その日の昼休み、大抵はクックヒーローのランチラッシュが運営している安価で美味しい学生食堂へと足を運ぶ。轟もそれまでは食堂で済ませていたのだがそれを知ったエミヤがどうせならばと、ナマエの弁当に彼の分も多く入れるようになったので以来教室で食べることが多くなった。
 使徒もまばらに減った教室で八百万の席を拝借した轟とナマエは料理人顔負けの料理に今日も舌鼓を打つ。それまで一般的なお弁当箱だったのが轟の分も加えられたことで弁当箱はお重へと変わり、風呂敷に包まれたそれを初めて渡された時は流石のナマエも苦笑いを零していた。
 上の段がナマエの、下の段が轟の分となっており、彼の重には律儀にも蕎麦とつゆが別々に入っているので彼の好物である冷たい蕎麦がほぼ毎日食べられるのだ。ちなみにこの蕎麦は勿論のことエミヤが打ったものである。

「そういえば、良かったのか?」
「? なんのこと?」

 ちゅるり。香りの立つ蕎麦を半分ほど食べたところで轟が思い出したようにナマエに言う。彼が何に対して言っているのかイマイチピンとこなかったナマエが首を傾げると、今朝の、と付け足されたことでようやく合点がいった。

「ああ、そのことね。本当にいいのよ」

 今朝のこと、とはSHRショートホームルームでの学級委員長決めの件だ。最初はほぼ全員が立候補したので埒が明かず、紆余曲折を経た後に飯田の提案でクラス内投票によって決めることとなった。開示してみれば誰もが自らに票を入れている中、ナマエと緑谷が三票で同票となり決選投票に移るところでナマエが辞退し、緑谷が委員長となったのだ。
 その日の終わりのSHRにて緑谷が委員長の座を飯田に譲る旨を告げ満場一致で可決されるのだが、それはまた別の話。

「それに私、誰かをまとめるのとか苦手だし……サーヴァント彼らを統率するので手いっぱい」
「確かに……。頑張れ」

 眉をひそめるナマエに、轟は納得する。先日、早速ナマエの家へエミヤの手料理を食べに行った際に、彼女が現状で契約しているサーヴァントらを紹介されたのだが確かに彼らを相手するのは一筋縄では行かなそうだ。己の“個性”とはいえ自我を持っている以上他人と変わりない。ナマエも常闇も大変だな、と少しだけ同情する轟であった。

 ナマエの住む別宅は外観が瀟洒な洋館をしているのに訓練施設があったり和室があったりとちぐはぐなのに、今思い返すとそれらが全体的に妙にマッチしていて、実に不思議な場所だった。
 中でも轟にとって衝撃的だったのが“士郎お兄さん”ことエミヤも彼女のサーヴァントであったことだ。長年年上だと思いこんでいたナマエが同い年であると発覚した以来の衝撃だったのを今でも覚えている。

「私は大人しい方だと自負していますが」
「貴方が一番面倒くさいのよ」

 息をするかのように実体化する天草。カソック姿で轟の席に座って食事をする二人を穏やかに眺めている。うお、耳郎の驚く声が聞こえる。
 大人しい奴は聖杯大戦を企てたりしない。現状契約しているサーヴァントの中で一番大人しいのはナイチンゲールだろう。勿論病人がいない時限定だが。

「……天草さんはナマエとの付き合いは長いのか?」
「ええそうですね。マスターが初めて召喚し契約したのが私ですから」
「そうか……」
「焦凍……?」

 何かを考え始めた轟にナマエは首を傾げる。轟とは八百万の次に仲が良いと思っているがやはり男心は女のナマエにはよく分からない。

 刹那、校内にけたたましい警報音が響く。次いでアナウンス。

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難して下さい』

「え、何だよこれ! やばくねぇか!?」
「お、おお、おお落ち着けって峰田たた」
「瀬呂ちゃんも落ち着いて。みんな屋外へ……」

「みんな待って。冷静さを欠いたまま行動するのは危険よ。大丈夫だから、今は何もしないで」

 轟は勿論教室に残っていた数人のクラスメイトも慌てふためている中ナマエだけは冷静だった。経験値の差だろう、警報の原因がわからないうちは慌てず騒がず、だ。

「時貞、ちょっと見てきて」
「勿論」

 クラスメイトを宥めたナマエは素早く天草へ指示を出し状況の把握を急ぐ。彼女の落ち着きっぷりは周りにも伝染していき、やがてA組にいた少人数全員が平静を取り戻す。
 廊下には我先にと外へ出ようとする生徒で溢れており、この群れに入ったことろで外へ出るには更に時間がかかるだろう。ならば何もせずここにいたほうが安全だ。幸い令呪は三画残っているので万が一ヴィランが襲ってきても彼らを護ってやる余裕もある。
 それから五分もしないうちに天草は戻ってきたがその表情は若干険しい。

