君の唇はまるで凶器
「リィンさんは素敵だと思います」
ばら色の頬をして話す姿は恋する乙女そのものだ。菫色をしたカクテルにうっとりと瞳を細めて、ここにいない人物に瞳を輝かせる姿にマキアスはため息をついた。
ルーレでばったり会い、折角だから食事でもどうかと誘ったのはマキアスだ。もちろんメリルにリィンという恋人がいることは重々承知している、しかしリィンとメリルを見ていると、二人きりで食事したところでなんだという気持ちにさせられるのだ。リィンの心象は兎も角、二人の関係をどうこうする要因にはなりもしないだろう。なにより、マキアスはメリルに級友以上の気持ちはない。
「先日、リィンさんから花を頂きましたわ」
「グランローズだったりするんじゃないのか、それ」
「まぁ! すごいですわマキアスさん。そう、グランローズを十一本。ふふ、知っていますか。十一本の薔薇の花言葉は『最愛』なんだそうです」
にこにこと、普段よりも随分お喋りな様子から酔いが回っていることがわかる。口数が少ないわけではないのだが、その性格からいつも人の話に耳を傾けて相槌を打っていることが多いメリルが、こうして自分から色々なことを話しているのは珍しいなと思う。Z組であるマキアスが「珍しい」と感じるのだから、他の人々からしたらこんな機会はないのかもしれない。
……だが、メリルの話す内容といえば九割リィンに関係することだ。恋人で、しかも同棲しているのだから当たり前なのだろうが、メリルが自分のことを話さずにリィンの近況ばかり話すので、マキアスはこの一時間程ずっとリィンの話を聞いている。あまりにも幸せそうに話すものだから、なんとなく止め所を見失っているのだ
「リィンさんは、素敵だと思います」
それはさっきも聞いたぞ、とは返せずにマキアスはグラスを傾けた。ダイニングバーに入り、酒を注文してからというものずっとこの調子だ。
「目が、とても優しいのです。ユウナさん達や学院のみなさんを見る瞳とも、Z組のみなさんと一緒にいる時とも違う色をしていて。……わたくし、愛されているのではないかなと思ってしまいます」
「メリル君が愛されていなければ誰が愛されてるんだ? で、まだあるんだろう」
「あら、聞いていただけるのですか?」
「ここまで聞いたらあと何を聞いても一緒だろう。君も珍しく色々話してくれるし、今度リィンをからかう話のネタにでもさせてもらうさ」
「ふふ、あまりリィンさんで遊ばないであげてくださいね」
「僕が遊ばれていることのほうが多いんだぞ。たまには許されるだろう」
ため息をついたマキアスに笑いながらメリルは言葉を続けている。昔の自分だったら貴族であるメリルの話を好んで聞こうなどと思わなかっただろうし、メリルもマキアスにすすんで話をしなかっただろう。マキアスもメリルもZ組という場で随分と成長したのだろう、こんな場面で感じるとは。マキアスは小さく笑った。
「少し過保護だなと思うことはありますが、手を繋いでいただけることが嬉しいですわ。わたくしの手より大きくて、ごつごつしていて。普段太刀を握っているので、やはり硬いのです。教官になってからは右手の……そう、このあたりが学生の頃より硬くなっているのですよ」
マキアスの手に触れて笑うメリルは誰が見ても綺麗だろう。しかし酔っているとはいえこういった接触を赤の他人にすれば勘違いされかねない、メリルの酔いが醒めたころに控えるように伝えておかなければなとマキアスはそっと手を離しながら思う。真面目、とからかうようなクロウの声が頭の中で聞こえた気がした。
綺麗に赤く塗られた爪がグラスのふちをなぞる。
「リィンさんと一緒にいると、わたくしは生きているのだと思えるのです。いえ、生きているからこうしてマキアスさんと食事をしているのですし、当たり前なのですけれど。空恐ろしいくらい満たされているいまを、どうあらわしたらよいのか……」
「素直に『幸せ』でいいんじゃないか?」
「そうですね。幸せですわ、わたくし」
リィンさんと出会えたことも、リィンさんを愛したことも、愛されたことも。そう続けて、ハッと顔を上げる。グラスをひっくり返しそうな勢いでマキアスの手を取ったメリルは酔いの回った赤い頬で真直ぐにマキアスを見た。
「マキアスさん達と出会えたことも、とても大事に思っていますわ」
「君、そういうところはリィンに似てきたな」
マキアスの言葉にぱちぱちとメリルは目を瞬かせ、握っていた手を離すと己の頬を包み、満更でもないと書いた顔で「悪くないと思います」と小さく呟く。もちろん、その呟きをひろったマキアスは呆れ混じりに笑った。
惚気話ばかりなんてきっと些細なことで。本当は、今目の前で彼女がしている呼吸だって、リィンのためにあるようなものなのだろう。本人達がどうかはわからないが、マキアスから見てリィンとメリルは水と魚だった。メリルが言う通り、リィンがいるからメリルが「生きている」ような、そんな風に見えるのだ。生きている事が愛の体現であると、いままさに目にしているような気になる。
