似合いの右足
※大学生設定
今日はずっとイライラしていた。
個人ランク戦を観戦していた諏訪さんを無理やりブースに押し込んでランク戦を始めたが、やはりというかイライラしたままでは試合にならず、5本勝負のうち3本取られてしまった。試合後に諏訪さんが「生理か?」と聞いてきたのは腹が立ったので腹パンしておいた。まあ、つまるところ、諏訪さんには八つ当たりをしてしまっただけなのだ。大学生になっても一人暮らしをしても、まだまだ私は子どもらしい。私と違って大人な諏訪さんは頭をガシガシ撫でながら「あんまりピリピリしてんなよ」と言ってくれた。
ランク戦ブースを後にして、イライラの原因について考えてながら帰路につく。ランク戦が終わってから幾分落ち着いた頭で考えてみると、かなりくだらないことで喧嘩していたことに気付いた。私がとっておいたプリンを荒船が勝手に食べたことから口喧嘩が始まり、私が以前に荒船のアイスを食べたことまで引っ張り出され、挙げ句の果てにいつもの生活であれがダメだのこれはこうしろだの、関係ないことまで巻き込んで盛大な口喧嘩に発展してしまったのだ。これがつい先日の話で、朝は挨拶もなしに各自朝ごはんを済ませ、荒船は大学に、私は全休のため朝から防衛任務についた。朝の空気を思い出してため息が出る。疲れているのに家に帰ってからも気疲れすると思うと気が重くなる。
「や、苗字ちゃん」
後ろから聞き慣れた声がして振り向くと、頬に誰かの人差し指が刺さり、振り向く顔が途中で止まった。いかにもチャラそうな顔をしてぐうぜ〜ん!なんてチャラそうに言う犬飼がそこにいた。しまった、振り向くんじゃなかった。
「人違いです」
「ひっどいなあ、今一瞬ゲッて顔したでしょ」
「なんで犬飼がここにいんの。さっきまでカゲとランク戦してなかった?」
「あーあれね、なんか全身バラバラにされそうなくらいカゲ怒ってたから逃げてきた」
「絶対犬飼が怒らせたでしょ」
ちょっとからかっただけだよ、なんて悪そうな顔で言うもんだから、なんだか腹が立って足を蹴った。暴力反対!と喚く犬飼は置いて、今日は特売日だから早くスーパーに買い物に行かねば。「苗字ちゃんさあ、荒船に似て手が出るようになったよね」聞こえてきたワードに思わず立ち止まる。
「そういえば苗字ちゃん荒船と喧嘩してんだって?」
「…なんで知ってんの」
「あ、マジだったんだ。なーんかピリピリしてるから荒船関係かなって思ったんだよね」
「………」
「で?今回はどっちが元凶?」
犬飼にしてはまともに話を聞いてくれそうだ。小さく息を吐いてから、事の顛末をざっと話した。
「あははは!くだらな!」
「…うるさい」
「半同棲してんでしょ?一緒にいると怒り方も似てくるのかな。あー笑った」
「私もちょっと言いすぎたかなって、思うけど」
「荒船謝んないだろーなー、もう水野ちゃんから謝っちゃえば?」
犬飼の言うことは一理ある。荒船は喧嘩をずるずる引きずっている時、それも両方に非がある時なんかは、あまり謝らない。そもそもの元凶は荒船なのだけど、私もプリンを楽しみにしていただけあって言いすぎてしまったのは事実だし、さっさと私の方から謝ったほうがいいのかもしれない。うん、たまには犬飼もいいこと言うじゃん。気持ちは決まったから、あとはきっかけだけだ。
「そうする。ありがとう犬飼」
「あはは、珍しく素直だね」
「うっさいなあ。犬飼に顔触られたって荒船にチクるよ」
「すっごい語弊あるじゃん。絶対俺殺されるからやめて」
さっきまでイライラしていたのが嘘のようにパッと気持ちが晴れて、からからと笑う犬飼はなぜか不覚にもかっこいいと思ってしまった。この事実は墓まで持って行こう。
・
