセリーヌだ。リィンに気が付いたのか顔を上げ、そしてリィンの横に座っているメリルの姿を認めるとぴんと尻尾を張った。その様子をみて、途端に雲行きが怪しくなってきたなと感じたリィンは、逃げられる前にセリーヌを捕獲する。
何事か言いながらばたばたと暴れる小さな体に、はいはいと適当に相槌をしながらベンチに戻ると、横ではメリルが目を輝かせていた。きっと、久しぶりに間近でセリーヌを見たのだろう。
「で、セリーヌは何でそんなメリルを警戒しているんだ?」
「アンタ、本人の真横でそれ聞くワケ?」
「わたくしも知りたいですわ」
張本人のメリルからそう言われると、セリーヌはぐぬと呻く。リィンの腕の中で居心地悪そうにしたあと、メリルに体を向けた。てし、とリィンの腕をセリーヌの丸っこい手が叩く。
「アンタね、アタシに触るのは結構だけど。この間みたいにずっと肉球プニプニプニプニプニプニ触り続けるの止めてくれない? あの後しばらく手から変な感じ抜けなかったんだから!」
てしてし、セリーヌが抗議するようにまたリィンの腕を叩く。メリルの二色の瞳がそれを追っていて、セリーヌの話は……半分程度しか頭に入っていないのではないだろうか。
リィンの思考を肯定するように、ふっとメリルの顔が柔らかく緩んだ。声に出さずともわかる、可愛いと思っている。顔に書いてある。それを、リィンは可愛いと思った。恋に気付いてしまえば現金なものだ。
「ちょっとアンタ、アタシの話聞いてる?」
「セリーヌ様が可愛いことしかわかりませんでしたわ」
「バ、バッカじゃないの! 聞きなさいよ、話を!」
「少々手を握っても?」
「ほんと話聞いてないわね!」
スッと自分の体が浮いたからかセリーヌが言葉を止め、そしてこの後起きることを察したのか濁点がつきそうな鳴き声をあげた。せめてもの抵抗というようにリィンの上着にばりばりと爪が立てられる。もちろん上着なので痛くはない。
裏切り者と声が聞こえたが、セリーヌがメリルを避ける理由が深刻なものではないと分かった以上、メリルの禁猫生活を終わらせてあげてもよいのではないだろうかという気持ちだった。……実際のところ、滅多に見られないような蕩けた顔が見られるからセリーヌに犠牲になってもらうわけだが。それはそっとリィンの胸の中にしまわれた。
べちん、尻尾がリィンの顔に叩きつけられる。
「あたたかい」
そっと、セリーヌを受け止めたメリルがその体を抱き締めた。
手袋を外した手がそっと背中を撫で始めると、尻尾を暴れさせていたセリーヌも鼻を鳴らしてから大人しくなる。とりあえず触れることは許可したようだ、リィンが無理矢理渡したのだが。引っ掻くことも噛むこともないということは、傷つける程嫌ではないのだろう。
「……アタシは寝るから、あんま足とか手ばっか触るんじゃないわよ」
「はい、セリーヌ様」
……嫌どころではなく、寝姿を晒す程度に心は許していたようだ。
セリーヌの言葉に嬉しそうに頷いて、自分の膝の上で丸まった黒猫をメリルは優しく撫でた。その様子を見てリィンも微笑む。内戦の真っ只中であっても平和な光景はあるものだ。はやく、それがずっと続くような。なんでもない平穏を取り戻さなければ。
そんなことを隣の幸せそうな表情をした人を見て思った。そんな平和な、午後の一幕。
12/18、休息日 ねこ