夜風
冷たい風が頬を刺す。
換気の為に数分開け放っていた窓の外を眺め、メリルは見慣れた景色に数回瞬きした。観光通りの数本向こう、アパルトメントや住居の立ち並ぶこの区画は夜になればとても静かだった。案外開けた空には色の濃い星空がひろがって、向かいの家の窓には見慣れた猫がいて、少し遠くに帝国博物館の屋根がある。
このアパルトメントに引っ越してから数回目の冬が来た。
すでにメリルもリィンもこの家に帰ってくることが当たり前になっており。いままで色々な場所を転々としていたメリルにとっては、「見慣れた景色」と言えるほど、長く一箇所にとどまり続けている事は新鮮だ。家に帰るということを肯定的に思える日がくるとは思っていなかったので、生きていると何があるかわからないなとぼんやりと考えた。リィンとの暮らしがすっかり体に馴染んでしまって、他の場所に帰ることも、他の誰かと暮らすことも想像ができない。
カーテンの向こうに隠れてしまった顔見知りの猫を見送って数秒、呼ばれた名前にメリルが振り返ると、リビングから戻ってきたリィンが数冊の本を手に立っていた。
「ごめんなさい、寒かったでしょうか」
「俺は平気だけど、メリルが寒くないか?」
すでに就寝のために寝間着を着ている体には、確かに外の空気は冷たい。一度そう思うと急にとても寒く感じて体が震えた。そんなメリルの様子に小さく笑ったリィンが手に持っていたブランケットを震えた肩に掛け、礼を受け取ってから先程のメリルと同じように窓の外を見る。
「今日は向かいの猫、いないんだな」
「つい先ほど、お部屋の奥に行ってしまいましたわ」
「そうか。あの子も初めて見た時は仔猫だったのに、もうすっかり大きくなったな」
これくらい、と手で大きさをしめしてみせたリィンに笑いながら、メリルは幸せな気持ちで胸が満たされていた。窓の外の景色を見るほんの少しの時間で、リィンが同じものを見、同じ時の流れを感じているのだと知る。それがとても幸せな事だと思えたからだ。
窓を閉めようと框に手をかけて、最後にまた四角く切り取られた夜を見る。静かで優しい夜だった。