彼女がこの世界で初めてサーヴァントを召喚した日から一年。ナマエは五歳になった。
あれから天草の他にも四名のサーヴァントと契約をし、ミョウジ邸敷地内にあるサーヴァント専用に建てられた別宅は賑やかさを増している。
前回の最期が最期だっただけに他のサーヴァントも天草同様召喚された矢先に、マスターの顔を見るなり泣き付いたり抱きしめたり説教したりと四者四様の再会だった。
「ナマエ、夕飯は何がいい?」
ある日の夕方、ナマエと共に夕飯の買い出しに出ているエミヤが彼女に問う。
この世界で召喚された時の彼の取り乱し様は今でも忘れられない。普段の皮肉屋な面影は一切なく寧ろ英霊となる以前の彼、衛宮士郎然としていて。先にクー・フーリンが召喚されていたらば腹を抱えて笑い転げていただろう。
サーヴァントたちは、人目がある時は必ずナマエのことを名前で呼ぶ。そうでない時でも名前で呼ばれることは多く、その都度自分という者を再認識させてくれる。
「士郎の料理なら何でも」
「何でも、というのが一番困るんだが」
ミョウジ家は基本的に夕飯は家族で食べる。それまでは料理が苦手な母親に代わり使用人が作っていたのだがアーチャーのエミヤを召喚してからは彼が台所を任されている。
彼女の両親も彼の料理を好んでいるため夕食の時間の別宅は賑やかさを増すのだ。
「あはは。じゃあ久しぶりにツヴィーベルクーヘン食べたいな」
「ああ、了解した」
それじゃあ玉ねぎとベーコンを買わないとな。そう言っていつも利用しているスーバーへと向かう。
彼は和食を中心とする一般的な料理を得意とするが彼女の義弟であった時分にドイツ出身である彼女のためにドイツ料理を学んでいた。
英霊となってもそのレシピを覚えていてくれたのがナマエは単純に嬉しく、こうしてたまに作ってもらうのである。
彼の料理はやはり懐かしい味がして、ナマエはとても言葉では言い表せない幸福を感じられる。
「士郎のドイツ料理が食べられるなんて幸せ」
「……ナマエの幸せは随分と安いのだな」
「あら。こうして水入らずでお出かけ出来るのも幸せに含まれてるのよ?」
「……相変わらず姉さんは俺を喜ばせるのが上手くて困る」
こうして二人の時にだけ垣間見せてくれる“義弟の顔”が、ナマエの幸福の一つでもある。そのため彼女の前では常に再臨後の髪を下ろした姿でいるのが彼なりの配慮と甘え方だ。
公共の場での“個性”使用が規制されているとはいえ、落とし物を手元に引き寄せたり暑い時に翼で仰いだりといった迷惑行為に当たらない“良識の範囲内”での使用は咎められないケースが多い。
ナマエもまた、“個性”として現界しているサーヴァントたちを公共の場で実体化させていることが多いが、それは買い物であったり付き添いであったりと自衛以外での戦闘は一切行っていない良識の範囲内での実体化である。そもそも彼らが実体化してそれが“個性”であることに気づく者はいないので咎められる心配はないのだが。
「……」
「? どうしたナマエ」
スーパーにて目的の物を購入した帰り、閑静な住宅街を歩いていたナマエが唐突に、何かに気付いた様子で足を止めたので当然エミヤの歩みも止まった。
徐に瞳を閉じた彼女が人差し指を唇の前で立て、静かにするよう促すので彼も押し黙り耳を澄ませてみる。
聴力を魔術で強化することでその微かな声は二人の耳にはっきりと届いた。
「誰かが泣いてる……」
「ああ……それも、これは子供の声だ」
かつて正義の味方を目指し生業にしていた彼と、その義姉であった彼女。泣いている子供を放っておけるほど非道な性格はしていない。
辿っていけば、声は人気のない住宅街の外れにある公園から聞こえていた。声の主である少年は独りぼっちでベンチに座って泣いていた。左右で色の違う目立つ容姿をしているが彼に近寄る人間はおらず、そもそも人すら通らないような場所だ。パトロールのヒーローですら見当たらない。
「どうしたの?」
ナマエは迷わず彼に話しかける。これがエミヤ一人だけであったとしても同じ行動をとっていただろう。かつて義姉弟であった二人の、唯一同じ部分なのだから。
声を掛けられた少年は肩を揺らして、徐に顔を上げた。左右で色の違う左側、赤い髪の下は包帯が巻かれており何かしらの怪我を負っていることを物語っている。
最初こそそれが原因で泣いているのかと思いナマエが尋ねたか少年は首を横に振って否定する。しかし彼の涙の理由にその怪我が少なからずも関わっているのだろうことは察せられた。
「私はナマエ・ミョウジ。ナマエって呼んでね。君は?」
「……轟、焦凍」
「うん。それで、焦凍は何で泣いていたの?」
「……」
「言いたくない? でも知らない人だから話せることもあると思うの」
優しく諭すように言うと焦凍は再びナマエを見上げ、唇を小さく震わせてゆっくりと言葉を紡いだ。
「あ、あいつのせいで、お母さんが……!」
嗚咽混じりの言葉に二人は顔を見合わせる。内容によっては警察に掛け合わなければならないだろうと、覚悟を決めて。
「大丈夫。私たちは焦凍の味方よ」
