鳳翼館にて


 先月のルーレ・ザクセン鉄鋼山でおきた事件。そして八月の末、通商会議当日に起きた帝国解放戦線によるガレリア要塞襲撃事件。その両事件での功績を認められたZ組は、ユーゲント皇帝陛下から湯治場への小旅行に招待された。
 場所は、時の皇帝に恩賜された逗留施設を抱え、現帝国でも温泉郷として知られているノルティア州北部・ユミル。シュバルツァー男爵家の治めるその地はリィンの故郷だ。
 当のリィンはというと、自分のなかで道をみつけるまで故郷に帰る気はなかったからか、突然訪れた帰省の機会になんとも言えない顔をしていた。
 しかし担当教官であるサラを含めたZ組とトワ達上級生数人が一緒になって故郷を楽しんでいるのはやはり嬉しいのか、だんだんといつもの表情に戻ってきていた。その顔を見て安心したように笑みを浮かべたメリルは、手元にある紙を見て今度は困ったように眉を下げた。
 鳳翼館で発表されたZ組の学院祭の出し物、一通り各々の役割が割り振られたその紙。
 メリルの様子に真っ先に気が付いたのはリィンで、どうかしたのかとメリルに問う。

「わたくし、歌はとても人にお聞かせできるものではなくて……。では、なくて。実は学院祭の日程と実家に帰らなければいけない用事が重なってしまいそうで。なるべく穴が開いてもよい役割に置いていただければ、と思ったのです」

 歌が上手ではないのだなと分かる言葉に意外そうな顔をしたクラスメイト達のなかで、ユーシスだけが何かを思い出して納得する。……それはメリルからしたらあまり思い出してほしくはないことだったが。クロウが一瞬視線を寄越して、メリルは小さく頷いた。
 当日に需要な位置が抜けては確かに困りものだ。リィンと一緒に企画をまとめていたエリオットが、ひとつふたつメリルに質問し、メリルもそれに答えた。紙にはサラサラと訂正や追記がされていく。

「じゃあ、メリルには当日の機材関係を任せるよ。練習の時は、演奏の補佐をしてもらっていいかな?」
「はい。ピアノとヴァイオリンでしたらお手伝いができますので、任せていただいて大丈夫ですわ」
「うん、任せた」

 よかった、と息をついたメリルに隣に座っていたアリサが話し掛ける。
 どうやら女子達は衣装の話をしていたらしく。先程アリサに三つ編みをほどかれたエマも、髪をおろしたままフィーやラウラ、ミリアムと衣装についての話をしていた。クロウの初期案はもっと過激なものだったようだが、それを思うと節度のある衣装になっては、いるのだろうか……。特別な場で着る服と割り切れば、そこそこ普通に見える気がする。気がするだけかもしれないが。

「メリルはあまりこういう服を着るイメージはないけど。やっぱり抵抗はあるのかしら?」
「ドレスも同じくらい肌を出すものがありますから。それに機材を使うとなると舞台裏ですし。わたくしは、衣装は」
「もちろん、着るわよね」

 優しく肩に置かれたアリサの綺麗な手と裏腹の語尾に疑問符すらついていない言葉に、メリルは思わずこくこくと頷く。こういった押しの強さや威圧感は、イリーナ会長を思い出す。血のなせる業か。そもそも、メリルの用事が重なってしまったら衣装を着るどころか、学院にもいないのだが……それはそっと飲みこんだ。
 メリルはテーブルの真ん中に置かれている企画書と衣装のデザイン画に目を向ける。
 揃いの衣装を着る、ということは制服やメイド服以外で経験がない。しかもそれで自分達で音楽を演奏するというのだ。本当に、メリルがいままでしたことがないようなことばかりこの学院ではしている。嫌ではなかった、むしろ楽しいと思うことができた。……今回のことが叶うかどうかは、メリル以外の手に委ねられているのだが。

「楽しそうですわ」
「ええ。準備期間は短いけど、どのクラスにも負けないようなステージにしましょ」

 ぐっと小さく拳を握ってやる気を見せるアリサ。楽器に話題がうつった女子達。テーブルをはさんだその向こう、集まってなにやら話している男子達。

「学院祭が楽しみですわ」

 ひとり、呟く。心からそう感じる。この時間を手放したくないと思えば思うほど、辛くなるとわかっているのに。
 どうして、と思う。
 ずっと凪いでいた水面に何かを投げ込まれ、掬われ、乱されていく。嫌ではないことが怖かった。海の中に落ちた雫を探すことができないように、齎された変化を探し出して無くすことはもうできないとわかっているから。この変化が良いものか悪いものかメリルには判断ができない。状況的には、きっと悪い。
 クラスメイト達の楽しげな声の合間、紫の瞳と視線がかちあう。そのままゆるりと笑った、紫。
 どうして、と思う。
 あの紫の瞳が笑うと、苦しくなる。どんな顔をするべきかわからなくなる。いつも通りがいつも通りにできない。海の中に、また雫が落ちる。
 雫が、落ちる。

::10月、ドラマCDよりユミル



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