爾に出ずるものは
小説や導力映画では追い詰められた登場人物が高所の窓から脱出するというシチュエーションがあるが、そのようにしてでも現在地から離れてしまいたいという気持ちが、いまのメリルには少しだけ理解出来た。
「それじゃ、わたしは部屋の外にいるからごゆっくり」
声をかける間もなくひらりと手を振ってフィーがドアの向こうに消える。
部屋に残されたメリルはフィーがテーブルに置いていった導力端末の背を眺めた。画面は見えないというのにどこかしらか<圧>がかかっているように感じるのは、通信の向こう側にいる人物のせいだろう。……その人物に対して、メリルが後ろめたく思うことがあるのも原因か。
端末に向き合わなければとも思うのに、フィーと同じように部屋を出て行ってしまいたい気持ちも同じくらい存在している。いま部屋を出ていったとして、近くに待機しているフィーに確保されるのが関の山だろうが。
一歩も踏み出せずにいるのを理解したのだろうか、小さな溜め息が聞こえた。
『メリル、おいで』
子供を呼ぶような声色だと思ったが、メリルはまさに「叱られることがわかっていて隠れている子供」なので、この対応は正しいのだろう。
恐る恐る歩を進め、端末の前に座り顔を上げる。
精一杯いつもの微笑みをつくって画面に映った青年に向けた。
「お久しぶりです、リィンさん」
『ああ、久しぶりだ。元気にしていたか?』
満面の笑みのリィンに肩を揺らして目を泳がせる。エリゼ絡みの出来事でよく見ることになるこの満面の笑みは目が笑っていないことが大半で、そしてやはり今だってその目には笑顔のえの字もない。
「ええ、元気ですわ。怪我もありませんし、何かに巻き込まれるということもありませんので」
『それはなによりだ。君が約二ヶ月も音信不通でなければ俺ももっと素直に喜べただろうけどな』
「……はい」
最初は一週間程度のつもりが共和国が想像以上に楽しかったのでずるずると滞在してしまった、とは言えずメリルは黙り込んだ。滞在が延びただけに飽き足らず、導力車まで購入してホテル暮らしをしているのだが、金遣いが荒いと思われることは避けたかった。いま黙ろうが喋ろうが、お叱りの言葉がとんでくることは避けられないのだが……。
『メリル、単純に考えて欲しい』
「はい……」
『君が俺の立場だったらどう思う? ARCUSを置いてパートナーが消える、行き先も知らないし、連絡だって入らない』
「それは……リィンさんなら行く先々で噂になるでしょうから、動向は掴みやすそうですね。いまは導力ネットもかなり普及して各地方でも触れやすいですから」
『訂正する。複雑に考えて欲しい』
額に手をあてたリィンが深い溜め息をついたので、メリルは眉を八の字にした。
複雑にと言われても、そもそもリィンが黙って長期間どこかへ行くことも、その間連絡をいれないということも無いだろう。メリルに黙っていたとしても職場や他のZ組には話をしていてもおかしくないし、最悪情報局を問い詰めれば行き先はわかりそうなものだ。
行き先でなにかに巻き込まれてもリィンであれば問題なく切り抜けられるだろう。最近は特に自分の身の安全もしっかりと視野に入れて事を進めてくれているので、あまり不安に思うことも無い。
「多少心配事はあれど、リィンさんであれば問題はないと思うのですが」
『……君は、二ヶ月俺に会ったり声を聞いたりしなくても寂しくないのか』
「……ぁ」
落ち着いていながらも寂しげなリィンの声色に、メリルもはっとする。
心身共に強い人なのは間違いないが、寂しがりな一面もあるとこの数年でわかったつもりでいた。わかっていたのに、時々こうして「自分のように弱くはない、この人は強いから」と流してしまう。無条件の信頼とメリルの悪い部分だった。
「その、本当に申し訳ありません」
『いや、俺も当てつけのように言って悪かった。でも寂しいのは本当だ。今回、いなくなるまでは珍しく長いこと一緒にいたから余計に』
「……勝手に出てきたわたくしが寂しいのは当然と思っていましたし、リィンさんの周りには色々な方がいらっしゃるので、そちらは大丈夫と思っていました」
『君は、自分が俺にとっての唯一無二であることをもっと自覚してくれないか』
唯一無二。
時折その言葉の重さに逃げ出してしまいたくなることもあるが、リィンからそう想われ伝えられている事実にたまらなく愛おしく幸せな気持ちになる。このようにお叱りの場で顔に出すのはよろしくないかと、メリルは努めて表情を変えずにいた。
こほん、と咳払いをしたリィンの後ろ側から複数の足音が遠ざかるのを聞きながらメリルは彼の次の言葉を待つ。穏やかな表情のリィンが、隣で語り合う時のように柔らかな声で切り出す。
『メリル、共和国は楽しいか?』
「はい、とても。毎日新鮮な気持ちで、世の中には楽しいことが沢山あるのだなと思い知らされます」
帝国への当たりが強い人もいるが長年の関係を思えば仕方の無いこと、大体の人はメリルが帝国の人間と知っても優しくしてくれる。
旧王国、共和国古くからの文化伝統はもちろんだが。陸路海路によりもたらされ根付いた東方文化も、時折みられる中東文化も新鮮だ。導力映画というものも歌劇や演劇にない魅力と庶民性が良かったし、なによりヴェルヌ社主導で独自発展した導力機器や、四大メーカーが鎬を削る導力車界隈はひときわメリルの興味を誘った。
昔の自分のままだったなら特別これらに感情を抱かなかっただろうし、こうして一人で共和国に来ることすらなかっただろう。自分の意思で動いて、感じて、なにかを思っているのだと。ようやく自分も一人の人間として生きているように思えて、この旅行中メリルは少しだけ自分の成長を実感出来たような気持ちでいた。
『メリルが共和国に行ったら暫く帰ってこないだろうなとは思っていたから、いますぐ帝国に帰ってきてくれとは言わないが。危険なことに関わらない事と変な人間に近寄らない事とこまめに連絡をいれる事と必ず俺のところに帰ってくる事だけは約束してくれないか』
「……多いですね」
『かなり減らしたほうなんだが』
「フィーさんから聞いているかもしれませんが。いまの共和国は少し危ういところがありますので、必ずとはお約束できませんが。なるべく努力いたしますわ」
メリルの回答に一瞬不満そうな目をしたリィンの顔にはありありと「それなら帝国に帰ってきてくれ」と書いてあったが、口に出さないのは優しさだろう。もっとも、リィンの不満や心配は当然のことだ。メリルの意思を優先して、見守る姿勢でいてくれることに感謝しながら、メリルは画面のリィンに微笑んだ。
「お土産をたくさん買って帰りますので、楽しみにしていて下さいね」
『ああ、楽しみにしてるよ。あと君が帰ってきたら帝都で部屋を探すから、そのつもりでいてくれ』
笑みを凍らせたメリルがえっと声を上げるより先にリィンがにこりと笑ったので、メリルは無言で頷く。どうやら今回の件はリィンの決定を早めるには充分だったようだ。
『――それじゃあ、共和国のことを聞かせてくれないか?』
君の言葉で聞きたいんだ、と続けられた言葉にメリルは今度こそ表情を崩す。リィンにしか向けたことがない、子供のような幼さと少しばかりのぎこちなさが同居した笑顔で頷いた。
「はい、喜んで」