埃の中の例えば
「よお、シケた面してんなリゼ」
「ユーリス……なんですか、手短にお願いします。長くなるようなら明日にしてください」
盛大に溜息をついてからリーゼッテは抱えていた膝から顔を上げる、人と話したい気分ではなかった。
アビスの書庫は修道院の図書室と違いあまり人が立ち寄らない。ガルグ=マクを落としてから五年、リーゼッテは度々この静かな場所を訪れては魔導書や禁書の類に触れ、時折嵐の夜のように荒れる気持ちを落ち着けていた。少々……いや、かなり埃っぽいことが改善点だが、戦の真っただ中のいまこのアビスに手が入る見込みは暫くないだろう。
「お前のこと追っかけまわしてたやつが出て行ったから教えに来てやったんだよ。なんだか知らねえが随分お冠だったぜ?」
「それはそうでしょうね、かなり強引に破談に持ち込んだので……ああ、次にくる手紙を思うと頭が痛いです。読まずに捨てるべきでしょうね」
「根がクソ真面目な堅物のクセに、向いてない手法で貴族様連中とやりあってるお前の自業自得だろ。誰の真似してんだか、自分で始末がつけられないことはするんじゃねえぞ」
「悔しいくらい正論です。とはいえ、これが陛下のお役に立っている以上、止めるつもりはありません」
だろうなと呆れた声を出したユーリスはリーゼッテの隣にどかりと座り込んだ、舞い上がった埃がランプの光に照らされた。
五年でユーリスとの仲は随分と改善されたように思う。
主や幼馴染に『親しい』と言われる程度には互いの空気は和らいでいたし、理解した事情やすごした月日もあって多少の馴れ馴れしさも許容できるようになった。懐に入れられて絆されてしまっただけかもしれないと、リーゼッテは時々思う。
少なくとも、調子を狂わされることを不快には思わなくなったし、肩が触れそうな距離に彼が座っても嫌とは思わなかった。
「いまは好き勝手にやってるみてえだが、結婚とかどうするんだお前」
「陛下の理想が完全に叶うまでには年数がかかるでしょうし……。それなら、紋章や地位を利用して世に影響力のある人間と結婚したほうが、陛下のお役には立てるなと思っています」
「結局お前は、お前が嫌いなものに一番縛られて一番従順な生き方してんな。エーデルガルトが世界を変えるってんだから、もっと自由に考えてみろよ」
「そんな風に言うのなら貴方が手本を聞かせてください、自由な未来とやらのね」
数秒、ユーリスが宙を眺めた。その横顔をリーゼッテは見ている、相変わらず綺麗な顔だと思った。
自分よりよっぽど上手に生きてきた人。いま自分が権力者相手にしているようなことを昔からしてきて、今に至った人。柔軟で強か、美しい顔から想像がつかないほど獰猛で強欲な人。彼は、彼が元いた学級の通り、狼のようだとぼんやりと思った。
きっとそれなりに参考になりそうな意見をくれるに違いない。床に置いたままの本の表紙をなぞりながら、リーゼッテはユーリスの言葉を待った。
「一緒に盗賊、いや、お前は盗賊っていうと嫌がるから義賊だな。この戦が終わったゴタゴタに紛れて私腹を肥やしてるような奴らを適当に締め上げて、その金で料理屋でもするか? そこらのガキも食えるような店にして……行き場のない子供なんてごろごろいるだろうし、土地ならお前が持ってるから孤児院も作るか。お、いい感じになってきたじゃねえか」
「……頭が痛くなってました」
「は? 元々痛がってただろ」
頭痛が酷くなってきたと言い直してから、リーゼッテはユーリスの言葉を頭の中で繰り返す。
自由な未来、とは言ったが、自由すぎるのだ。しかしユーリスなら実現させてしまいそうだなとも思う。彼の語る例えばの未来の中で、当然のようにユーリスと自分が一緒に行動をしているのがなんだか少しおかしくて、リーゼッテは笑った。
「孤児院があるのなら学校も作りたいですね。どのような立場でも学べる門戸の広い教育の場を、と先日フェルディナントとも話したばかりだったので。そうしたら、そこで学んで育った子供たちが陛下の作った世を支えてくれますし」
「世を支えるうんぬんはともかく、学びの場があるのはいいな。で、他には?」
「え、ええ……そうですね、農場でも作りましょうか。雇用もうまれますし、収穫物は市場に卸すなり料理屋や孤児院で使うなりできますし」
「いいじゃん、で次は?」
「難しいとは思いますが。同盟領や王国領で伝わっていた技術も、アビスの書庫にあるような有用な魔術も取り入れて。どのような人間でも通える治療院が欲しいですね、それなりの規模が欲しいとは思いますけど……」
「そりゃあいい。俺もガキの頃に世話になりたかったな」
からからと笑ったユーリスはリーゼッテのあげたものを否定はしなかった、自分で聞いている手前否定はしないとは思うが……。自身も大なり小なり夢を抱いているからか、彼は他人の夢を否定しない。そういうところがユーリスが人に頼られ、好まれる部分なのだろうなと思う。
「……で、どうだ。考えてみて、少しは参考になったか?」
立ち上がったユーリスの夜明けのような紫色の髪が揺れる、戦なんて知らないような綺麗な髪は、長さ以外は五年前と変わらない。整った造形に施された化粧は少しだけ変わり、差し出された手には真新しい傷が増え、向けられる視線は五年前より色が違う……ように感じた。
参考にはなったが、その道を行こうとは思えなかった。戦はまだ続いているし、エーデルガルトの理想の実現にはまだ遠い、そして彼女の隣にいる人の……。思い浮かべて、掻き消す。なんにせよ、未来を考えるには少々早い。
己のものと骨からして大きさの違う手を取ってリーゼッテは立ち上がる、ユーリスに向けた表情は五年前より素直だった。
「多少参考になりました。侍女と義賊の両立ができそうであれば考えておきます」
「お前が先生にフられたら迎えに行ってやるよ」