くちびる
離れていったユーリスの唇を見送って数秒。
顔が火を噴きそうなくらい熱いことを自覚しながらリーゼッテはユーリスの頬を軽く叩いた、二人以外誰もいないアビスの書庫にぺちと情けない音が落ちるが、そんなこと気にしていない様子でユーリスは肩を竦めた。
「有象無象で慣れてるだろ」
「有象無象以外にされたら流石に驚きます、軽率ですよ」
へぇ、とユーリスは含みがある声を出したが、リーゼッテにはその含まれたものを汲み取ることはできなかった。
つ、と唇をなぞるユーリスの指を視界におさめながら頬のほてりが冷めるのを待つ。目の前にある薄い紫の瞳が無遠慮に覗き込んで来ることなどとうに慣れてしまって、それがいい事か悪い事かはともかく、五年前彼が黒鷲の学級に来たばかりの頃とく比べたら随分と仲が良く……というのは、少々癪に障るが、仲は良くなったのだと思う。体感的にも、周囲からの評価的にも。
満足がいったのか軽く唇を押してから離れたユーリスの指には僅かに口紅がついていた。ひきなおしではないかとリーゼッテは顔を顰めて小物入れから口紅を取り出し、軽く唇に滑らせる。その間ユーリスは己の指についた色をみており、ふと零す。
「ちょうど一つ欲しかったし、同じ色にするかな」
その言葉にリーゼッテは視線を彷徨わせた。
今日、ずっと窺っていた機はまさに今だと分かっている。持ち歩いている小物入れから小さな筒を取り出して、ユーリスの胸元にぐいと押し付けた。
それは、いまリーゼッテがつけているものと同じ色をした口紅だ。ユーリスに似合いそうだと思って買ったはいいが、どこか気恥ずかしくて包装まではできなかった。好みの色かもわからないし、渡せるかもわからないのだからと言い訳をしてそのまま持ち物に加えたのは今朝の話。思い出したついでに渡したのだとわかるように、なるべくいつもと同じ声色を意識してリーゼッテは口を動かす。
「どうぞ、誕生日ですよね」
「覚えてんのが意外だ。ま、ありがたく貰うけどな」
「貴方からどのくらい薄情に見えているかは知りませんが、わたしだって友人の誕生日くらい覚えていますよ」
へぇ、とまたどこか含みのある返事をしたユーリスが、指先で装飾をなぞったあと蓋を開けて紅の色を見る。数秒眺めてからリーゼッテにむかってにんまりと笑った。確実に勝てる賭けをするときの顔を思い出す綺麗な三日月に、リーゼッテは一瞬おし黙る。悪いわけではないが、ふたりきりで彼がこういった笑いを浮かべる時は、だいたいリーゼッテにとって不利だったり、恥ずかしかったり、照れくさかったりすることを考えているので、どうしても身構えてしまう。
「……なんですか」
「いいや、なんでもないぜ?」
上機嫌なユーリスが口紅を手の中でくるくると回してから懐にしまう。貰い物に目の前で難癖をつけると人間ではないが、受け取って貰えたことにリーゼッテは安心した。別に、彼が受け取らなかったら自分が使えば良い話ではあるが。
本来の目的だったはずの本を数冊手に取ったリーゼッテはユーリスの横を通り過ぎようとして、立ち止まる。肝心なことを言っていなかったなと思いだしたのだ。
「ユーリス、誕生日おめでとうございます」