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起床してまず『気持ち悪い』と呟いた。家事を終えてから『節々が痛い』と呟いた。夕飯の買出しに行こうと靴を履いて『頭が痛い』と呟いた。
ハッと目を開けて数センチ、何故か快斗君の顔が目の前にあった。
「ご飯用意してない」
「大丈夫。こんなこともあろうかと、勝手に棚の中にレトルトを何食分か……ってそうじゃなくて!江威子さん自分の体調理解してっか!?メシの心配とかいいから寝てたほうがいい!」
記憶が飛んでいてベッドの中にいて額に熱さましのシートが貼られている状態なら、名探偵と言われる甥っ子でなくとも自分の状態は把握できるだろう。看病されている。熱測ってという言葉と共に差し出された体温計を受け取って、おとなしく腋に挟んだ。ピピッと電子音が鳴り、取り出した体温計を見て江威子は拳を握る。
「38.5……いけるわ」
「いやいやいやいけねぇから! 江威子さん今日はおとなしくしてるんだって!ついでに明日は病院!」
ベッドから出ようとする江威子の肩を抑えてベッドにおしつけると、快斗は絶対部屋から出ちゃだめだからな!と念をおしてから寝室から出て行った。私の家なのにと呟いて江威子は再び毛布を被る。
ゴウゴウと掃除機の音が聞こえるので、快斗ができる範囲の家事をやってくれているのだろう。快斗はもうすっかり家のことを把握しており。掃除機がどこにあるとか、洗濯物はどこに干したら効率よく乾くかとか、無くなりそうな調味料や、家の主である江威子でさえ忘れがちなことまでしっかり頭の中にあるのだ。
掃除が一通り終わったのか、部屋に入ってきた快斗が首をかしげた。
「江威子さんなんか食えそう?食えそうならお粥作るけど」
「じゃあお言葉に甘えていただこうかしら、タマゴ粥以外で」
「苦手なんだ」
「ええ」
タマゴ粥以外ってなんかうまそうなのあったかなぁ、とレシピを探しているのだろうか、携帯をいじりながら快斗は部屋を出て行った。器用な子だから、魚料理以外はあっさり作ってしまいそうだなと布団の中で微笑んで、江威子は快斗が呼びに来るまで寝ていようと目を閉じる。
うとうとと睡魔が襲ってきた頃、突然リビングから『ぎゃあ』と奇声が聞こえた。暫く何が起こったのか理解できずに、睡魔を追い払おうとぱちぱち瞬きしていた江威子だったが。聞こえたものが快斗の悲鳴だと気付くと慌ててベッドから飛び起きた。ばたばたとリビングの扉を開ける。
「快斗君、どうしたの!火傷でもした!?」
「うわああ!?江威子さん、寝てないと駄目だろ!」
「なんか、すごく震えてるけど大丈夫?風邪うつっちゃったかし……ら……」
床に落ちているプラスチックトレーが目に入った江威子は言葉を止める。夕食に食べようと秋刀魚を買って、冷蔵庫のすぐ取り出せる場所にいれておいたのだ。なにか材料を取り出そうと冷蔵庫を開けて真っ先に目に入ったのが秋刀魚だったから、あの悲鳴と体の震えだったのだろう。
『本当に魚だけは駄目ね』と秋刀魚を冷蔵庫に戻すと、後ろから呻くようにありがとうと言われる。
「今度、新ちゃんがきたら『宝石は魚の中にいれたらどうかしら』って言ってみようかしら」
「それは本当にやめて江威子さん」
片手鍋を手にした快斗が真っ青な顔で止めにかかる。それにふふと笑って、江威子はリビングのソファに腰掛けた。寝てたほうがいいという快斗の声を無視して、ひざ掛けを手に取る。諦めたように、しかし江威子を気にするようにちらちらと視線をよこしながら調理を始める快斗の背中をじっと見つめる。いつもは逆だ、調理する江威子を快斗が眺めている。
「そんなに見つめられると、オレ穴開いちゃうよ」
快斗が気恥ずかしそうにはにかみながら振り返り、目にかかった前髪をはらった。
前髪が邪魔ならば切ればいいのに、快斗は意外と面倒くさがって美容院に行こうとしないのだ。『自分で適当に切ればお金もかからないじゃん』と言って、以前切りすぎていたのを江威子はふと思い出した。主人の前髪を切っていた時の鋏がきっとどこかの引き出しにしまってあるはずだと、江威子は場所を思い出そうと目を閉じる。
「快斗君」
「なーに江威子さん」
「風邪が治ったら、前髪切ってあげようか」
「うん。そう言ってくれると思って、実は分かりやすいところに散髪用の鋏移動させておいたんだよ」
だからまず風邪治してくれよ、と快斗は完成した粥を2つの椀に盛った。
そんなに見つめられると、オレ穴開いちゃうよ