逆巻く時に消える涙
心臓が止まるかと思ったその原因は、心臓が動いていない彼の血に塗れた姿だった。
周りの兵士が声を掛けるより先にリーゼッテはベレトの元へ駆け寄る。地に膝をつき横たえられた体を見下ろせば大小様々な傷があったが、嫌でも目に入るいっとう大きな傷。胸から腹部にかけて装備が裂け、その下の肉体を傷つけて、いまだ鮮血を溢れさせている。夥しい量の血液が流れ出ているであろう体にまだ命があることが不思議なくらいだった。瞬時に頭が理解する。
(どうしよう、助からない)
この傷の深さと大きさではもはや治療魔法も意味が無い。奇跡的に傷が塞がったとしても、失われた血液が急速に戻るわけではない。魔法をかけ続ける間に流れ出る血で死んでしまうだろう。
(先生が死んでしまう)
ベレトが死ぬ。主の翼がもがれてしまう。皆の先生がいなくなってしまう。当然士気は下がるだろう、エーデルガルトはようやく手に入れた安息を失ってしまう、彼女の理想が遠のいてしまう。
「先生」
やや後方で戦っているエーデルガルトのもとへ早馬を飛ばし、近場で治療魔法が使える者を集めるようにと兵士に指示をする。今日に限ってリーゼッテは己の連れている部隊が治療に特化した者たちでないことを恨んだ。
頭上での大きな声でゆっくりと開かれた瞼の下、淡く光るような緑色がリーゼッテをとらえると、地面に転がっていた腕を上げようとした。
「動かないでください、喋りもしないで。治療魔法をかけますから、どうか、」
逝かないでとは言えなかった。助かる見込みがないことをよく理解していたからだ。縋るように零れてしまった涙を拭う一瞬さえ勿体ない。半端な高さに上げられた手を握って、五年前に覚えた治療魔法を行使する。
「リーゼッテ」
「黙ってください、お願いだから」
何かを言わせればそれが最後の言葉になってしまいそうで恐ろしい。いや、きっとそうなってしまうのだが、それならばエーデルガルトがここに到着するまではなんとしてでもベレトの命を繋がなければいけなかった。
「大丈夫だ」
なにが大丈夫なものか、幼い子供だって大丈夫でないことがわかりそうな惨状だというのに。
ベレトが自分自身に言い聞かせたものでないのは、その瞳がしっかりとリーゼッテをとらえて瞬いていることから理解出来た。であれば、幼子を宥めるような声色の言葉はリーゼッテに向けられたものだ。その事にたまらなく胸が裂かれる思いがした。
「先生、わたし達を置いていかないで」
五年前のように、自分達の前から消えてしまわないで。目の前でいなくならないで。わたしを置いていかないで。
掌から零れる光が淡いものになりはじめて、リーゼッテは唇を噛む。消えかけた治癒の光にぼんやりと照らされたベレトの瞳は、何故か先程よりも力強いように見えた。
血でぬめる手が痛いくらいに握り返されて、とうとうこの人の命は尽きてしまうのではないかとリーゼッテはその名を唇に乗せる。
音を拾ったのか、唇の動きを読んだのか、血のついた顔をほんの少しだけ驚きの形にしてからベレトは微笑んだ。
そして、時は遡行する。