幸せな貴方に
放課後の第二分校は部活動に勤しむ生徒達で授業時間とはまた違った活気がある。
少し大きめの紙袋を持ったメリルは正面玄関で目的の人物を待った。以前、短期間ではあったが寮母の仕事をしていたことや、《黄昏》で関わっていたからか、分校の二年生徒の顔と名前は覚えている。それは生徒達も同じのようで、メリルの顔を見ては挨拶をして通り過ぎて行った。……クルトに強めに腕を引かれて行ったシドニーを思い出してメリルはくすりと笑った。
《黄昏》の後、どうなるかと不安に思っていたが、トールズ第二分校もそこに通う生徒達もなにも心配はいらないようだ。新学期が始まり新入生を迎えた分校は、設立当初の先行きの分からない不安定さもない。このまま彼等が皆揃って卒業できるといいなとメリルは小さく祈った。Z組の皆と二年目を過ごして卒業できなかったというのは、どうやら自分の中で悲しいや寂しいにカテゴライズされる事のようだと今更気付く。
「メリル!」
頭の上から聞き慣れた声が降ってきて見上げれば、校舎二階の窓からリィンが顔を出している。少しだけ申し訳なさそうに眉を下げ「すぐ行く」と言うまた顔を引っ込めた。ひらりと手を振って、しっかりと窓の鍵も閉めていく黒い手袋を見送る。きっと廊下で生徒達にからかわれるだろうなと思いながらも、リィンが傍に来るということでメリルは作り物でない微笑みが顔に浮かぶのを感じていた。
恋人という関係になって三年ほどになり、少しは落ち着くかと思ったのだが、二人で様々な経験をすればするほど愛おしさが増すものだからメリルは戸惑うばかりだ……その戸惑いも嫌ではないから、もうどうしようもないのだろうなとメリルは愛おしさを噛み締めることにした。
案の定生徒にからかわれながら正面玄関に姿を現したリィンが微笑む。
「おまたせ、メリル」
「ふふ、ゆっくりいらして大丈夫でしたのに。生徒の皆さんもリィンさんとお喋りしたそうにしていますよ?」
「あれは俺で遊ぼうとしてる視線だろう」
「ふふ、愛されていますね、リィン教官」
リィンはメリルの口から出た慣れない呼び方に一瞬目を瞬かせ、少しだけむず痒そうに視線を逸らす。そのやり取りを通り過ぎざまに見たサンディとティータが一言二言なにか交わすと、ティータは顔を真っ赤にして俯いてしまった。多分アガットとの仲をつつかれたのだろうなとメリルはその背中を見送る。
「今日はリーヴスに泊まっていくのか?」
「ええ、そのつもりです。バーニーズさんに部屋をお借りして、荷物も置いてきましたわ」
「そうか、じゃあ今日はこのままバーニーズで……あ、荷物持つぞ?」
「いいえ、おかまいなく」
珍しくキッパリと断られて行き場がなくなったリィンの手に、メリルの手が重ねられる。どうやら本当にリィンに持たせる気はないようで、メリルはリィンの手を引くとそのまま正門に歩き出す。校内で堂々と手を繋いでいるところを生徒に見られるのは少々恥ずかしいのだが、普段あまり自分から手を繋がないメリルの白くて小さな手を離す気にはならず、背中に刺さる複数の視線を感じながらリィンは大人しく手を引かれていた。
リーヴスはトリスタによく似ていると思う。建物の様式とか街の構造ではなく、雰囲気がリィンとメリルが二年間を過ごした街にそっくりだ。見回せば制服を着た少年少女がいる学生街としての側面も既視感に拍車をかけているのだろう。ふたりが士官学院を卒業してトリスタを離れたのはそう昔でもないのに、色々な事があったからか随分と昔のように感じる。
