うっとしていたのか、店員の声でハッと我に返る。財布からミラを取り出し、釣りの五十ミラを受け取って店から出た。
 雲一つない青空がクロウの紅い瞳に映り、眩しい太陽の光にクロウは目を細める。両手にアイスを持ち、ベンチで足をぶらぶらとさせている子供に声をかける。

「ほれ、アイス」
「ありがとう、クロウおじさま!」
「お兄さんだっつの」

 何度目かの訂正をしてアイスを小さな手に渡した。
 その手の持ち主、リオナは「いただきます」と呟くと青いアイスを舐める。
 快晴ということもあり、MWLは今日も賑わっていた。クロウ達からやや遠い場所ではマスコットのみっしぃが客と共に写真をとっている。なんでもない、平和な観光地の光景。
 その「なんでもない」に自分達二人はあまり含まれていないのだろうな、とクロウは再び青い空を仰いだ。
 葬儀から、三日が経っていた。

「あっ」

 横のリオナの動きがぴたりと止まったので、何だとクロウは隣に座るこどもを見た。
 紫色の瞳は、母親と父親に挟まれた同年代の子供を見ている。その眼に羨望といったものはなかった。羨んでも仕方のないことだと理解しているのかもしれないそれは、子供には似合わない諦めにも思えた。
 この小さな子供はクロウが知る子供より随分と聡い、どこか父親であるリィンを彷彿とさせる。今後の成長が楽しみになるその顔立ちは、母親であるメリルによく似ていた。
 メリルの死は、まさに青天の霹靂だった。
 事故なんてそんなものかもしれない、予兆もなく、予感もない。突然ARCUS、≪Zの輪≫に連絡がきた。
 メリルが死んだこと、葬儀をすること、葬儀の日程。
 涙の色さえない平坦な声で、淡々と要件を述べて通話を切ったリィンに、誰も声をかけることができなかった。
 通話時間はたったの数分だったが、そんな短い時間でもリィンが無理をしているのではなく、呆然としているのだと理解できた。そして自分達にとっても、仲間の突然の死はショックな出来事だった。
 内戦も黄昏も共に越えた仲間の命は、なんでもない日常の中の一瞬の影に消えてしまったのだ。信じられないという思いもあったのだろう。リィンが抜けたあとの通話の空気は重々しく、そしてどこか空虚だった。
 皆、言葉少なに葬儀の参加を告げて、通信を切った。

「おとうさま、ごはん食べたかな」
「あ〜、どうだろうな。まぁ、食べてるだろ」

 アイスを食べながら言われた言葉に、クロウは曖昧に返した。リィンは自炊ができる、それが手間なら外で済ませることができる。小さな子供ではないのだから当然だ。
 しかし今回に関しては、本人に物を食べる意思があるかクロウはわからなかった。だから曖昧に返す事しかできなかったのだ。
 連絡をうけた時も、葬儀に参列した時も、クロウの一番の心配事はリィンだった。
 娘が生まれる前のシュバルツァー夫妻は。片方が死んだのなら、もう片方が後を追ってしまいそうな危うさがある二人だった。メリルの後を負うなんて、そんな馬鹿な真似――こう言えるのはクロウがただの友人でしかないからか。そう、そんな真似をするのではないかという不安が、クロウの中に大なり小なり確かに存在していた。
 この三日間を振り返ると、少なくとも今は後を追おうとする空気はなかったので、クロウは心底安心した。
 立て続けに友人が死ぬだなんて、考えたくはないのだ。それが、後輩から級友になり、好敵手となり、時に敵対しながらも奇妙な縁で結ばれた相棒とも呼べる人物であるなら、なおさら。

「次ねぇ、観覧車にのりたい」

 アイスを食べ終えたリオナが観覧車を指さす。
 それを肯定しながら、クロウは少し放置されていた自分のアイスに口をつける。手に垂れなかったことが奇跡と思えるほど溶けたそれを胃に収め、ペーパーナプキンで口や手を拭いてから立ち上がる。リオナの分のゴミも屑入れに放り込み、手を握った。
 ミシュラムの観覧車にはなんとも言えない顔した太陽が輝いており。「テーマパークのマスコットのみっしぃがあの場所にないのは意外だな」と考えながらゆっくりと観覧車乗り場への道を歩く。
 すれ違うのは、家族であったり、恋人であったり、友人同士らしき集団であったり。一様に笑顔の人々だ。
 当然だろう。ここはミシュラムワンダーランド。現実を忘れて誰もが笑顔になる楽園、ひと時の夢の籠。
 異端だなと溜息を吐いて、クロウは再び雲ひとつない青空を眺めた。



 定期報告。
 一人娘を預かっているのだから、行って当然の連絡は、連日同じ時間。リオナが寝て、クロウが家でできる仕事を少しだけ片付けた、日付が変わる一時間程前。
 ARCUSを取り出してリィンの番号に通信を入れる。数秒の空白のあと聞こえたリィンの声はハッキリとしており、早く寝ろよと言いそうになるのを堪えた。
 この時間に連絡をしているのは自分だ。

