願って叶えて


「ねぇ、薔薇子先生」

静かに響いていた鉛筆の鉛が紙を擦る音が消えたかと思ったら突如呼びかけられた。
声のした方向へ顔だけ向ければ、少年は机の上から腕を下ろし、身体ごと此方を向いていた。

「なに、悟飯君。」

私も身体ごと向き合い手にしていた参考書をぱたりと閉じ、膝の上へ置く。

「分からないところ、あった?」

視線を合わせること無く床を見つめる少年にさらに続けて問いかけた。

「あ、もしかして疲れちゃった?
 ちょっと休憩しようか。」

返事も待たずに空のマグカップ2つを引き寄せ温かいお茶を注ぐ。

「はい。」

短く返事をした少年に「どうぞ」と言いながら湯気立つマグカップを手渡す。
一瞬だけ目が合ったが「ありがとうございます。」と小さく言い受け取ると直ぐにまた床へ目線を移した。

「薔薇子先生は、大切な人っていますか?」

9歳にしてやけに大人びた彼の表情に一瞬戸惑った。

「大切な人?」

「はい。」

質問の意図が読めず当たり障りなく答える。

「いっぱいいるよ。家族とか、お友達とか。
勿論、悟飯君もだよ。」

彼は家庭教師をしている私の教え子の一人だった。
優秀な彼は教わったことをどんどん吸収し、難問も難なく解き明かしていく。
私の教え子の中で最年少であるが教えている内容は彼が一番レベルが高かった。

「あの先生のことも…?」

名前が無かったが誰を指しているのかすぐにわかった。

「うん……。そうだね。」

私にはお付き合いしている人が居る。
彼もまた家庭教師をしており、時折悟飯君のことも教えている。
悟飯君はきっと彼のことを言っているのだろう。
恋人であることを告げたことは無いのだけれども、なぜか悟飯君は知っていた。

「先生たちは、最近あまり会えていないんだね。」

「どうしてそう思うの?」

「だって薔薇子先生、最近楽しそうに笑ってないです。
やっぱり寂しいですか?」

子どもって意外とよく見てるよな、なんて他人事のように感心しながら乾いた笑いで返事をした。

「僕ね。」

窓の外に目を向けながら悟飯君は慎重に話し始めた。
私も無意識に窓の外へ目を追った。

「本当は、闘いは嫌いなんです。」

遠くを見つめて静かに呟いた。

私は孫家の事情を知っていた。
彼が大人びているのはきっと、未来を背負っているからだ。
普通なら幼稚園へ行き、小学校へ行き、クラスの子と楽しくじゃれあって遊んでいる年頃なのに。
もっとも、今はセルという怪物の存在によって誰もが怯え、心から笑える時ではないのだけれど。

「悟飯君、」

言いかけて言葉は止まってしまった。
平凡で何の手助けも出来ない私は彼にかけてあげられる言葉が見つからなかった。
「大丈夫だよ」とか「心配しないで」とか、ましてや「先生がついているからね」とか。
普通の子どもを慰める言葉なんかで彼を励ますことなんてできない。

「でもね、薔薇子先生。」

ふいに此方を向いた悟飯君は、今度はしっかりと私の目を見て言った。

「僕、薔薇子先生のために闘います。」

「えっ?」

無邪気な笑顔で力強く言った悟飯君に何も言葉を返せないままただ見つめ返した。

「薔薇子先生には、もっと笑ってほしいです。」

年相応の笑顔につられ、強張っていた私の頬もいつの間にか緩んでいた。

「あの、薔薇子先生。」

「なに?悟飯君。」

「闘いが終わったら、先生のお家へ遊びに行っても良いですか?」

「私の家に?」

「はい。」

「………うん。良いよ。」

先程よりも幾段に無邪気な笑顔で喜ぶ悟飯君に小指を差し出した。

「約束!」

「はいっ!」


ゆるく絡めた小指の小ささに「ああ、まだ子どもなんだ」と改めて実感しながら
家へ遊びに来た時は何の料理をご馳走してあげようか考えていた。

end...




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