あとはきっかけ作りだ。特売日のスーパーに足を踏み入れ、買い物を済ませる。そういえばトイレットペーパーが切れかけてたな。あとは、とにかく昨日プリンが食べたかったから今日こそプリンを食べようと思ったのになんとスーパーのデザートブースにはプリンの姿はなかった。プリンを渋々諦め、代わりに何を買おうか思案する。そういえば、私が荒船のアイスを食べたのも一つの争点だったことを思い出す。私が食べてしまったアイスと同じものを一つだけ買おうとしたが、また争いになるといけないので二つ買った。これできっかけはバッチリだ。「ごめんね、一緒に食べよう」とひとこと言うだけで喧嘩終了だ。謎の満足感と達成感を感じながらスーパーを出て、しばらく歩くと自分のアパートが見えてきた。
「ただいま」
荒船とは半同棲のような状態で、元々私が大学に進学すると同時に借りた部屋に荒船が通い、週のほとんどは荒船と一緒に過ごしている。荒船は実家暮らしだから、親に申し訳ないと言ったこともあったけど、もう付き合ってから2年経つので荒船の両親には信頼されているようだ。喧嘩しても荒船は私の家に来てくれる。扉を開くと、いつもより少し低い声だけど、「おかえり」と声がした。
「荒船、…?なんの匂い?」
一歩踏み入れると、鼻腔にふわりと出汁の匂いが香った。…これは、まさか。靴を脱いでリビングに入ると、キッチンに荒船が立っていた。
「え!ごはん作ってくれたの!?」
「…まあ、な」
「おいしそう!うわ〜嬉しい!ありがとう!」
「もうできるから手洗って来いよ。お前、スーパー行ってきたのか?」
「あ、そうそう。トイレットペーパーが切れてたから」
荒船は器用で、料理もできる。少し男らしい料理だけどかなり美味しい。けどめんどくさがってあんまり作ってくれないから、こうして作ってくれるのはレアだ。もしかしたら、荒船も喧嘩を気にかけてくれていたのかもしれない。そう思うと胸があったかくなって、先程買ってきたアイスを袋から二つ取り出した。
「あのね、これ、こないだ食べちゃったから買ってきた」
「は?なんで二つあるんだよ」
「荒船と一緒に食べようと思って」
荒船は目を丸くして、少し目を泳がせた。え?なに?こんな可愛いもの食えるか!ってこと?と思ったと同時に荒船が冷蔵庫に手を伸ばして、中から薄黄色のなにかを取り出した。
「プリン!」
「うわ、なんだよ。急にでかい声出すな」
「に、二個も!ある!」
「…昨日、お前の食っちまったし、一緒に食おうかと思って」
まあ、お前も同じ考えだったみてーだけど。ぶっきらぼうにそう言った荒船の耳は少し赤くて、なんだか嬉しそうな顔をしているようにも見える。なんだ。私たち、おんなじだったんだね。
「私もプリン買おうと思ったんだけど、スーパーになくて」
「ああ、俺が買ったので最後だった」
「荒船だったんだ〜、プリンなくてけっこうショックだったんだから!」
「いーだろ、今から食えんだから」
笑いながら冷蔵庫にプリンを、冷凍庫にアイスをしまってから、ありがとう。ごめんね。と言ってぎゅっと抱きつくと、控えめに背中に腕が回されて、「俺も、悪かった」と小さい声が聞こえた。
「今日ね、イライラしてて全然ダメで」
「おう」
「ランク戦で諏訪さん捕まえたけど負けたし、セクハラされるし」
「ちょっと待て、なにされた?」
「犬飼は顔触ってきてうざかったし、まあちょっと感謝することもあったけど」
「おいコラ待て、もう一回言え、なにされたって?」
帰ってきた時よりも低い声で、しかも眉間にシワを盛大に寄せて怒るもんだから、思わず笑ってしまった。ああ、私愛されてるなあ。「なに笑ってんだ」と大層ご立腹な荒船は私の両頬をつねり出した。犬飼の手入れされたすべすべの指より、荒船の少し節くれだった男くさい指の方が好きだな、なんて言ったら、怒りそうだな。犬飼の指なんて忘れろとか言いそう。
「荒船、ごはん食べよ」
「話は終わってねーぞ」
「せっかく荒船が作ってくれたんだから、できたて食べたい。デザートも早く食べたいし」
「飯食ったら全部今日あったこと吐けよ」
「飯だけに?」
気付いたらさっきまでのイライラなんて消えていた。荒船のせいでイライラしたけど、そのイライラを消すことができるのも荒船だけだったようだ。今の私の頭の中では、プリンとアイス、そんなに食後に食べれるかなあ、そんな幸せな悩みに変わっていた。