「よっ、いつもの連絡だ」
「ああ、ありがとう。リオナはどうだ? 体調を崩したりはしてないか?」
「元気も元気。今日なんかミシュラムを元気に遊び回ってたからな」

 クロウの言葉にARCUS越しのリィンが息を呑んだのがわかった。一秒、二秒、何かを考えるように黙ってから、小さく息を吐く。
 それは葬儀の合間、リィンが人々の目を盗んで吐き出していたものと同じような気がして、クロウは少し身構える。しかし、そんなクロウをよそに、リィンは酷く穏やかな声で礼を言った。

「連れて行ってくれてありがとう」
「ま、こないだおまえの教え子からチケット貰ったばっかだったからな。引き出しで肥やしにならなくて良かったぜ」
「肥やしになんてしない癖に。リオナ、楽しんでいたか?」
「オレには楽しんでたように見えたけどな。お前らみたいに、細かいとこまではわからねぇよ。子供なんて特にな」

 そうか、と答えたリィンの声はやはり穏やかだ。
 リィンが父親になると聞いたとき、クロウは妙に感慨深かったのを覚えている。
 メリルの家庭事情をクロウはよく知らないが(夫であるリィンでさえ、事の全てを聞いたのは随分と遅かったらしいが)リィンの事情はある程度理解していた。
 かつては養子であることを気にして育った家から離れようとし、血の繋がった家族も喪った男が、とうとう自分の子供を授かったというのだ。
 過保護になるだろうなとZ組の皆と話していた通り、一人娘に過保護な姿をみては笑い。「リオナに恋人ができたらどうするんだ」というクロウのからかいに真顔で悩む姿をみて笑い。「この子が大きくなったら」という未来の話をクロウにする横顔をみては、この家族の平和が長く続けとささやかに祈った。
 父親になっていく姿を。家族になっていく姿を。クロウは見ていたのだ。ずっと。仲間達と同じように。
 クロウの中の父親の記憶は薄い。それでもリィン・シュバルツァーという父親は、良い父親に分類されるのだろうなとクロウは思った。

「お前はどうなんだ。リオナが心配してたぜ? 飯食ってるか、とかな」
「俺の心配をしてたのか? まあ、随分と落ち着いたし、食事もしてる。本当に、クロウが今回のことを言い出してくれて助かったよ。色々と整理もできたし」
「泣いたか?」

 唐突なクロウの質問に、リィンは言葉を途切れさせた。目の前にいなくてもわかる、あの紫色の目を瞬かせているのだろう。
 葬儀の間、リィンが泣いていなかったことをZ組の皆が知っていた。
 悲痛な顔をして俯き、貼り付けたような微笑みは浮かべていても、誰がいつ見ても涙を零してはいなかった。子供の前ではいつもの父親であろうとしていたし、仲間たちの前ではきっと「皆も辛いのだから」という気持ちがあったのだろう。「泣けないだけだろう」とは、皆言わなかった。
 肉親や仲間を喪った経験があるクロウだったが、それでもリィンの悲しみを理解ができるとは思っていなかった。感情というのは結局自分自身のもので、他者がすべてを共有し、理解できることなどないのだから。
 ふっと、リィンが短く息を吐いて笑う。

「泣いた」

 たった一言で、クロウは肩の荷が下りた気がした。
 リオナを預かると言い出したのはリィンを泣かせるためだったからだ。泣くかなんてわからない、むしろ一人になって今度こそ後を追ってしまうかもしれない。そんな不安が小さくクロウの心を刺すような行動だったが、無駄ではなかったようだ。リィンの様子からするに、本人の言葉通り整理は出来たのだろう、その度合いはわからないが。
 短く返事を返してから自身の頬が少し緩んでいることに気が付いて、クロウは己の頬に触れる。どうやら知らずのうちに顔が強ばっていたようだった。
 もしかしたら、今日ミシュラムにいた間もそんな顔をしていたのかもしれない。

「遅いんだよ、バカ」
「誰がバカだ、誰が」
「お前しかいないだろ。泣いたって誰も責めやしないのに、ずっと泣かねぇから。アリサ達も随分と心配してたし、オレも子守りなんてガラじゃねぇってのに」
「……クロウ、泣いてるのか?」

声を出すより先に、頬から離した手が濡れていることにクロウは気付く。
動揺を隠すように、赤い瞳をぐっと瞼で蓋をして、開く。クロウが思っていた以上に、今回のことが心に閊えていたのかもしれない。
こういった気持ちを比べることは、あまりにも馬鹿馬鹿しいが。リィンに比べたら自分の悲しみは軽いと思っていた。
けっして軽んじていた訳では無いのだが、人の心配ばかりしていたせいかクロウ自身、友人を失ったことで流す涙を忘れていたのかもしれない。
強張りそうな声を落ち着けるためにふぅとため息をひとつ吐いて、クロウは窓の外を見た。寝静まった街の上では星が煌めいている。昼と同じように、夜の空も晴れているようだった。

