彼女は未だ彼の心を知らない

※ほんのり「リラの樹にて」夢主。読んでいなくても大丈夫です


 なだらかに動く雲を眺めていた。ここから眺める空は、地上から見上げるより近くで見ることができて、割と好きだ。
 校舎の屋上のど真ん中。三年間、ここは私たちの特等席だった。

「お前、何してんだ」

 現れたのは爆豪勝己だった。桜か梅か、よく分からない花びらが舞っていた。この別れの門出というめでたい日であると言うのに、相変わらず眉間には皺が寄っていて、思わず笑みが溢れてしまう。

「何がおかしい」
「花が似合わないね」
「うるせえ」

 花びらがチラチラと彼を見え隠れさせた。
 別に探しに来てくれ、とも一緒にいよう、とも言ったわけではない。それでも、彼はこうして私の隣に当たり前にいてくれる。こうして二人で何を見るわけでもなく、空を仰ぐこの時間が、好きだった。

「この三年間、色んなことがいっぱいあったね」
「そういうのは要らん」
「どうして?かっちゃんも思い出いっぱいあるでしょ?」
「ねえわ」
「家庭科の実習で間違えて爆破してスプリンクラー発動させたり、体育祭のフォークダンスすごく面倒くさそうに踊ってダンス係の人に怒られてたり」

 そこまで言うとかっちゃんの手が私の顔を掴んだ。片手で両側のほっぺを掴み、強引にかっちゃんの方に向かされる。おそらく今私の顔は変な顔だろうが、かっちゃんの顔がものすごい怒ってて、またしても心の中では笑ってしまう。

「要らんっつっただろ」

 それに対し、コクリと頷くとかっちゃんは手を離してくれた。3年前入学した時とは打って変わって、成長していた手だった。かっちゃんとはいくつもの季節を過ごしてきた。流れゆく季節を共に過ごし、成長した。でも私はふと立ち止まってしまいたくなる。
 今だってそう。このまま、ずっとこのまま不安も焦りも何も感じず、過ごせるこの時間を、ずっと繰り返していたい、と思っていた。

「でも体育祭は常にリレーで一位だったり、成績も良いし、見かけによらずな一面が多いよね、かっちゃんって」
「お前さっきから何感傷に浸ってんだ」
「………別に、」

 言い終わる前にかっちゃんから遮られた。

「どうせまた春からも同じだろうが」
「かっちゃん…」

 嗚呼、このまま時が止まればいいのに。
 呆気なく終わってしまった卒業式。別れは出会いの始まりでもある。だが、私にはそんなことどうだっていい。私の世界は至極簡潔で、かっちゃんとデク、そしてそれ以外で成り立っている。かっちゃんもデクも春からは同じ雄英行きが決まっているから、私にとってこの卒業式は泣いて悲しむような別れではなく、始まり。
 変化を恐れる私にとっては、未知の世界が、ただただ怖いのだろう。

 そう、ただ、怖かった。

「もうあんな思い、したくない」

 三年の春、ヘドロ事件の衝撃は、私の脳裏にこびりついていた。
 だから私はこのまま時を止めて欲しい。何度も何度も懇願しても、眠ると絶対朝が来る。例えば私の"個性"がそう言った類いのものだったら、時を止められたのかもしれない。
 その時、鮮烈な痛みを覚えた。
 さっきまで柵に体を預けて二人して空を見ていたはずなのに。胸ぐらを掴まれ、そのまま仰向けに押し倒されたらしい。私の視界には不機嫌な顔をしたかっちゃんでいっぱいになっていた。

「もう、あんなヘマはしねぇ」
「………っ」

 かっちゃんの顔は歪んでいた。もう何年も彼と一緒にいるのだ。見ればすぐにどんな感情を抱いているのか分かる。
 彼は、悔しいんだ。
 私が恐怖を抱いたのと同じくらいに、悔しいのだろう。

 そこで私の視界は、かっちゃんの制服に移った。胸ポケットには卒業式の花飾りが入れられていた。そして、制服のボタンは、全部無かった。

「争奪戦あったんだ」
「は?」
「ボタン、一個も無いじゃん」

 卒業式に好意を抱いていた相手の第二ボタンを貰う風習があるのは知っていた。しかし、今時そんなものまだあるものなのか、と目を疑った。そんなことより、こんなにおっかない性格をしているかっちゃんに、好意を持っている女子がいることに驚いた。それもボタン全部なくなるほど。
 かっちゃんは起き上がって、そのまま胡座をかいた。私もゆっくりと体を起こし、その隣に座る。

「ん」

 かっちゃんはそっぽを向いたまま、ポケットから何かを取り出し、私に拳を差し出した。

「なに」
「受け取れやカス」
「だってこれあれでしょ?なんかビックリさせるオモチャ…」
「いいから、受け取れ」

 そう言って強引に私の掌に捻じ込んだものは、オモチャなんかではなかった。異様に軽いそれに、全く何かが分からなかった。

「……これ」

 掌に転がる小さなものを見つめる。かっちゃんは黙ったままだった。

「ねえ、これボタン、だよね?」

 その問いにも答えてくれなかったので、私はどうすることもできずに、そのボタンを太陽に重ねて空を仰いだ。ボタンってこんな形してるんだ、とか何とか考えていた時。

「第二ボタンって、心臓に一番近いから、相手の心を掴むって意味で貰ったり贈ったりするんだって」
「………。」
「さてはかっちゃん知らずに渡したんでしょ」

 かっちゃんはこちらをチラリとだけ見て、舌打ちをしてまたそっぽを向いた。図星かな、と思っていると、小さく「知っとるわ、クソ」と返ってきた。

「そもそも、それが第二だとは誰も言ってねぇだろ」
「あ、そっか」
「……一個だけ余っても不格好だろ」

 そう言ったかっちゃんの耳が真っ赤だったのは何故か分からない。珍しいからもっと近くで見ようと、距離を縮めると、私はもっと面白いことに気付く。

「かっちゃん」
「あぁ?」
「頭に花びら刺さってる」
「刺さっとらんわ!」


list top