「僕も酔ったかな」
そうでなければきっと、いまも菫色を愛でる瞳に中てられたのだ。
***
「俺と一緒にいると、生きていると思えるんだと」
アルコールがまわっているのか、平時より頬を赤くしたリィンが菫色のカクテルの入ったグラスの淵をなぞる。普段ならこの状態のリィンの話を聞く役割はクロウが押しつけられているのだが、今日はそのクロウはいない。眉間に皺をよせてユーシスが溜息をつくと、リィンは不服そうな顔をした。
「近況を聞いてきたのはユーシスじゃないか」
「何を勘違いしているのか知らんが。お前のそれは惚気だ」
「最近俺がメリルに言われたんだから近況だろう」
話にならんと自分のグラスを傾けて、それでも一応半分はリィンの言葉を聞く。そんなユーシスを気にした様子もなくリィンは言葉を続ける。
「すごく嬉しそうに笑って言うんだ。俺は帝都の美術館でもセントアークの美術館でもあんな綺麗なものは見たことがない。すごいな」
リィンが惚気ることは普段通りではある。酒が入っていようといまいと、さらりと惚気話をしてくる男だからだ。
付き合いの長いZ組の面々でも、時折呆れの眼差しで見ることがある。しかし皆、色々あった男であることは承知しているし、そんなリィンが己の平穏を語る事を強く止めることは(時と場合にもよるが)できなかった。
「……胸焼けがしてきた」
「大丈夫か? そんなハイペースで飲んでないだろう」
「安心しろ、お前のせいだ」
悪びれていない謝罪を受け取って、ユーシスは緩みきった菫色の瞳を見た。喜色満面の笑みでグラスを傾ける姿は、ユーシスと共にこの店に入った時から変わらない。……変わらないのは、おかしい。アルコールの回ってきている頭でじっとリィンを注視して、気が付く。
「ずっと同じ物を注文しているのか」
「ん? ああ、同じのが飲みたい気分だったからな」
菫色の液体で満たされたグラスがバーテンから出され、リィンはそれを手に持った。華やかな香り、レモンの酸味とハーブの風味がありながらまろやかな甘さがある。先歩よりも、甘い。
「ブルームーンって名前のカクテルなんだ、綺麗だろ?」
「否定はしないが……お前がそんなふうにしているということは、どうせ何か別の意図があるのだろう」
「信頼されてるな」
「呆れているの間違いだ阿呆」
言葉通り呆れを隠さないユーシスの表情に笑いながら、リィンはグラスを置く。菫色の水面が揺れて、その表面にはリィンが映っていた。
青い月の名を冠するカクテルには「完全な愛」という言葉があてられている。もう片方は……リィンには関係ないだろう。まず名前が良い、今日はルーレにいるはずの恋人を思い出す。
「メリル。いまどうしているかな、道に迷ったりしていなければいいんだが」
「何歳だと思っている、俺達と同じ歳だぞ。リィン、お前がそうやってなんでも過保護にするから、あいつの迷い癖が治らんのだ」
「今のなんだかマキアスに似ていたな」
「馬鹿を言うな。俺とあれが似ているわけがないだろう」
元々似ている部分はいくつかあったけれど、という言葉をリィンはカクテルと一緒に飲みこんだ。その妙な沈黙から何かを感じ取ったユーシスは顔を顰めていたが、リィンに倣ってグラスを煽る。
「幸せだな。普通に教官をして、教え子達を見送って。要請に悩むこともなく予定が合えばこうして友達となんでもない話をして、好きな人とは婚約して……」
気の置けない友人との空気か、店内のざわめきか、そのどちらにも浸るようにリィンは目を瞑った。
「……最後のは真実か? 酔った勢いか?」
「俺とメリルの仲を考えたら真実だと思わないか?」
今すぐこの場にクロウに来てほしいとユーシスは強く思った。元々の発言と、酔いによる暴走で手が付けられない。そしていまのリィンの返答では、真実か酔った勢いなのかいまいち判断がつかない。真実であれば祝福するべきなのだが、するりと今後の予定が出てきている可能性もゼロではないのだ。
「ちなみにいまのは本当だ」
にこにこと、それはそれは幸せそうにリィンが続けたのでユーシスはひと際大きなため息を吐いて額に手をあてた。相手は酔っ払いとわかっているが頭が痛い。
「それが一番にするべき近況報告だろう」
「それもそうだな。無事にメリルと婚約をしたからこのまま婚姻したいというのが今年の目標だ」
「突然抱負を言い出すな。もう店を出るぞ、これ以上酒を飲ませられるか」
肩を貸すほどではないにしろ酔っているとわかる動きをするリィンに呆れるべきか。こうなるくらい油断して酒を飲める相手であることに、確立された友情を感じるべきか。それらをよしとする自分の甘さに苦笑いするべきなのか。ユーシスはまた、深い深い溜息をついた。
::再録本にいれていた書き下ろしでした、一年経ったので。