植物は音楽を聴かせるとよく育つ、という話を聞いたことがあった。真偽こそ確かではないが、実際に趣味と実益を兼ねた菜園において花や野菜に話しかけている人は知っている。
「今日もいい天気だな。でもあまり暑すぎると君たちもバテてしまうからたくさん水を飲むんだ」
「立派に咲いたな。うん、綺麗だ」
「そうだな……きっとニンジンはダイコンのことを嫌ってなんかないさ。同じ畑のお隣同士なんだ、わだかまりなんて無い方が良い」
「君は今日も可愛いね。ミツムシも君の魅力には直ぐに気付くさ」
これら全てオロルンの独り言である。
本人的には話しかけている、もしくは会話をしているので独り言にはカテゴライズされないのだろうけど、傍から見ればただの独り言だ。
曰く、誠意をもって話せば植物もちゃんと返してくれるのだそう。もしそれが本当だったとしてダイコンとニンジンの仲を取り持つとか一体全体どういうことなのか。植物界って意外とご近所付き合いとか気にしてるんだ。
しかし実際に、こうして彼に育てられた野菜や蜜は他の所の物よりも美味しいのも事実。いつだったかフォンテーヌの映影祭会場の飲食ブースからナタの野菜を使いたいという依頼が来た時にオロルンの育てた野菜を紹介したくらいだ。
評判はすごく良かったそうなので、植物は音楽を聴かせるとよく育つ、という噂もあながちガセネタではないのかもしれない。オロルンの場合、“音楽”ではなく“対話”になるのだけど。
こんな感じだから彼は周りからも時折変人扱いされているのだが、当の本人はどこ吹く風で今日もいつものように植物に話しかけている。
私も、そこが彼の良いところの一つだと考えているのでそれに対して口を出すことは今後もない。
「今日も綺麗だな」
けれども。時々、ほんのちょっとだけ、花に嫉妬してしまう時がある。
オロルンは割とストレートに好意を言葉にしてくれるタイプだからこそ、植物やミツムシ等にもストレートに愛情を注ぐ。私に向けてくれるそれとは違うと分かっていてもちょっと妬けてしまうのだ。そんなみみっちい自分を自覚して恥ずかしくなるまでがここ最近のワンセット。
「ナマエ!」
一人悶々と自己嫌悪に陥っていたせいで私が声をかける前にオロルンの方が先にこちらに気づいてしまった。
オロルンはそれまで真剣だった表情を一気に綻ばせこちらへ寄ってきたので、私は頭の中の暗い考えを振り払うように深呼吸をし、笑みを浮かべて持っていたバスケットを胸の近くまで上げた。
「今日も畑仕事に精が出てるね。今日のランチだよー」
「いつもありがとう。今日のメニューは?」
「タタコス。それとデザートはフォンテーヌの商人から買ったバブルオレンジ」
「やった。ナマエのタタコスは最高に美味いから楽しみだ」
暑いけれどもカラッとしたナタの晴れの日ということで、さっぱりとしていて、かつ手軽に食べられるものとしてオロルンの好物でもあるタタコスを選んだ。使用した野菜や小麦は勿論彼が育てたもの。
私の説明を聞いた彼は嬉しそうに昼食の入ったバスケットを受け取って農園の横にあるパラソル付きのガーデンテーブルセットに腰を下ろした。以前、どうせ食べた後に作業を再開するから、という理由で家に入らずその場に座って昼食を摂ろうと彼を見かねて私が設置したのだ。
今日は特に日差しが強いからと氷を入れてキンキンに冷やしておいたミントベリージュースの水筒もバスケットに入れてあるので本当ならば先に水分補給してほしいのだけど、彼はそんなことお構いなしに水場で手を洗うや否やバスケットの中からタタコスを一つ掴んで早速かぶりついた。
反対側から具材が溢れる前に、私は予備のトルティーヤを一枚取り出してオロルンの目の前に敷いてやる。
「うん、やっぱりナマエの作ったご飯はどれも美味いな」
「ふふっ、ありがとね。素直に嬉しい」
相変わらずオロルンはタタコスを食べるのが上手ではなく、ぽろぽろと真下に敷いたトルティーヤへ具材が乗っていく様を見ながら彼の感想と合わせて私は口元が緩むのが分かった。こういう子供っぽい所も惚れた欲目で可愛く感じる。
