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雪が降りそうだ、と思う。
随分前に甥っ子が怪盗を狙撃した時計塔が見えるベンチで江威子は空を見上げた。雲が空を覆い、上は灰色一色だ。心なしか先程より寒くなってきたような気がして、江威子は肩を震わせた。
「江威子さーん!」
「快斗君。おばさんをあんま寒いところで待たせちゃダメよ、寒くて死んじゃう」
「江威子さん、充分若いじゃん」
「見かけと中身は違うのよ。ホラ、ちょっと外に出るだけでこうなんだから」
右手を快斗の首筋にあてると快斗はその冷たさに身を竦ませたが、そのまま江威子の右手を取るとそっと両手で包み込んだ。これで温かいだろと笑った快斗の首筋に、江威子は微笑みながらも無言で左手をあてた。ぎゃっと悲鳴をあげた快斗が左手から逃げようと身を捩るので、江威子もそれを追いかけて身を屈めたり背伸びしたりする。
江威子の体が自分より下になったのを見計らって、快斗は江威子の右手の拘束を離して彼女を抱きしめる。髪に鼻先をうずめると、この前の江威子の誕生日にプレゼントした香水の匂いが控えめに香った。
「こら、外でしょ」
恥かしそうに眉を下げた江威子がべしべしと快斗の頭を叩くと、不満そうに快斗が顔を上げた。
すっかりこの年下の少年といることに慣れてしまった江威子だが、家でも外でもごろごろと猫か犬のようにじゃれついてくる事だけはなんとかして欲しかった。もっと言えば、魚も食べられるようになってくれると嬉しい。
「いいじゃんかー、江威子さんだって寒いでしょ?」
「普通にお店に入るとか、家に帰るとか、そういう温まり方をしたいわ」
「冷たーい」
「折角外に出てるんだから、とりあえず家以外の建物に入りましょう?寺井さんの所に行く?それとも下見?」
「……ふつーに遊ぶような場所は選択肢にないのかよ」
「あのねぇ、おばさんに若い子がいくような遊ぶ場所に入る勇気なんてないわよ」
思い返してみれば一緒にカラオケもゲームセンターも入ったことがない。いつも適当に近くの公園をぶらぶらした後に美術館や展示場に下見に行くか、寺井の店で珈琲を飲むか、江威子の車で遠くの風景を眺めに行くか。そのどれかだった。
騒がしいのが嫌いではない快斗としては、一緒にゲームセンターにでも行ってプリクラの一枚でも撮ってみたいと思う事もあるのだが。結局江威子と一緒にいることに満足して、最終的に江威子の家のソファで座っている、なんて事がしょっちゅうだ。そうなっても全く後悔していないのだから、一緒にいることが重要なのだろうなと思う。
腕の中から江威子を解放した快斗が今にも雪が降りそうな空を見上げながらぽつりと呟く。
「今日は、」
続きを言いかけて止まる。会ってからいまの今まで江威子さんが旦那さんの話をしないから嬉しい、なんて言えるはずがない。会うたびに毎回そんなことを気にしている男だと、快斗は思われたくなかった。
「江威子さんと出掛けれて嬉しい」
妙に開いた間を誤魔化すように、はにかんで言った快斗の襟を直してやりながら江威子も頷いた。
「マフラーでも買いに行きましょうか」
「編んでくれないの?」
「手編みがいいの?それなら、毛糸を買いに行きましょ」
「うん」
当然のように江威子の手をひいて歩き出した快斗にこっそり溜息をつきながら、江威子は快斗にはどんな色が似合うか、どんなマフラーにするか考える。江威子は家で暇している身だ、完成にそんなに時間はかからないだろう。
じっと後ろから快斗の首まわりを見ていた江威子は、面白いことを思いついたように口元吊り上げる
。信号待ちで足を止めた快斗の斜め後ろに立つと、少し背伸びをしてその首筋に冷えた唇を当てた。面白いくらいに肩を揺らした快斗が振り返って江威子の顔を見る。
「〜っ!?江威子さん今なにしたの!?」
「あ、信号青よー、止まってると迷惑だから動かないとダメよー」
少し擦れた江威子の口紅と当たったものの感触で何をされたのか理解した快斗の頬が赤くなったのを見て、江威子は噴き出した。普段は快斗にいいようにされているが、自分がこうして反応を見る側になると面白いな、と最近快斗をからかうようになって江威子は思うようになった。
「青少年をからかっちゃいけないと思う」
「はいはい」
「江威子さん!」
「はいはい、毛糸買うわよー」
微笑むだけの江威子を見て赤くなりながら唇を尖らせた快斗は、唸って視線を彷徨わせた。
とうとう降り始めた雪に『寒い寒い』と早足になった江威子の頬が微かに赤かったのを、彼女の斜め後ろを歩く快斗は知らない。
青少年をからかっちゃいけないと思う