「あーあ、泣くのもガラじゃねぇんだ」



 奇妙な夢を見た。
 いや、奇妙でもないのかもしれない。夢は記憶の整理とも聞くので、クロウの知っている場所や人物や出来事が反映された光景なのだろう。夢の中とわかるほどはっきりとした意思を持って、クロウはそこにいた。
 灰色の空、冬の風が吹く甲板、見覚えのある灰色の髪。
 かつて乗っていたパンタグリュエルは、クロウとメリル以外に誰もいなかった。常に甲板を陣取っていたオルディーネもいない。内戦の期間、タイミングが合えばメリルと二人ですごしたこの場所が、メリルとの記憶として強く印象に残っていたのだろうか。
 妙に広く、静かに感じるその場をしげしげと眺めていると、空を見上げていたメリルが口を開いた――が、なにも聞こえない。確かに何かを話しているのに、クロウの耳には一音も届かなかった。風の音が特別大きいわけではない。

「もっと大きな声で話してくれ、なんも聞こえねぇ」

 また、メリルが口を開く。しかし何も聞こえない。彼女は一方的に話している。その視線はクロウを見ることもあったが、だいたいは雪でも降りそうな空に向けられていた。
 ふと、嬉しそうにメリルの顔が綻んだ。声が聞こえなくともわかる、家族の話をしている。彼女がリィンの話をする時に、数年前からは家族の話をする時に浮かべる表情。それをクロウは何年も見てきた。
 もし声が聞こえていたならば、楽しげで、優しい声が聞こえていただろう。リィンやリオナとのなんでもない日常を、女神の至宝のように扱う彼女の姿が思い浮かぶ。

「リィンの夢に出てやれよ」
 自分の夢なのだから、どうしようもない。
 それにどうも、クロウの声がメリルに届いているかも怪しい。時折じっとクロウを見つめる視線に一言二言投げかけても、曖昧に笑うばかりで返事をしている様子はない。
 同じ風によって髪や服は揺れるというのに、自分達の間には透明な壁でもあるようだった。

「もっと、あいつの傍にいてやれよ」

 理不尽な苦情だな、とクロウは苦笑いする。夢の中のメリルに言っても仕方のないことだし、現実ならばもっとどうしようもないことだ。相手はもう土の下なのだから。
 自分と違って間違いなく、正しく肉体は棺桶に納められ。皆に見守られて土を被されて、「魂が迷わず女神の下へ行くように」と祈りの言葉をかけられながら、もうどこへも行けない土の中に埋められた。いまは墓石にしか言葉を向けることはできない。
 メリルは曖昧に笑っている。

「ずっと傍にいると思い込んでたんだろうなぁ、オレが」

 がしがしと頭をかいて大きな溜め息を吐いた。
 いつの間にか、リィンの隣にメリルがいることがクロウの中で当たり前になってしまって。ふたりともそれが日常だと、当然だというような顔をしてすごすものだから、クロウも忘れてしまっていたのだろう。人なのだから別れがあるのが普通で、当たり前だと。
 メリルの横は、からっぽだ。誰もいない空間を冷たい風が通り抜けていく。

「……夢の中くらい、リィンが横にいたらよかったのにな」

 何故だか、その言葉を言い切ってから盗み見たメリルの顔が悲しそうに見えて。クロウは心の中で「夢くらい幸せな顔をさせてやれよ」と文句を言う。
 どちらの口も閉ざされたまましばらく経ち、パッとメリルが顔を上げた。つられてクロウも空を見上げると、灰色の空から冷たいものが落ちてきていた。
 雨粒よりも頼りなく、風に吹かれては進路をかえてしまう雪がクロウの頬にあたって溶ける。メリルの睫毛にのった雪が溶けずにそのまま瞬きで落ちた。見れば、どんどん勢いを増すまま、彼女の上に雪が重なっていく。
 溶けずに残り、白く染めていくそれは、人間としてあるべき体温がないのだとクロウに告げていた。それが無性に悲しくて、悔しくて。
 クロウはメリルの肩の雪をはらう。声は聞こえないのに、触れられはするのかと思いながら、雪を落としていく。彼女はクロウの行動を拒まず、困ったように見ていた。

「お前が風邪ひくと、あいつうるさいんだよなぁ。今の状況なら確実にオレの所為にしてくるだろうし。文句言うなら自分が傍にいりゃあいいのに」
「――……」

 メリルが何かを言っているが、わからない。
 死者の声は、聞こえない。
 聞こえたとして、それはクロウが作りあげたメリルのまぼろしから発せられる言葉であって、本人のものではなく。夢から醒めたクロウが、その言葉を覚えているかもわからない。朝起きて、リオナを起こして食事の支度をしている間に、なにか夢を見ていたという感覚さえも消えてしまうような。そんなまぼろしなのだろう。
 だから、ごめんなさいなんて、そんな風に口が動いたように見えたのも、まぼろしだ。
 誰に向けての謝罪かなんて、わかりきっていた。

正しく死者だった 誤った生者だった



ALICE+