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妻の手記

 夫が寝てから一週間になる。四十度の大熱が続いて、今が一番危険な時だとお医者さんが仰有った。肺炎には手当が肝心だと云うので、氷で冷したり、湿布をしたり、吸入をしたり、私は夜も寝ずに介抱した。でも未だ先が見えない。私はどうしたら好いだろう。
 夫も心配だけれども、赤ン坊にも伝染りはしないかと随分心配だわ。だって赤ン坊は他所の子ですもの。夫が思いもかけぬ大病になって、その中で赤ン坊を馴れぬ手に育てる。それもあり余るお金でもあれば別だけれども、こんな貧しい中で、明日にもなくなるお金の事を思うと、ほんとうに情けなくなる。然し之もみんな神様がお試しなさる事だ。夫がこのまま治って呉れれば、赤ン坊が育ってさえ呉れれば、今までの苦労は何でもない事だわ。けれども、夫が寝込んだ為めに赤ちゃんのお母さんを探す事が出来なくて困って終う。ほんとうにお母さんはどうしていなさるんでしょう。
 夫が始めて赤ちゃんを連れて帰った時に、私は随分驚いたけれども、夫の話に真実偽りがあろうとは思いません。ほんとうに親の身になったら、どんなにか辛い事だろう。一時も早くお返えし申したいと思ったわ。
 けれども、その翌日、ふと赤ちゃんが夫によく似ている事を発見けた時に、私はどんなに驚いたろう。横顔がそっくりなんですもの。私、疑っては済まないのだけれ共、夫が他所で生ました子で、何かの訳で連れて来たのだと思いました。でも余り夫の話が奇妙なんですもの。
 私、随分考えたわ。夫に限ってそんな筈はないと思うのだけれども、もしやと思うと、そりゃ情けなかった。けれども赤ちゃんはほんとうに可愛くて仕方がない。これが夫の子なら、この子のお母さんさえ承知なら私は喜んで育てるわ。私は心から夫を愛しています。私の為めにお父さんと喧嘩して、その為めにこんな悲惨な暮をなすっているんですもの。夫の子だと思えば私自分の子のように愛せるわ。私何遍か夫にその事を云おうと思った。だって、余りよく似ているんだもの。でも流石にそうとは云い兼ねて、一度冗談のように、宅の子にしようかと云ったら、すぐ馬鹿と叱られて終った。でも女と云うものはしようのないもの、私はまだ迷っていたわ。
 間もなく夫の病気、大熱が続いたので、お父さんの事や、私の事や、随分いろいろと囈言見たいな事を云った。私は心配でおろおろしながらも、それでももしや夫が赤ン坊の秘密でも云いはしないかと、ほんとうに我ながら気の狭いのにあきれる、聞耳を立た事だった。けれども赤ン坊の事は気が確な時に二度許り、早く親の手に返えしたいと云った切り。人と云うものはこんな時に嘘の云えるものじゃない。自分の子なら心配してなんとか云うに違いない。私ほんとに疑るなんて済まない事をした。赤ちゃんは夫の子でもなんでもありゃしない。他の赤ちゃんなんだ。
 こう分ると、何だか張りつめた気がガッカリした。赤ン坊は可愛くて可愛くて、それに私によく馴染んで、離すのは嫌だけれども、いつまでもこうしてはいられない。早く親の手に返さなければならないし、夫は病気だし、どうしたら好いだろう。
 ああ又隣で子供が騒ぐ。隣の人達はみんな好い人で、それにお母さん一人で大勢の子供を抱えているのだから、無理のない事だけれども、安静が第一だと云う夫の病気に障ったらどうしよう。こんな日当りの悪い六畳に三畳切のバラックで病みついている夫が気の毒で仕方がない。私と云うものさえなければ何不自由なく暮して行ける身分なのに、このまま熱が下らなかったらどうしよう。それよりももう一週間も病気が続いたら、薬を上げる事も出来ない。ああ涙で何にも分りゃしない。この意気地なし奴。
 どうぞ一日も早く夫の病気が治り、そして赤ン坊の親が知れますように、神様お願いです。