もう、夏が終わる。
 一ヶ月前よりも穏やかになった太陽がその姿を隠す時間が少しだけ早くなった。開かれた硝子の向こう、橙色に照らされた帝都の赤煉瓦を眺めながら、アパルトメントの前の道で遊ぶ子供達の声を聞いた。今日の遊びはそろそろ解散らしく、別れの言葉のあとにばらばらな足音が四方に散った。

「父様!」

 はっきりと自身に向けられた声に、リィンは窓の外を覗く。
 娘の姿を確認するとリィンの菫色の瞳が愛おしげに緩む。目に入れても痛くないと言うが、リィンの愛娘への態度はまさにその言葉に尽きる。
 彼女が忘れ形見となって数年。母親によく似た容姿は「生き写しのよう」「瓜二つ」、そのような言葉を投げられることが多くなった。似ていることを否定はしない。リィンも、メリルを亡くして暫くはその容姿に妻を見ては、嬉しくもどこか苦い思いを抱いたのだから。
 似ているのは容姿だけで、性格は正反対といってもよかった。リィンはその行動力と積極性に何度肝を冷やしたことか。可愛い娘といえど全てを許すわけではない、リオナには三日前に叱られた記憶があるはずだ。
 そんな愛娘はリィンと視線があうと顔を輝かせ、大きく手を振った。

「いまから帰る!」
「ああ。階段で転ばないようにな」

 嬉しそうに頷いてからアパートの階段方向に駆けていく小さな背中を見送って、リィンはあの日のように大きく開いた窓から温い風を受け止めた。
 メリルがこの世に残したものが、リィンの傍においていったものが、リィンの世界に彼女を繋ぎ止めた。あの小さな命が、色々なものとの鎹としてある。
 メリルのいない一日、一週間、一ヶ月前、一年。それを繰り返して、それでも世界は愛おしいままで回っていることに、リィンは心底安心している自覚があった。
  全てを投げ出してしまえないことを嘆いた時もあったが、それでよかったのだ。世界の様子や友人達の道の先、些細な日常。なにより、リィンとメリルのいとおしい子供の成長を見て、ゆっくりメリルの所へ歩いていこう。そう思うようになった。勿論、今だって胸が裂かれるような悲しみも、ぽっかりと歪に空いた風穴も存在している。
 晩夏の作る影のような虚ろを抱えて、リィンは生々しい暑さをした世界を生きていく。それでいいと、他でもないリィンが決めたから。
 遠い鴉の鳴き声にリィンが窓を閉めると同時。玄関のドアが開く音と、幼くてどこか舌足らずな、それでも少し母親に似た声がリィンの耳に触れた。

「父様、ただいま!」
 

晩夏に思う



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