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 控えめにガラスを叩く音が聞こえたので、江威子はテーブルから体を起こす。
 眠ってしまっていたのか、淹れてあった紅茶はすっかり冷めていた。それを残念に思いながらも、音の正体を確かめるために江威子は窓に近寄った。カーテンを開けると闇の中では目立ちすぎる白がベランダに立っている、『こんばんは、レディ』とガラス越しにくぐもった声が聞こえてきて、江威子は首を傾げた。

「あら、確かこの前名前を教えたと思ったのだけれど」

 そう言ったきり窓を開けようとしない江威子に、白い怪盗は困ったように目を瞬かせた後『こんばんは、江威子さん』と言い直す。それに満足気に微笑んで江威子はベランダへの鍵を開けた。

「こんばんは怪盗さん、今日もわたしの好きな番組は貴方のことばかりで正直つまらなかったわ。今日のお仕事は上手にできたみたいね」
「ええ、このとおり」

 キッドがポケットから出した手の中にキラリと光る宝石を見た江威子だったが、元々光り物には興味が無いので早々に視界からはずす。キッドはそんな江威子の前に手に持っていた紙袋を差し出した。

「昨晩の御礼と頂いたものを返しに」
「あら紅葉饅頭。と、ガーゼに消毒液に……これは手当てした時に使ったものかしら?」
「目的の品以外は返す主義ですから」

 救急箱の中身は予告状には書いていなかったので、と口元を笑わせたキッドを見た江威子が『あぁ!』と何か納得したように声を上げる。あまりにも突然だったのでキッドは肩を揺らすが、そんなキッドに気づかないのかニコニコしたまま江威子は続けた。

「貴方、わたしの甥っ子になんとなく似ているのよね〜、声とか背格好とかが。この間あった時から誰かに似ているとは思っていたのだけど」
「甥っ子ですか」
「そうよ、今日も貴方を捕まえるために捜査協力していたみたいだけど……。この状況だものねぇ」
「簡単には捕まりませんよ、怪盗キッドは」

 手の中の宝石を弄びながら言われた言葉に江威子は肩をすくめる。キッドは子供がビー玉を太陽に透かすように、宝石を月に翳した。綺麗な子は何をしても様になるのね、なんて思いながら江威子は渡された紙袋をテーブルに置く。ふと、キッドが顎に手を当てて首を傾げた。

「不躾で申し訳ないのですが。最近外に出ていますか?」
「……いいえ、どうして?」
「もう春だというのに、部屋がまるで真冬なので」

 部屋の隅に置かれたヒーターや壁にかけられた厚手のコートやマフラー、そして捲られていないカレンダー。この部屋は冬のままで時が止まっているようだった。
 キッドの言葉をじっと黙って聞きながら、江威子は電話の横の写真立てに視線を向けていた。写真の中で幸せそうに笑っている男女は若かりし頃の紫倉夫妻なのだろう。夫が亡くなった時から、江威子さんとこの部屋の時間は止まってしまってるのだろうかとキッドは思い。何故か、その時を動かしてみたくなった。立ち上がり、コンロに火をつける江威子のその背中に言葉を投げる。

「外はもう暖かいですよ」
「そう」
「明日はとても天気がいいようですから、散歩でもしてみませんか?」

 それでは明日の昼ごろ迎えに行きますねとにっこり笑うと、江威子の返事も待たずに白い鳩は飛び立って行った。
 二人分のお湯の前で、江威子は呆然と茶葉を入れた缶を握り締める。チカチカと、今晩も甥からの早く寝ろメールが届いた。

昨晩の御礼と頂いたものを返しに



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