他愛もない話をしながら宿酒場への道を辿れば、リィンとメリルの姿をみた分校の生徒達はそれぞれ違う反応を見せた。明日は朝からこの話題をふられるだろうなとリィンは苦笑いしたが、そうして話題をふってくる生徒は新Z組の生徒だったり、シドニー等の怖い物知らずといったごく少数で。だいたいは恋人と一緒にいる時の教官の顔を見て何も言えなくなるか、息をするように続く惚気話を回避するために何も言わないのだ。
バーニーズに入りテーブル席につく。アルコール類を提供する店のため、飲酒という誤解を招かないようにか生徒の利用は意外と少ない。店主のバーニーには悪いが、教官としては生徒達の自衛意識の高さに花丸をあげたい。先に飲み物だけ注文をして、リィンとメリルはテーブルを挟んで向かい合った。
「それで今日は突然どうしたんだ?」
『仕事が終わったら会いたい』とメリルから連絡が来たのは昨晩のこと。三日前には連絡をいれてくるメリルにしては珍しいタイミングだと思いながらも、その誘いに頷き、そうして今に至る。ARCUSで通信はしていたが、一週間程直接会っていなかったので嬉しい誘いだった。そうでなくとも、リィンはメリルからの誘いはなんでも嬉しい。
「今日はリィンさんにお届けものがあります」
そう言ってメリルはテーブルの上に紙袋を置く。見てもいいかと投げた視線に頷いたのをみて、リィンは紙袋を手に取る。メリルがずっと持っていたのできっと軽いのだろうなと思っていたそれは、意外としっかりとした重みをリィンに伝えた。袋の口を広げてみれば、大小さまざまな箱や紙袋が入っており、そのどれもがラッピングをされていたため、これは自分宛ての贈り物だろうなとリィンは思い当たる。
顔を上げてメリルと目が合うと、彼女はにこりと笑った。
「少し遅くなりましたが、Z組の皆さんからの誕生日の贈り物ですわ」
「……あ」
今月、リィンは誕生日を迎えていた。
当日には通信は勿論、導力メールでも祝いの言葉を貰っていたし、生徒達からも祝ってもらっていた。目の前にいるメリルにはその日に会っていたし、贈り物も貰っていた。
前回の誕生日からあっという間だったなと感じたのは、間の一年に大きな出来事が立て続けに起きていたからだろう。《黄昏》やエリュシオンの件から暫く経ったが、皆それぞれ忙しくしていることに変わりはない。それでも自分の為に贈り物を選んでくれたのだと思うと顔が緩んだ。……それにしても、随分と物が多いような気がするのだが。リィンの疑問に気付いたのか、メリルがにこにこと嬉しそうな顔のまま話し出す。
「Z組の皆さんだけでなくて。ユーシス様とミリアムさんが贈り物を選んでいる最中に偶然立ち会ったパトリック様、話を聞きつけた同窓の方々、あとわたくしが皆さんの贈り物を回収している道中にお会いしたクレア様……色々な方々からお預かりしていますわ」
「はは、それは確かに紙袋が重くなるわけだな……。さすがにここで一つ一つ開けるわけにもいかないから、このまま預かって部屋で開けさせもらうよ。ありがとう、すごく嬉しいよ」
「ふふ。お礼はわたくしではなく皆さんにお伝えしてください、喜びますよ」
「でも、メリルもみんなの贈り物をまとめて預かってきてくれただろう。だから、ありがとう」
目を合わせての言葉に照れたように少しだけ目を伏せたメリルが「どういたしまして」と返すと、リィンは満足そうに笑った。
それにしても先程からメリルが随分と幸せそうな様子でいるので、リィンは小さく首を傾げる。悪い事ではない、むしろとても良いことだ。自分と一緒にいる時にその表情を見せてくれることは、目の前にある贈り物達と同じように喜ばしいことだ。しかし、彼女がこんなにも満ち足りた顔をしている理由をリィンはすぐに導き出せなかった。リィンが喜んでいるから、というのも理由のひとつではありそうだが、それだけではないように思う。
「嬉しそうだな、メリル」
