埋めてしまえと理性が咆える
※他ルート/
「やっぱりここでしたか、先生」
ノックをされただろうかとベレトは考えるが、自分の耳に扉を叩く音は聞こえていなかったように思う。振り返れば、一応ノックはしましたよと肩を竦めるシルヴァンが立っていた。静かに扉を閉めた彼はそのままベレトの横に立ち、ベッドの上にあるものを見た。
人がある。いるわけではない、すでにその体温は失われ、心臓はその動きを止めていた。五年前この部屋の主だった人間が静かにベッドの上に横たえられている。赤い髪が印象的な女性、アドラステア皇帝の侍女であるリーゼッテだ。
ほんの少し言い難そうに、それでもシルヴァンは切り出した。
「先生が遺体を自分の騎士団に任せた事は知ってました。きっとガルグ=マクに持ち帰ってきてるだろうなと」
「そうか」
シルヴァンの言う通りだ。
先の戦いで自ら討ち取った。仕方のないことだったと思うし、そうなるしかなかったとも思う。五年の眠りから覚めたベレトはかつての教え子達に手を貸してアドラステア帝国と敵対していた。エーデルガルトに強い忠誠心を持っていたリーゼッテが目の前に立ち塞がるのも、そうなるべくしてなった事だ。リーゼッテが魔法を使い、自分は剣を振るった。その結果、自分だけが立っていた。
天帝の剣の背骨のような凹凸の間を赤い血がつたって、地面に落ちていった。初めて抱き締めた体が想像よりも細く、血と花の匂いがした。伸ばされた手が、自分の目元をなぞって落ちた。
戦いの最中、なにかに浸るわけにはいかなかった。ただその瞬間、腕の中にある体が悪しきに利用されることも、汚されることもベレトは嫌だと思ったのだ。
だから、五年前と変わらず力を貸してくれている父親の傭兵団の人間に任せて後ろに下がらせた。幸い、誰に何を言われるでもなく――もしかしたら、シルヴァンのように教え子の数人は気が付いていたかもしれないが、余計な混乱を避けるために何も言わなかったのかもしれない。ガルグ=マクに運ばれた遺体は、こうして目の前にある。
ベレトとの戦いで不揃いになってしまった髪はそのままだったが、血と泥で汚れた白い服は遺体を拭いた時に修道院から拝借した服に変えた。
「先生って、彼女とそんなに仲良かったですっけ? いや、答えなくてもいいですよ」
「シルヴァンはあまり仲が良くなかったように見えた」
「まぁ、そうですね。互いに嫌いだったと思いますよ」
ベレトは、シルヴァンとリーゼッテの間にどういう会話があったのかを知っているわけではない。個人の事情は聞いていても、そこから発生する感情までをベレトは把握することはできなかった。二人の関係はシルヴァン本人が言うようにシルヴァンが嫌い、リーゼッテも彼の事を嫌っていたように思う。
夕陽のような色の髪をぐしゃりと潰したシルヴァンは、五年前のように辛辣な言葉を投げかけてくることがない唇をみて言葉を零した。
「紋章を生むための種として、紋章を生むための胎として、異性に見られるのが嫌だったってとこは、今となっては割と似てると思うんですけど。なんですかね……目が嫌いだったんですよ、”どうせお前もそういう存在だ”って言ってくるみたいに、冷え冷えとした目をしてたんです。まぁ知っての通り彼女、真面目な性格でしたし、俺の態度は好きじゃなかったんでしょうけどね」
「そんな目をしていただろうか」
「先生はきっとそんな風に見られてないですよ。きっと俺が女に思ってたことが透けて見えたんじゃないですかね」
自分と話す時のリーゼッテはどんな目をしていただろうかと、五年の空白を感じない地続きの記憶を辿った。シルヴァンにも言ったように、冷え冷えとした目で見られた記憶はない。エーデルガルトに向けられる敬愛の目ではなかったし、彼女の幼馴染であるヒューベルトに向けられる気安さもなかった。
彼女の最後の眼差しと同じように、柔らかであったことを覚えている。正しく五年の時をすごしたリーゼッテの視線が、自分以外の全てが変わってしまったような世界のなかで変わらずあったことに、その命を奪っておきながらベレトは安心した。もう見ることも、見られることもない。
そこでいよいよベレトは自分がどういった感情を彼女に抱いていたかを薄々理解しはじめるが。同時に、解を得る前に埋めてしまうべきものだとも察した。それまでの歩みに後悔という小さな陰りができてしまいそうだったからだ。
時を止め、理を曲げて世界を巻き戻しても、同じ道しか辿れなかっただろう。そう己を納得させるのは融けた鉄を飲み込むように難しいことだった。ともすれば歪みそうになる表情をなんとか抑える、この時ばかりは己の表情筋のかたさにベレトは感謝した。
「……どうするんですか。一応言っておきますけど、帝国に戻すのは難しいですよ」
人の体というものは腐る。もちろん、それ以外の理由だってこの戦時下では発生する。当然理解していたので、シルヴァンの言葉にベレトは頷く。
このままガルグ=マクに埋葬することになるだろう。リーゼッテはエーデルガルトの元で眠ることを望んだかもしれないが、ベレトが無計画に連れ出してしまった以上それは叶わない。罪悪感を覚えながらベレトはリーゼッテの顔の稜線をなぞる。記憶より大人びた顔は、確かに五年の時が進んでいたのだと改めてベレトに思い知らせた。
「埋葬しよう」
ベレトはリーゼッテを抱き上げる。もとより埋葬するつもりだったのだろうシルヴァンはベレトの言葉に驚く様子も見せずに頷いて墓地の一角、主のいない場所を告げた。彼の開いた扉から出る。
五年前、柔らかな視線と共に歩いた修道院を軽い体を抱いて歩く。かつてジェラルドから受け取った指輪の存在をベレトは思い出していた、もう不必要かもしれない、わからない。ベレトにとっては鮮明な、リーゼッテにとっては過去の記憶になっているだろう景色を通り過ぎる。横を歩いていたシルヴァンが覚えのある顔から花を受け取る様子を視界の端にとらえながらも、歩みは止めなかった。遠く見える空は灰色の雲が覆っている。ベレトを見て驚いた顔をした修道女が道を開けて、そこを早足に通り過ぎる。
いつの間にか束になった花を持つシルヴァンを後方に、ベレトはとうとう駆けだした。リーゼッテの頬に雫が落ちたからだ。
雨が降る前に早く。足元に落ちかけた陰りも、春の空のように薄い水色をした情も、彼女の骸と共に埋めてしまおう。
埋めてしまわなければ。