「どうだったの? 天草ちゃん」
「どうやらマスコミが正門から無理に侵入したのが原因のようです」
「なーんだマスコミかぁ」
「今教員方が対処に当たっています」
「なら大丈夫だな!」

 彼の言葉に胸を撫で下ろし昼食を再開させるクラスメイトたち。廊下でぎゅうぎゅうに詰まっている生徒らは、気を利かせた瀬呂が真実を話すことで冷静さを取り戻していった。
 轟と共に椅子に座り直したナマエは、蛙吹の天草ちゃん呼びに対しなかなか可愛らしかったなぁと感じつつも彼の表情に引っかかりを感じた。本当にただマスコミが侵入してきただけならばあんな表情になるはずがない。案の定彼は霊体化し、本題を話し始める。

『どうやら侵入したのはマスコミだけではないようです』
「……」
『少し見てきます』

 何もなくてよかったなと蕎麦を啜る轟に適当な相槌を打ちながら、気をつけてという意味を込めた眼差しで天草を見送るナマエ。折角エミヤが作ってくれたお弁当なのに今はあまり味がしない。
 何もなければよいのだが、経験上嫌な予感というものは的中してしまうのものなのだ。




 マンモス校の象徴のような広い校舎内の気の遠くなる程長い廊下を走る天草は、文字通りばらばらに正門を思い出す。

『(あの門の崩れ方……)』

 この世界に召喚されてから様々な“個性”を見てきた天草にはそれがマスコミの仕業ではないことくらい容易に理解できた。あの惨状は悪意に満ちすぎている。
 セキュリティが発動して結構な時間が経った現在、侵入者のいる位置は勿論そもそも侵入者が本当にいるのかすら不明な中彼は迷うことなくある場所を目指し走っていた。
 それは啓示と呼ばれている、天からの声を聞き最適な行動を取るための彼の、天草四郎としての魂が持つスキルである。根拠のないお告げに従って角を曲がり職員室前を通り過ぎ階段を上り角を曲がりその奥へ。

『(ーーいた)』

 人目を避けるような廊下の先に、そいつはいた。
 無数の手を全身に貼り付けた男を数メートル先に天草は眉を寄せ目を細め霊体化を解く。

「――止まりなさい」
「!」

 男が振り返るとそこには褐色肌に白髪の少年が男を睨めつけており、いつから背後にいたのか見当がつけられないまでに気配がなかった。
 男は焦るでもなくただ彼を上から下まで見定め、静かに口元を緩ませる。

「よく見つけられたな。でももう少し早かったらなぁ」
「ーーさぁ帰りますよ」

 そいつは男の背後から突如として現れた。

 全身が黒い靄のようなもので形成されており、彼が人であることを認識できたのはバーテンダーのような小洒落た服を纏っていたからだ。
 靄は男を包み込むと少しずつその姿を消してゆく。考えずともこの場から消えようとしていることくらい判る。
 天草は瞬時に取り出した黒鍵を投擲すると同時に間合いを詰めていくが黒鍵は靄の中へ吸い込まれ、男の体は既に半分以上消えている。

「ッ!」
「じゃあまた、近いうちに会うかもな」

 手を伸ばして届いた靄は掴むことが出来ず指の間から全て抜けていってしまい侵入者は完全に消え去っていた。
 最後に吐かれたちっとも悪びれていなかった男の声が己のそれに似ているせいか更に苛立ちが募る。

「……クソッ!」

 握ったままの拳を力任せに壁に叩きつけると鈍い音と共に大きく亀裂が走る。ナマエの前ならば決して吐くことのない汚い言葉が出てきたが無理もない。
 発見から取り逃がしまでが余りにも短時間過ぎて“真名看破”、サーヴァントの真名を知ることが出来るルーラー特性のスキルなのだが、それを使う暇すらなかった。そもそもサーヴァント相手に有用なスキルを人間にも適応されるのかは不明だが、何も出来なかった事に対する屈辱感が強いのは確かだった。
 もう少し早く探しに出ていれば、侵入者の可能性を見た時点で状況報告を切り捨てていれば、或いは。そこまで考えて頭を振る。そんなことを考えたところで意味などない。

 その後ヴィランらしき二人組が侵入していたことは天草によって速やかに教員へ伝えられ、ナマエ立ち会いの下で容姿や“個性”などの詳細を説明した。
 壁に入った亀裂へのお咎めは侵入者発見の情報によって帳消しにされたがナマエからの軽い注意が入ったのは言うまでもない。

「少し、平和ボケしていたようです」
「……」
「次は必ず仕留めます」
「(時貞ってこう見えて負けず嫌いなのよね……)」

 天草と二人きりの帰路にて、遠くを見つめる彼の目が静かに燃えているのを見てナマエは苦笑した。戦闘向きのサーヴァントではないと自称しているくせに負けず嫌いなきらいがある彼のことだ、帰ったら修練室に籠もるのだろう。
 彼が奴らに意趣返しするのはそう遠くないということを二人は知らない。不穏はすぐそこまで躙り寄っているということも。


忍び寄る不穏