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「まぁ高そうなミュール、……片方だけ」
「片方は偽物だったので先に返してきました」
シルクハットを取って流れるようにソファへダイブしたキッドが、ローテーブルの上に置いた100カラットのアメジストのついたミュールを見つめる。
光物に興味はないが、こんな大きな石を付けたものを履いていたら落ち着かなさそうだと江威子は思った。『紫紅の爪』から視線をはずして、ソファに寝転がったままの怪盗の頭を撫でる。少し癖のついた髪を指に絡ませて、キッドの話題でもちきりのテレビをぼんやり眺めた。
地上の交差点から遥か30mのビルの上へ、瞬間移動と騒がれているそれを見て、髪を弄っていた手を頬に移動させる。何か擦れた様な痕を避けて、柔らかい頬に指を埋めた。
「ねぇ快斗くん、あれはどうやってビルの上まで移動してるの?」
「それはな江威子さん、テレポーテーションだよ」
ニヤリと笑った快斗の頬を突きながら江威子は繰り返し流されるVTRを真剣に見つめてみるが、さっぱりなにもわからず。快斗本人の言うようにテレポーテーションをしているようにしか見えない。甥の名探偵に似てきてしまったのか、残念な事に江威子は超能力だとか魔術の類は信じていないのだ。
テレビを見つめて唸る江威子を見て笑った快斗は、自分の頬をつついていた江威子の手をそっと退かしてソファから体を起こした。『サーストンの三原則!』と、もう白い手袋で覆われていない指を三本立てて言われた台詞に、江威子は首を傾げる。聞いたことがない言葉だ。
「『奇術師はタネ明かしをしてはならない、マジックを披露する前にこれから起こる現象を説明してはならない、同じマジックを二度繰り返してはならない』ってやつ」
「つまり仕掛けは教える気はないわけね」
「驚いて、どうなってるのか考えてる時の江威子さんが可愛いよ」
何の臆面もなく言われた言葉に『また大人をからかって』と子供っぽい表情でそっぽを向いた江威子を見て、快斗は目を瞬かせる。
彼女は出会ったばかりの頃に比べていろいろな表情を見せてくれるようになった。穏やかな笑いも、曖昧な笑いも、悲しげな顔も。自分を心配して怒った顔も、褒めて照れた顔も、年齢より少し幼い表情も。ひとつひとつ頭に思い浮かべて、快斗はへへっと笑った。
そんな快斗の頭をくしゃっとまた撫でて江威子は食事を作る為に立ち上がる。エプロンをつけたその後姿を見ながら快斗はクッションを抱えてソファに沈んだ。
「仕掛けはいいの?」
「大人をからかうわるーい怪盗さんのトリックは、コナン君に後で教えて貰います!」
「えー……それってあの名探偵が仕掛けを見抜くの前提だろ。江威子さんはオレと名探偵どっちの味方なんだよ」
「今回はコナン君かな。でも普段は怪盗さんをそりゃあもう随分贔屓して応援してるわよ?」
ふり返って、にこりと笑いかけられれば快斗は黙るしかない。
江威子本人からの『贔屓』認定でにやにやと頬が緩むのを抑えきれず、抱えていたクッションに顔を埋める。甥っ子より贔屓にして応援していると言われて、嬉しくないはずがない。怪盗業は自分の目的のためで、別に名探偵と張り合っているわけではないのだが。何度も追いかけられて対立していると、少し気になってしまうのだ。血のつながった甥っこと、最近知り合ったばかりで出会い方も特殊だった自分、どちらの味方をしてくれるのか。正直、好きな人には応援していて貰いたいという気持ちはあった。
アイスティーを入れたグラスをミュールの横に置いた江威子が、いまだクッションに顔を突っ伏したままの快斗に視線を合わせるようにしゃがみ込む。ポーカーフェイスはどこへやら、顔を隠していてもわかる嬉しそうな気配に笑って。視界にある快斗のつむじをちょこんと押した。
「でも怪盗さん以上に、快斗くんを贔屓してるんだけどな〜?」
伝わってなかったかしらね、と優しげな声で言われて。快斗は今度こそ、声も出せずに先程よりも強くクッションに顔を埋めるしかなかった。
なんてずるい人だろう。
片方は偽物だったので先に返してきました