「ゆっくりでいいから話すんだ」
「う、うん……」
たどたどしくも彼は自身の出自を二人に話した。
自身の“個性”、父親の野望、厳しい稽古、疲弊する母親、父親の怒号、母親に沸湯を浴びせられたこと、警察と話す父親、母親の入院。
「僕をオールマイトより強くするためにって、痛いことするの……そのせいでお母さんおかしくなっちゃって、入院しちゃった……僕もうやだ……!」
個性婚。聞いたことはあったが実際にそれにより生まれた子供を目の当たりにするのは初めてだった。己の野望の為に他人の人生を、子供の人生を縛り付けるだなんて許されることではない。憤りを感じるが齢五歳のナマエに出来ることなどほとんどなく、ましてや相手はナンバー2ヒーローだ。
俯く焦凍を前に、ナマエは己の無力さを痛感した。それでも今自分が彼に出来得ることを、と握り込んでいた手を緩める。
「焦凍は自分が嫌い?」
「……」
静かに頷く焦凍。ナマエは、その鮮やかな二色の頭を優しく撫でてやる。
「でもわたしは焦凍が好きよ」
「……うそだ」
「嘘じゃないわ。だって焦凍は誰よりもお母さんのことを大切に思っている優しい子だもの」
「……」
「そんな優しい子を、誰が嫌いになれると思う?」
おずおずと顔を上げた焦凍の視界には、彼を慈しむように微笑むナマエがいて。
それは、かつてオールマイトのようなヒーローになりたいと言った自分に、焦凍ならなれるよと返してくれたあの時の母親の微笑みだった。
「おかあ、さん……」
「ふふふ。私は焦凍のお母さんじゃないから、その気持ちは次にお母さんと会う時まで大切にとっておいてね」
「……うん」
次に彼が母親と顔を合わせるのは少し遠い未来の話だが、それでも彼の母親は彼を受け入れてくれるだろう。どんなに深い溝が出来ようと親子の絆はそう簡単に切れるものではないのだ。
「お母さんと仲直りできるかな……」
「大丈夫よ。きっと焦凍のお母さんも焦凍と同じ気持ちだから。でも今は少しそっとしておいてあげるといいかも」
そう言ってベンチに座り直したナマエに焦凍が抱き着く。具体的にどのくらいの期間休養が必要か言えないのが心苦しいが、それでも希望を持つことは大切だ。
「ねぇ、焦凍はヒーローが好き?」
「……うん。オールマイトみたいなヒーローになりたいよ……で、でもあいつの言いなりにはなりたくない!」
「じゃあ焦凍は焦凍らしいヒーローに成らないとね」
「僕らしく……?」
「そう。他の誰でもない、焦凍が思い描くヒーローに成るの」
「ほかのだれでもない……」
「焦凍が焦凍らしく生きる方がお母さんもきっと喜ぶよ」
「……うん! 僕、あいつより立派なヒーローになる!」
彼の顔から涙は完全に消えており、目元が赤いことを除けばすっかり元の可愛らしい顔だ。
彼の頭を数回撫でるとナマエの右手が不意に止まり、その手は彼女の左掌と重なる。
「そうだっ。良いものがあるの」
「?」
「士郎、今食べちゃいましょ」
「ああ、アレか。確かこっちの買い物袋に……」
目をぱちくりさせる焦凍を他所にエミヤが提げている買い物袋の一つから膨らみのある白い紙袋取り出してナマエに手渡す。中から出てきたのは二尾の鯛、基二枚のたい焼きだった。
焼きたてであろうそれは温かそうな湯気を出していて。美味しそうな匂いが焦凍の鼻腔をくすぐると夕食前の小さな腹が、ぐぅと反射的に鳴ってしまい、恥ずかしさから頬が赤らむ。
「あ……」
「うふふ。一緒に食べましょ」
元々家族には内緒で食後にエミヤと二人で食べようとこっそり買っておいたもので、そのうちの一つを、ナマエが器用に二つに割って焦凍に差し出す。
「いいの?」
「うん。でもお夕飯前だから半分こね」
焦凍がナマエとエミヤの顔を交互に見詰めるので、ナマエが人指し指を唇の前に持ってきてウインクする。エミヤも彼を安心させるようなるたけ優しい笑みを向けた。
ナマエの言葉に焦凍はたい焼きを受け取り、餡子が見えている部分にぱくりとかぶりつく。泣き疲れた腹には少し物足りないが、夕飯が食べられず家族に間食について問われることないだろう。
エミヤの手に残った一匹は食後にナマエと半分こされる予定となった。自分の分は此処でたべたのだからとナマエは遠慮するだろうが彼女を上手いこと丸め込むのは慣れたものである。
「本当に家まで送らなくて大丈夫かね?」
「うん。僕ヒーローになるんだもん一人でも帰れるよ! ナマエちゃん、士郎お兄さん、ありがとう!」
「またね、焦凍」
「気をつけて帰るんだぞ」
二人がたい焼きを平らげてしばらくすると公園のスピーカーから子供の帰宅を促す音楽が流れ出したのて素直に従うことにした。焦凍は元々この近くに住んでいるようで一人でも大丈夫だと、二人に礼を言うと公園から掛け出ていく。
またねと言ったもののナマエと焦凍は学区が違うので学校で会うことは勿論、外で偶然会うこともほぼ無いまま成長することとなる。更にこの時焦凍はナマエを年上だと勘違いしており、二人が同い年であるとに気付くのは高校に入学してからの話である。
迷い子の少年