夜闇の中のこれから
一国の王、それも三国を統一したアドラステア帝国の皇帝の婚儀となればそれはそれは盛大なものだった。
厳重な警備のもと、ヒューベルトをはじめとした主要な臣下や黒鷲遊撃隊、地方の統治者、教会の関係者等を呼んで行われた婚儀は厳かなものだった。宮城アンヴァルの城下では婚儀の日の前から各所は祝いの飾りをつけていたし、婚儀が終わってから暫くの間も飾りははずされないのだろう。
ごく親しい人間を招いた晩餐では当たり前のように士官学院時代の級友が集まり、昔話に花を咲かせていた。級長であるエーデルガルトと担任教師であるベレトが結婚したのだから、これには普段領地に引きこもっているベルナデッタも大修道院で研究に没頭しているリンハルトも当然顔をだしていたし。国賓としてアドラステアを訪れていたペトラも、ブリギット王の顔ではなく友人のひとりとして輪の中にはいっている。
この国の中心であるエーデルガルトもベレトも柔らかい表情ですごしており、リーゼッテは安堵の息をつく。
長年の荷を下ろせたような、そんな心地だった。
主であるエーデルガルトがベレトに抱いている感情の全てを理解していたわけではないが、その大半はさまざまな好意であることはわかっていた。ベレトがエーデルガルトに向ける感情だってそう、あまり感情を表に出さない彼の、エーデルガルトに向ける表情を見れば察することはできた。
自分やヒューベルトがそうあれない、”エーデルガルトと対等に在ることができる”ベレトに、彼女の隣にいて欲しいというリーゼッテの願いは戦後数年目にしてようやく社会的な地位を伴って叶ったのだ。
テラスから大広間を眺めていた視線を、夜だというのに沢山の明かりで溢れている城下に移す。歴史と伝統あるそこは、エーデルガルトの統治でゆっくりと貴族と平民の境がなくなっていくはずの場所。何年か、何十年か、いつか貴族がいなくなるはずの国。
「リゼ」
ぽん、と突然肩を叩かれて体を跳ねさせたリーゼッテが振り返ると、相変わらず美しい相貌に笑みを浮かべたユーリスがそこにいた。
なんだユーリスか、という気持ちを隠しもせずに溜息を吐いたリーゼッテはユーリスが器用に二つもっていたグラスの片方を受け取る。グラスを満たす液体は酒ではない、エーデルガルトが好む果実を使った飲料だ。
「お前が先生にフられたから迎えにきてやったぞ」
歯に衣着せぬ言葉にリーゼッテは先程より深い溜息をついた。
リーゼッテがベレトに好意を抱いていたのは事実だ。それは黒鷲遊撃隊の数名は確実に知っていて、エーデルガルトは知らないこと。リーゼッテが隠していたことで、もしかしたら隠しきれていなかったかもしれないこと。
リーゼッテは主の翼に恋をしていた。
そんなリーゼッテに、数年前ユーリスは言ったのだ「お前が先生にフられたら迎えに行ってやるよ」と。言われた当時も「何を馬鹿なことを」と思った記憶はないし、どう返したかも覚えていない。ただ、どこかからかい混じりのそれを本気とは思っていなかったことは覚えている。まさか、数年越しにその話をされるとは。
「ひとつ訂正をいれておきますけど。わたしはあの人に好意を伝えたことはないので、フられたわけではありません」
「伝えても断られてただろ。一緒だ一緒」
「ユーリス。貴方、久々に会う、しかも傷心の友人に気遣いのひとつもないのですか」
「久々に会った友人に出会い頭から、やれ手紙をもっと寄越せだとか悪い噂ばかり耳に入ってくるだとか説教垂れた人間の言葉かよ」
その件については多少悪かったなと思っていたのでリーゼッテは黙ってグラスを煽る。
それに、別にリーゼッテは傷付いているわけでもない。そのことを多分ユーリスも理解している、時折不思議になるくらいリーゼッテの感情を読むことに長けていた。リーゼッテ以外の人間の思考だって彼は当ててみせた、対人においてユーリスはとても優れていた。
無言になったリーゼッテの髪を梳いてユーリスがけらけらと笑う。
「まぁそう気を落とすなよ、わざわざ俺がこすい事してそうな奴らの一覧作って持ってきてやったからさ」
「不思議なんですけど。わたしが貴方と行動をするのが前提ですよね」
数年前のあの時だってそうだ。当たり前のように、ユーリスが語ってみせた例えばの未来にはリーゼッテがいた。
リーゼッテの言葉に少しばかり考えるように目を城下に走らせたユーリスが化粧を施された瞳を細めた。空に浮かぶ月のように弧を描く唇を綺麗だなと思いながら、リーゼッテは彼の言葉を待つ。いつかも、こうして彼の言葉をまっていた。
ゆっくりと、ユーリスの手入れの行き届いた、それでも武器を握っているとわかる手に持たれたグラスがリーゼッテのグラスに近付く。ガラス同士のぶつかる高い音が夜闇に落ちた。
にんまりと、目の前の人間は笑っている。
「そりゃあお前が俺のこと嫌いじゃないからだよ。いや、好きだろ俺のこと。なあ?」