以前見かねて具材の量を減らして個数を増やした時、いっぱい入っているのがいいんだ、と拗ねてしまったので具材の量を減らすことはなくなった。寧ろ二個目のタタコスの食べ応えがあるよう最近はちょっと多めに入れていたりする。
「店を出したらきっと大繁盛するだろうな」
「えー、それは大げさだよ。それに今日のは作ったって言ってもほとんど具材を挟んだだけだし」
私の言葉に、オロルンはムッとした様子で視線をタタコスから私へと移した。
「大げさなんかじゃない。エビの殻を剥くのは大変だし、玉ねぎやグレインの実も食べやすい大きさに切って焼いて僕好みに味付けしてくれてるじゃないか。それにこのトルティーヤもナマエの手作りだろう?」
「そ、それはそうだけど……タタコスは作り慣れてるし、手が込んでるかと言われたら微妙じゃない?」
「微妙なもんか。タタコスだけじゃない、このミントベリージュースだって、簡単そうに見えてずっと手間がかかってる。どれも立派な料理だ。ナマエはもっと自分のことを誇るべきだ」
「そ、そう?……うん、ありがと」
別に己を卑下したとか謙遜した訳ではないのだが、こうもストレートに褒められると照れてしまう。今日は食べる際の手軽さと彼の好みを重視してしまったけど明日はもっと手の込んだ料理にしようかな。
会話が途切れ、オロルンの視線が再び手元のタタコスへと落ちる。大きく開けた口の中に犬歯が覗いた。
いくら朝に弱いとは言え朝食は食べているはずなのに、まるで朝食を抜いていたかのような食べっぷりに思わず小さく笑ってしまう。
「はい、飲み物」
「んぐ、ありがと、う……んぐ、んっ、んっ……ぷはー」
「落ち着いて食べてね」
「ん!」
力強い頷きの割にオロルンの食べるスピードが落ちることはなく、用意した二つに加え、溢れた具材によって新たに完成したタタコスを食べ終え、更にデザートのバブルオレンジまでもをペロリと平らげてしまった。
毎度のことながらここまで綺麗に食べきって貰えると作った甲斐があるというもの。オロルンの食べ切れる量を把握した上で作っているとは言え、だ。よっぽどお腹が空いていたのだろう。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまです」
さて、彼のランチタイムが終わったのならば私もここにいる理由は無くなる。本当はずっとここで畑仕事をするオロルンを眺めていたいのだけどそうもいかない。名残惜しいけれど職場である聖火競技場に戻らねばならない時間だ。
ため息をつきたい気持ちを押し込んで、ミントベリージュースを飲んでいるオロルンを横目に私は重い腰を上げた。
バスケットを手に取り、それじゃあまたね、と言おうとして、遮るようにオロルンが言葉を発する。
「そうだ。ナマエ、ちょっと」
「?」
こっちに来てくれ、と手招きされるがまま彼について行くと、辿り着いたのは畑から少し距離のある場所に造られたミツムシ用の花壇だった。オロルンはそこに咲いている色とりどりの花の中から淡い桃色のものを一輪選ぶと一言詫びを入れてから手折り、迷いなく私の髪に差し込んだ。
「うん。やっぱり思った通りナマエによく似合う」
目と鼻の先で彼が満面の笑みを浮かべたものだから私の心臓は大きく跳ねた。オロルンは耳がいいから、きっとこの心臓の音は筒抜けなのだろう。
「可愛い」
「あ、ありがと……」
照れているのを隠すようにお礼を言って、震える手でバスケットを持ち直す。彼からの視線に耐えられなくなり視線が段々と下がっていくのを、オロルンは見逃してくれず、両手で頬を掴まれ強制的に正面を向かされる。
オロルンの表情は真剣そのもので、左右で色の違う瞳は、畑で植物に向けていた時よりもずっとずっと熱が籠もっていた。それから、おもむろに顔が近づいてきたと思ったらそのまま触れるだけのキスをされる。
驚きと嬉しさと恥ずかしさで思わず持っていたバスケットを落としてしまったが、それでもオロルンの体勢が変わることはなかった。
やがて小さなリップ音を立てて、オロルンの顔が少しだけ離れる。満足げな彼の表情とは裏腹に私の顔は真っ赤になっていることだろう。頬を通り越して顔全体が熱くてたまらない。
「照れてるナマエも可愛い」