「ええ。リィンさんがこんなにもたくさんの人に愛されているのだなと思うと、わたくしまで幸せな気持ちになります」
「愛とまではいかないと思うんだが……。でも、皆がこうして俺のことを気にかけてくれているのは嬉しいし、身が引き締まる思いだな」
もっと自分を大切にしないと、と口から出かけてリィンは唇を閉じる。この話題になると、癖のようになってしまった自己犠牲のせいで自分の立場が弱くなるとリィンはよくよく理解していた。
自分を大切にしてくれている皆を悲しませないように。大切な人たちに幸せになってもらうために、まずは自分が幸せになる。そう”リィン”に言ったのだから、そのように生きていかなければ。今日のような幸せも日々積み重なる幸せも、受け止めて、受け入れて生きていく。そうやって生きていたい。
リィンが口を閉じた理由を察したメリルは穏やかに見守っていたが、バーニーがグラスとボトルをもってテーブルに近付いてきたことに気付くとぱっと顔を輝かせた。いつのまに頼んだろうかと目を瞬くリィンをよそに、バーニーとメリルがいくつか言葉を交わすと、開けられたボトルから注がれる赤い液体でグラスが満たされいてく。お辞儀をして去っていく背中を見送って、リィンはボトルとメリルを交互に見た。
「わたくしたちの生まれ年のワインです。グラン・シャリネのようなものはご用意ができませんでしたが、バリアハートでも長年人気のある銘柄ですから、味の保証はできているかと」
「グラン・シャリネなんて用意されたら味がわからなくなる所だったから、いま心の底から安心してるよ。バーニーさんに注いでもらっておいてなんだが、いまから飲むのか?」
「駄目でしょうか」
退勤はしているが、外はまだ夕暮れ時にすらなっていない。下手な飲み方をしなければ無様な姿を晒すことにはならないだろうが、生徒達が出入りする可能性もゼロではないのだし……と考えたところで、仕事終わりに酒を煽っていたランディを思い出し、リィンはまぁいいかと目の前のグラスに目をやった。自分より、メリルが酷く酔わないように気をつけよう。
「まぁ君は大丈夫だと思うが、しっかりセーブして飲むんだぞ?」
「あら、今日こそ酔い潰れてしまっても大丈夫な日だとわたくしは思っていたのですが」
じっとリィンを眺めてからチラリと宿酒場の二階、宿泊のための部屋がある方向に目を向けたメリルにリィンは心臓が変に音を刻んだ気がした。力を込めてしまった手を慌てて下ろし、グラスの安全を確保する。くすくすと笑ったメリルが「冗談ですよ」と言ったので、リィンは安心したような少し残念なような複雑な気持ちになりながら軽く咳払いした。メリルが自分をからかうようになったのはとても大きな成長だと思うが、時々心臓がいくつあっても足りないのではないかと不安になった。リィンは知らないが、同じような不安をメリルが抱いている。
「今日が二回目の誕生日だと思って、わたくしにできることなら何でも言って下さいね」
「二回目の誕生日か、贅沢だな」
本当に贅沢だ。大切な人達からの贈り物を受け取って、大事な人と一緒に時を過ごす。自分が受け入れて生きたいと願った幸せを一身に受けている。情けない話だが、顔がずっと緩んでいる自覚がリィンにはあった。何でも言っていいというのなら、ひとつ頼みごとをしてみようか。チラと見慣れた二色の瞳を見つめれば、心得たというようにメリルは背筋を正して微笑みリィンの言葉を待つ。
リィンの唇の動きが止まると同時。柔らかく頷いたメリルが一回目の誕生日の時と同じように、この世の美しいものを集めたような、うつくしい詩をなぞるような笑みをリィンに向けた。
「リィンさん、お誕生日おめでとうございます」
::いつかの5月