降雪
一月、内戦が集結したばかりの帝国は落ち着かない。
トールズ士官学院も大半の生徒が学院に戻ったが(一部の貴族生徒は家の都合などで中々戻ってこれないようだ)授業は以前の通りとはいかず、連日「自習」の二文字が黒板に書かれている。
今日も午前授業のすべてが自習となり、リィン達Z組もサラのいない教室で各々の勉学に励んだ。
アリサは経営についての本を読み、ユーシスも毎日のように届けられる手紙に目を通しては頭が痛そうに眉を寄せ、マキアスも分厚い参考書を何冊も机に置いてペンを走らせていた。
リィンはというと黒の史書への理解を深めるために歴史書を読み、時折視線を向けた後ろの席――ようやく見慣れた灰色の髪をしたメリルは機甲兵の設計図やデータを纏めた資料を前に難しい顔をしていた。
正午を告げる鐘の音に皆それぞれ教室を出ていく。
一番出ていくのが早いのはミリアムだ、次いでアルバレアの使用人とのやり取りのためにユーシスが出ていく。教室に三人が残るだけとなった時点で鍵を任せてもよいかと申し訳なさそうにするエマに頷いて鍵を受け取ったリィンは、まだ紙面と睨めっこをしているメリルを己の席から眺めた。
「……」
髪の色が違っていても顔の形が変わる訳ではない。
相変わらず綺麗な顔だなとぼんやりと思いながら、メリルの向こう、窓の外をちらちらと舞う雪を目に留める。朝よりも分厚くなった灰色の雲、もしかしたらこの後酷く降るかもしれない。トリスタはユミルほど降雪量があるわけではないが、天気が悪くなる前に寮に帰るのが良いだろう。
リィンは寒さが苦手な彼女の名前を呼ぶ。
「そろそろ帰ろう」
「……えっ、あっ、すみませんリィンさん!その、わたくしを待って頂かなくとも大丈夫でしたのに」
「俺がエマに鍵を任されたんだ。それに、俺が待ちたかっただけだしな」
帰ろうと再び言えばメリルは慌てて机の上を片付けはじめ、それに小さく笑いながらリィンは窓の鍵を端から確認する。端から端に辿り着くまでにメリルは帰り支度を終えて大人しく扉の前に立っている。
教室を出て鍵を閉め、教官室に鍵を返してから昇降口に向かう。道中、他愛のない会話は不思議なくらい心を穏やかにした。
ここ最近何となくメリルと二人で行動するようになったのは、勿論二人の間柄の変化もあるだろう。要請の関係で話すことが増えたこともある。しかし一番は、Z組の生徒達が少し早くこの士官学院を去ろうとしていることを知っているからかもしれないとリィンは思った。
疎外感というわけではないが、うっすらと寂しくて。メリルなら分かってくれるだろうかと言葉に出さないくせに近付いた。メリルはそんなリィンに何も言わずに寄り添うものだから離れ難い。
そのメリルがこの先学院に残るのかどうするのかを実はリィンはまだ知らない。寂しさで寄りかかってしまった手前、聞くのは少し恐ろしかった。
「リィンさん」
学院の敷地を跨ぐかどうかの地点でメリルに名前を呼ばれる。何かと見れば、メリルは何かを言おうとして口を開き、それから躊躇うように視線を逸らしてから閉じる。雪が睫毛に積もる様を見ながら、リィンはメリルの真意を理解しようと様子を窺った。
内戦が終わってからこうした動作が増えたように思う。
メリルは自分の考えなどを伝えることにまだ慣れないようで、何か言おうと口を開いても最終的に「なんでもありませんわ」といつもの微笑みで口を閉ざしてしまうことも多い。もどかしくもあるが、伝えようとする姿勢が見られることは喜ばしかった。
鞄を持っていないメリルの少し冷たい指先がそっとリィンの手の甲に触れる。
「寒いので、手を繋いでもよろしいですか?」
「あ、ああ。もちろん」
少し拍子抜けしながら、リィンはメリルの手を握った。
その瞬間、本当に嬉しそうにメリルの目が細くなったものだから、リィンも頬に触れた雪の冷たさを忘れ。その指先を温めようと握る手に少しだけ力を込めた。
昨晩の雪が残りちらほらと白くデコレーションされているトリスタの街並みを手を繋いで歩き、公園にさしかかった時、隣を歩くメリルが何かを言おうとしたので、リィンは今度は話を促すことにした。
「どうかしたのか、メリル」
「リィンさん、わたくしは来年度も学院に残ろうと思います。リィンさんは……どうされるのかと、気になったものですから」
メリルの言葉の前半にリィンは酷く安心する。来年度もひとりではないのだと、このぬくもりの隣にいられるのだと分かって安堵のため息が出そうだった。
そしてはたと気付いたのは、自分自身がどうするかをまだメリルに伝えていなかったということだ。
現状、帝国政府はリィンを大人しく学院に通わせている(要請で連れ回されはするが)。「この学院にいる限り生徒である君を守ることができる」と先日ヴァンダイク学院長に言われたし、いま皆と同じように士官学院を卒業しても、その先の道をリィンはまだ見つけていなかった。それならば、二年生として過ごす一年間で己の道を見つけられたらと、そう思った。
……煌魔城であの話を聞いた後だ、ユミルに帰ってもどういう顔で両親に顔を合わせれば良いのか分からないというのも、学院に留まりたい理由のひとつなのかもしれない。
「俺も、このまま学院にいるつもりだ。その後どうするかは……何も決めていないけどな」
「ふふ、わたくしもですわ」
リィンの瞳から空から降りてくる雪に視線をやって、メリルがぽつと呟く。
「まだリィンさんと一緒にいられるのだと、安心しました」
「まだはおかしいんじゃないか?俺は卒業してからもずっと一緒にいるつもりだったぞ」
「それは……」
困ったような嬉しいような曖昧な笑みを浮かべたメリルにリィンも曖昧に笑う。
こうしたい、ああしたいと思っても、結局先のことなどわからない。それをリィンに気付かせたのはいつかのメリルだったが、本人にその自覚などないらしい。
ふ、と息を吐いたメリルの唇が今度はしっかりと微笑みの形をとる。繋がれた手の力を強めたのがどちらだったのか、リィンはわからない。
繋がれた手の力を強めたのがどちらだったのか、どちらもだったのか、互いの体温を逃さないようにぴたりと組みあった手は体温以上にあたたかい気がした。
「あたたかいですね」
「そうだな」
灰色の空から降る雪は、やはりその勢いを強めていた。