ここへ越してきて早いもので3年目。ギイギイ軋むベランダでタバコを吸いながら、思い出を振り返ってみる。
例えば、内見しに来た日。もう明らかにアパート全体が暗くって、どんより淀みきった空気に本当に心の底から「ここ最悪！」と思ったもんだ。そんでもって私の部屋は……とびきり最悪だった。
だってもう扉開けた瞬間、異形の物がギョェーだかギャアーだか言って飛び出て来たもんね。正直言ってチビった。
目が輪郭から飛び出てたり、ちょっとデザインが斬新すぎたね。口も開けっ放しな上に、何だか細かい牙が並んでて、指を入れて左右に擦ったらギコギコ音を立てて切れそうだったし。
無言で見つめていたら化け物の方が気まずくなったのか「あっ……」みたいな微妙な空気を残して消えてしまった。私が悪かったのか？と悩んだ。
入居を決めて引越して来た日もそれなりに大変だった。水道から長い髪の毛がドバッドバ出てきちゃって、掃除に苦労した。
排水溝に詰まった髪の毛なら、市販の薬品で溶かせるけど、蛇口の中身の問題は素人である私には何も出来なかったから放っておいた。ある日、皮膚っぽい塊が勢いよく出てきて、それ以来髪の毛は出てこなくなった。
普通に気持ち悪かったため、皮膚っぽい何かは排水溝に押し込んで、薬品を掛けた。翌日には消えて無くなったから良かったけど、解決してなかったら何を呼ぶべきだったんだろう。水道業者？特殊清掃？それとも霊能者的な人？
でも水道なんかより、デカいムカデがトイレを不法占拠していた時の方が何倍も嫌だった。膀胱炎になるかと思うほど尿意を我慢したのは後にも先にもあれっきり。二度と立て篭らないでほしい。トイレ使えないと人間として終わっちゃうからね。
あと、ゴキブリ。生ゴミとか気を付けていたのに……湧いた。ホイホイや毒餌式の罠を仕掛けたり、スプレーと物理的な攻撃で地道にやっつけたが、残念ながら絶滅は不可能なようだ。仕方ないので共生の道を歩んでいる。
色々難ありではあるけれど、半年もしたら住めば都というアレになっていた。割と駅も近いし、コンビニは無いがスーパーならある。
他の入居者たちとの関係は希薄過ぎて現代の闇を感じて寂しいけど、そのぶん時たま住人のクシャミとかが聞こえてくると、自分は一人じゃないんだなぁ！と何故かしみじみ思えて何となく心がジーンと暖かくなったり。小さな幸せを感じられるようになったのは良いことかもしれない。
やはり何だかんだ孤独が一番怖い。人間って群れで過ごす生き物だから。よく動物番組なんかで自然の掟的なドキュメンタリーやってるでしょ。ヌーの大群。そこから誰かが逸れるのを待ち続けているライオン、みたいな。私たちはヌー。知らんけど。どうでもいいけどヌーって響きが阿呆っぽくて気になってきた。
気がつけば灰皿には既に二、三本の吸殻がある。
また、くだらない妄想に貴重な時間を使ってしまったなあ……少し虚しくなりながら、次のタバコに火をつけ、ベランダからの景色を眺める。ここから見える景色だけは最高……と言いたいところだけど、せいぜい近隣のお宅の庭木程度しか緑がない。
「ん？」
ふと気付くと、下……駐車場に見慣れぬワゴン車が停まっていた。業者かな？今日は何かの点検日だったっけ？ 新鮮なニコチンを肺いっぱいに吸い込みながら見ていると、車内から2人の男が出てきた。
(うわー、何だあのカッコ)お坊さんの服……袈裟に身を包んでいる男が裏手、アパートの入口へ回って行った。その後をスキップするように呑気に歩いているのは、ねずみ色の長髪をいくつかに束ねた青年。
どちらも業者には見えないな。かと言って、袈裟なんて着込んだ高尚そうな人が宗教の勧誘なんていやらしい事するかしらん。
大分前に勧誘にいらしたが、適当に追い返したホホバだったかホニャララの証人の呪いだろうか？突然ボタッとタバコの灰が裸足に落ち、思わず「あﾞぢィッ！！」と叫んでしまった。
しゃがみこみ足を払っていると、柵の隙間から先程の青年と目が合った。ここは4階なのでそこそこ離れてはいるのに、ばっちり視線が交わるのを感じる。汚い叫び声を聞かれたのだと思うと恥ずかしい。
気まずいな……とほんの少し赤くなった足の甲に目を移した間に、青年は居なくなっていて少しホッとする。とりあえず、チリチリ訴える患部を冷やそうと部屋に戻った。
───もしかして、ここの化け物たちを成仏させに来たとか？悪霊退散！って感じで……。住人の誰かが相談したのかもな。
ぼーっと保冷剤で足を冷やしていると、不意に外……廊下から人の声が聞こえた。
「ここの人とは仲良く……だからね、真人」
「分かってるよ」
そして、隣室から古びた扉の音が鳴り響く。確か隣は空き部屋だったとはずだけど。もしかしてあの人たち、越してきたの？だとしたら新たな隣人さんか……。